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最後の福祉国家 第1章3

■実用主義的幸福

近年経済学では幸福(well-being)に関して多くの人が議論するようになりました。従来経済学で目標とされてきたのは「富」であり、それをフロー(期間を区切って評価しないと意味をなさない概念)として表現したものが「所得」であり、これを一国経済で足し上げて多少調整するとGDP(国内総生産)である、ということになります(「効用」についてはいずれ議論しましょう)。これが大きくなれば、平均的に人びとの経済生活は豊かになりますから、従来の経済学はこれを最大化することを目的として理論形成をしてきたわけです。ところが、1970年代ごろからGDPの大きさや成長が人びとの幸福感(人びとが主観的に幸福と感じること)とは乖離する可能性が指摘されるようになりました。これは「イースターリン・パラドクス」として知られているものですが、それ以降、経済学でも、GDPだけではなくてもっと人間の幸福に貢献する目標が模索されるようになりました。ただ、先回お話ししたように、幸福の内容が具体的に与えられないと、何をどうすればよいかわかりませんので、経済学ではそれ以降、みんなが幸福の代理指標として認めてくれそうな指標をいろいろと考える方向に進んできています。興味のある方は、橘木俊詔『「幸せ」の経済学』岩波書店, 2013)が入門書としてよいかもしれません。同じようなことが、1990年代以降の医学や看護学などの世界でも起きたこともよく知られています。1990年代以降、QOL指標に関する膨大な論文が書かれてきていて、今も書かれています。

この連載は、医療関係者でご覧になっている方も多いので、少しだけ脱線しておきますが、私は、医療の世界で1990年頃からQOLがブームになっていっった理由について、広く誤解されていたところがあると思っています。QOLが目標となる前の医療の目標は、「治癒」もう少し正確にいえば、「医学的な意味で異常がない状態としての治癒」でした。この治癒=目標に基づくケアモデルとして「医学モデル」という言葉を使いますと、1990年代には「医学モデルからの脱却」が医療界のテーマの一つになっていったわけです。

この変化について、私が読んだ多くの文献では次のように説明されていました。すなわち、かつて病気は急性疾患で治るものは治り(=治癒)、治らないものは死ぬというわかりやすいものであった。だから医療は治癒する力を高めさえすればよかった。だが、慢性疾患中心となってきた今日では、基本的に病気は治らない。そこで治癒とは別の目標が必要になってきたのだ、と。一見もっともらしい説明なので、多分多くの人びとはそんなものかと思ったでしょうし、この説の正否にかかわらず、この説を信じた人びとが多ければ、医療界ではQOLシフトを起こす力として作用したはずですので、この説に目くじらを立てる必要はないかもしれません。

ただし、よく考えると、この説は相当に変です。まず、一つの間違いない事実として、時代を遡れば遡るほど、医学は病気をどんどん治せなくなってゆくということがあります。19世紀末ごろまで遡りますと、医学の治癒力は、他の民間諸療法と大差なかったことが知られています。したがって、19世紀末の世界には、具合が悪いまま、あるいは身体の特定の部位が不調のまま、なんとか生きている人がそこら中にいたと考えなければなりません。とすれば、流布されている説の論理を使えば、過去に遡った方が、医療はQOL重視になると考える方が自然ではないでしょうか。実際、19世紀までの医師(私がよく知っているのは英国の話ですが)は、患者とよき友人であることを重視していました。

つまり、医療界におけるQOLシフトは、疾病構造の実体的な変化というよりも、治癒しない病気への医学的焦点の変化、そしてその背後には、そのような治癒しない領域で医学が貢献することに対する社会的要求があったと考えるべきなのです。その意味において、医療におけるQOLシフトは、医療界の閉じた内部で生じた現象という意味における内生的現象ではないと考えなければなりません。そして、経済学と医学というおよそ異なる専門性の領域において、並行してQOLの重要性が認識されるようになったのはおそらく偶然ではなく、経済生活、健康の両面を含む社会全体の価値変化があったと考える必要があります。

話を戻しましょう。いうまでもないことですが、経済学、医学などで作られたこれらの幸福指標は、幸福そのものではありません。とするなら、このような幸福指標は何の役に立つのでしょうか。試みに、ここで「住みやすい街ランキング」のような、雑誌などでときどきやられるようなものを考えてみましょう。私の勤めている大学は都内中央線沿いにありますので、とりあえずそのあたりで話をしますが、たとえば、吉祥寺が一番住みやすくて、高円寺もいいとかそういうことになったりするわけです。このとき考慮されているのは、買い物がしやすい、駅近で物件が探せる、外食しやすい、治安がいい、・・・のような諸項目だったりします。これらをスコア化してランキングをつけるわけですね。当然ですが、人によって住みやすさとして考慮する項目やウエイトは違っています。そのあたりを承知しつつも、より多くの人にとって納得感が出るように関数を作るところが雑誌の腕の見せどころというわけです。では、この「住みやすい街ランキング」は、読者たちの住処選びに役立つかといえば結構役立つわけです。私のように僻み半分で「中央線沿いに住むスノッブな連中がイヤ!」みたいなことをいうひねくれた人間でなければ、「吉祥寺や高円寺は住みやすそうだな」と思うわけです。

