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どうして、嫌なことがあるのか。

どうして、嫌なことがあるのでしょうか。
楽しい事ばかり、心地よいことばかりの世界ではないのは、なぜなのでしょう。

というわけで、今月は、苦しみについて。

嫌なこと、最近何かありましたか? 例えば、裏切られたとか、陰口を言われたとか、頑張ってきた過去を否定されたとか、それによって自分の能力不足を痛感するとか。仕事がうまくいかない、事業の先行きが不安だ、という方もいらっしゃると思います。

大きく分けて、人に関するもの、コトに関するもの(仕事やプライベートでの出来事)、の2つでしょうか、苦しみの種類としては。
なければいいのに、この世の中、なぜ嫌なことがあるのか。

私はこのように考えています。


人に関する苦しみは、これは、一生をかけて続く、修行のようなものではないかと、思います。人間関係の煩わしさは、どの国でも、どの会社でも、どの組織でも、どの家庭でも、どの相手でも、この世が人間の集まりである限り、起きてしまうものですね。

人が生まれて、幼児から大人への階段を登っていく発達段階として、社会性を獲得していくようなのですが、かといって、20歳になったからといって、誰もが仙人のような立ち振舞が身につくわけがありません。

いくつになっても、ほとんどの悩みは人間関係から生じるようです。

小さな頃は、些細なこと、今となっては馬鹿馬鹿しいことなのですが、歳を取るにつれて、次第に、人間関係の悩みが高度化していきます。
しかし、「今となっては些細なこと」と言えるのでしたら、それは、「修行」の結果として、人間関係の処し方、御(ぎょ)し方が身についたからではないでしょうか。

若い頃は、「気にしない」という避け方を身に着け、ある程度の年頃になると「誰もから好かれる必要など無い」という正しい開き直りができるようになり、また経験を重ねると「むしろ適度に嫌われたほうがいい」なんて高度な振る舞いをされる方もいます。
人との関わりの楽しみがある限り、人に関する苦しみは、必要悪なのかもしれません。


次に、コトに関する苦しみについてです。
これは、嫌なことも楽しいことも、全てが自分を創るから、だと思います。

思い出してみてください。自分を成長させ、何かに気づかせ、奮い立たせ、そして、思考や行動を替えたきっかけは、いつだって、「嫌なこと」や「辛いこと」ばかりだった、ということはないですか。これは年齢層によって程度は異なるかもしれませんが、多かれ少なかれ、似た経験をお持ちなのではないかと思います。

ただし、渦中にいるときは、そんなことは全く感じることが出来ません。早く抜け出したい、なんとかしたい、それどころか何をすればよいか分からず途方に暮れます。もしかして、これを読んでいる今が、まさにそうなのかもしれません。

それでも、だいぶ後になって、その「嫌なこと」や「辛いこと」が、これは本当に人によって様々で、思い出すのも辛い方もいらっしゃると思いますが、あの瞬間が、今の自分に通じるきっかけになった、あの辛い出来事を乗り越えようと無我夢中で取り組んでいたら、今ではこんなことができるようになった、という過去が思い当たります。

そう考えると、これが、多くの諸先輩方が「お決まり」のように言われる、「今が成長しているということだよ」のセリフなのだと思います。が、辛く感じている最中は成長している実感が感じられないので、なんの慰めにもならないのが辛いところです。
そのセリフ、正確に表現すると、

「今は、嫌なこと、例えば出来ないことに向き合ってGAPを感じて、不愉快に感じたり、劣等感を感じたりして辛いだろうが、あなたは、この辛い経験が元になって、きっと成長できる、そう信じている、だから、同じようにそれを信じて取り組んでみてほしい、あとになって、あの瞬間が成長していた、ということだったんだな、と思える日が、きっと来るから」

という長い長い補足を伴う一言だったのです。

そのため、残念ながら比較的若い年齢層には通じないことも多々ある言葉だと思います。
なぜならば、嫌なこと→楽しいことのサイクルを一周して回って成長実感という成功体験を経ていないことが多いからです。

かくいう私も、20代前半のころに上司や先輩から「今が成長しているときだ!」なんて言われて、信じることはできませんでしたが、思い出してみると、たしかに、そのあと成長した実感を持つことが出来ていました。

ところで、人間の許容レベルを超えたあまりに辛い出来事は、それを乗り越えることができず、心の傷になるといいます。
漫画「ホットマン」では主人公が、正確な表現は忘れてしまったのですが、こんなことを言っています。
「心に深い傷を負うと、それは一生忘れることはできないだろう。でも、少しずつ、思い出すことが減っていく。もしかして、そういうものなのかもしれないな。」

その苦しみが、たとえ少しでも、無くなりはしなくても、和らいだり、ご自身にとってプラスになっていくことを願っています。

【癒やしコーナー】

今回は、癒やしというより、宗教家からのメッセージ紹介。

パパは天国にいるの?教皇フランシスコの答え

どんな苦しみも、和らげることができると思えました。

なぜ我々は苦しみ迷うのか

塩沼亮潤さんの答え。


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