師と仰ぐ方々③
私にはコンサルタントとしての師匠が3人いるのですが、その中で、実務的なところで大きな影響を受けたのが、金久保さんです。
もと日本繊維新聞の記者で、その後、チャネラーというファッションの業界紙で編集長をされていて、、間違っていたらすみません、、その後転職されて、元VAN JACKETの方々が作られたO社という会社で、いろんな有名ブランドのマネジメントをされていました。
私が出会ったときは、もう、独立されていて、Wさんという、元VAN JACKETの重鎮のお仕事を手伝ったり、いろんなブランド開発系のお仕事をされておられました。
出会いは、東京都中小企業診断士協会の主催で「衣の論叢集」という読みものを作るということで、私の城西支部の知り合いの小田澄夫先生に誘われて、私もそれに参加したのがきっかけです。
その論叢集で、金久保さんが編集長的な存在で、私のパートの記事を書いて、やり取りするうちに、仲良くなりました。超、懐かしい話です。
そして、だんだんと金久保さんの仕事を手伝うようになりました。
そのころの私は、ほんとにその日暮らしで、今から考えると、何で食っていたんだろうと思います。
いや、食えてなかった。貯金がどんどん減っている時期でした。
そういう時期に、金久保さんに出会ったのですが、そのころの金久保さんは、バリバリで、何本も仕事を抱えて、家に帰れなくて、ホテルに泊まりこんで仕事をしている状態でした。どうやったらそんなに仕事がとれるの?という、憧れの状態の先輩でした。
金久保さんから、最初、「これ、調べれる?」「これ、覆面調査行って」「これ、図書館でまとめてきて」、、、など、ほんと、雑用的な仕事を頂いて、それで、小遣いを頂くようになりました。必死でやったので、多分、金久保さんも使い勝手が良くなって、いつしか、いろんな仕事を二人で行うようになりました。
いまから考えると、たった5年間なのですが、物凄く濃い案件を経験させていただき、刺激的な5年間だったと記憶しています。
このあとの記事では、その刺激的な仕事の一部をご案内します。
某大手GMSで大ヒット商品を出したり、某ファッション系の百貨店の仕事で裏原宿文化を調べたり、、もう、、、いまでは、あまり関われないような仕事を一緒にさせて頂きました。
もう、ほんとにキレキレ、天才で神がかっています。
金久保さんが書いたビジオの企画書は今でも保管してあります。
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