師と仰ぐ方々①
私の師匠は4名の方々いまして、3名は中小企業診断士として食べていくために、いろいろとお世話になった師匠、1名はマインドフルネスの師匠です。
診断士の初めての師匠は、診断士の3次実務実習の先生の田口先生です。
田口先生から指導を頂いたのは1995年です。もう、古い話になりました。
当時は2企業の実習(3次実習といいました)で、足立区の食品スーパーを診断させていただきました。
そのご縁を大切にしながら、独立する前にも相談しました。
今年の1月にお亡くなりになり、その事実が分かったは、喪中のお知らせを仲間が聞いたからでした。2年以上、お会いできていなかったので大変寂しい思いです。
先日、兄弟弟子3人で、仏壇にお参りしてきました。
田口先生からは、2つ教えて頂きまして、1つは、ちゃんと診断士協会の行事に出席してコネクションをたくさん作るということ、、もう1つは、何か、もう一つ資格あるいは、得意技を作るということでした。
今から考えると、この教えは「絶対」必要でした。私の、今の活動の原点になっています。
現在では、いろんなところからお仕事を頂けるようになりました。その多くが、診断士ではない人からの紹介やコネクションで仕事が入ってくることがほとんどです。
でも、実は、その仕事の枝を元通りにたぐっていくと、根っこのほとんどが、診断士協会の方からスタートしていることが分かります。診断士協会以外で、ゼロから開拓したコネクションの根っこは、いまの売上から、たどっていくと、ほんの10%ぐらいです。それぐらい、診断士協会系人脈からの仕事は、「筋が良い」仕事が多くて、まじめに、真剣に取り組めるべきものが多かったということです。
研究会のメンバーのつながりからスタートしたものや、一緒に執筆した書物を仲間の診断士が読んでいて、こういうことを書けるなら、こういう人を紹介するよ、、というふうな感じで。 徐々に広がっていきました。
こういうことを最初に教えて頂いたのが、田口先生です。
田口先生からも、私が独立した当初、2つほど、直接仕事をいただいたこともあります。
私が、ファッション系出身だったので、足立区のセレクトショップのコンサルティングを一緒にさせていただきました。ものすごく、貴重な体験でした。
その他、なぜか、三越関連のお仕事もさせていただきました。その関連で、ミュージアムショップの販促のしごとなど、、。
どんどんつながっていきました。そして、必死で調査をして診断報告書を行上げていきました。
2つ目の何か、資格をということでは、当時、「販売士1級」の資格を目指しなさいと言われました。これは実現しなかったのですが、やはり、診断士単独ではダメで、何か、掛け合わせるという、私の今のスタイルの根本的な考え方の基礎になりました。診断士1本ではなかなか厳しい。
今は、診断士×ファッション業界、診断士×理美容室業界という掛け算が定着しましたが、いろいろと模索しているときには、ISO9000の内部監査員の資格をとったり、また、少し前には、内藤先生から教わった「事業承継士」などが掛け算になっています。
そして、2022年に、マインドフルネスコーチの資格を取得して、新たな掛け算ができるようになりました。
もう、25年も前から、師匠に、、「掛け算だ~」って言われていて、その時は、深い意味がまったく分かっておらず、また資格の勉強をするのか~~、、面倒だな~~と思っていました。
ちゃんと、素直に聞いておけば、また違った展開になっていたのかと思います。
田口先生の掛け算は、診断士×輸出入でした。
もと総合商社で海外で活躍した経験を活かして、まだ、診断士協会に「国際部門」の研究会がない段階から、中小企業に対する海外進出の支援をされて、その後、国際化コンサルティング研究会を城西支部に立ち上げられて、診断士協会全体の国際化支援の先駆けとなられました。
私は、後輩の診断士さんに、やっぱり専門領域を作った方が最終的には長持ちするよとよく言っているのですが、気が付かないうちに、田口先生の背中を見ていたんだなと思います。