ここで重要なことは、読者たちは、このランキングが自分にも自動的に当てはまるとは限らないということを承知している点です。読者たちは、これがいろいろな人びとの好みを公約数的に集約して多数派がそれなりに納得する指標として作られていることを承知しており、また自分があらゆる面で多数派に属しているとは限らないということも承知しています。そこで、読者たちは、とりあえず自分の住む街の候補くらいに考えて、実際に現地に足を運んだりするわけです。これは、「住みやすい街ランキング」が真の意味での住みやすさを意味していないことから起きることです。ただ、このような不完全さに対して怒り狂う読者はいません。というのも、住む街を絞り込むということでは十分に実用的だからです。このような、究極的な意味では本質を表現していないけれども、使い方によっては十分実用に足りる概念を積極的に活用する立場を、実用主義(pragmatism)といいます。そのいみでは、「住みやすい街ランキング」は典型的な実用主義的指標といえますね。

経済学や医学などで流行している幸福指標も基本的にはこのような実用主義的な作りをしています。真の幸福はそもそもわかりませんので、納得感を高めるために、誰でも望むような生活要素を集めてきて指標化する、あるいは直接に対象となる人びとに幸福かどうかを訊ねたものを指標化する、あるいはこれらを組み合わせて指標化する、というようなことをして幸福指標を作ります。専門家たちは前者を「客観的幸福」とよび後者を「主観的幸福」と呼んでいます。いずれも真の幸福とは関係のない概念です(後者の「幸福感(主観的幸福)」と「幸福」が異る概念であることに関する有名な映画が「マトリックス」ですね。論理的に考えるのに飽きた方は、ひとまず映画でリフレッシュしていただければと思います。)。

ただそれでも、このような幸福指標は現代社会においてはそれなりに機能します。まずなにより、上述の「住みやすい街ランキング」のようなものとして機能します。多くの人が望んでいるものを指標化しているのですから、幸福指標がやっていることも本質的に同じです。そして、このような幸福指標は、民主主義的社会においては正統性を得やすいということもいえます。民主主義の本来の意味は、「皆で決める」ということですから、何をもって「皆で決め」たことになるのかという点で、難しい議論をしなければならないわけですが、日本を含む代議制民主主義を制度化している社会においては、多数派が「皆」を代表しやすいわけです。この点、上のような幸福指標は、そもそも多数派の好みを表現しようとしたものですので、多数派に承認されやすい。したがって、政策にとっての根拠として採用しやすいわけです。

このように、実用主義的幸福指標は、それなりに有用かつ人びとに支持されやすい性質をもっています。その上で、今回お話ししたかったことは、この実用的幸福指標には、適用できない領域があるということです。それが一対一の対人支援の領域です。このような支援をこの連載では「パーソナルサポート」(personal support)と呼ぶことにしましょう。これはソーシャルワークにおける「ケースワーク」や、医療における「臨床」を含んでいます。ポイントは、どんなに多数にとって望ましいものでも、特定の個人にとっても望ましいかどうかは、別問題ということです。

たとえば、当事者に対して何らかの支援活動を行って、その前後で実用的幸福指標を用いて、その人の幸福度を測定して、スコアが改善したとしてそれが何を意味するのでしょうか。いうまでもなく、その結果は、個人の幸福度(幸福が度合いとして表現できる概念であるとして)の改善を保証しません。というのも、幸福指標が真の幸福度と関係がない点を差し引いても、幸福指標が通常は多数派の好みや望みを反映したものであることから、特定の個人に適用できるとは限らないからです。

例えていえば、幸福指標を個人に適用するのは、禁煙が肺がんの罹患率を減らす上で大きな効果があるからという理由で、タバコを吸わない人にも禁煙を勧めているのと同じです。この禁煙キャンペーンは、集団に対して行われるときには統計的に有意な結果が出るという意味で効果があがるのですが、個人に対して使用しても、結果が保証されません。結果が保証されるのは、幸福指標を構成する諸項目のすべてを当該の個人に合うようにチューニングした場合のみということになるでしょう。

このように、一般に、実用的幸福指標のスコア上の改善を目標としてパーソナルサポート(1対1の対人支援)を行うことは妥当ではありません。もし幸福指標をパーソナルサポートで活用するとすれば、幸福指標と当事者のニーズとの間に、常に乖離があるということを前提として参照するということになるでしょう。この点については、またあらためて「生活モデル」を具体的に考える際に議論したいと思います。



付録

私が高校2年生のときに、熊本におりました母方の祖母が亡くなりました。といっても、母の家族はもっぱら母の祖父だけで、私が「ばあちゃん」と呼んでいた人は、母の祖父の後妻でしたので、系図的には曾祖母にあたります。彼女が亡くなったとき、喪主の母に付き添って葬式の手伝いをしたのですが、そのとき、来る人来る人みんな生前彼女に言われたこと、されたことを愚痴っていくわけです。香典の集計もやったのですが、五百円という人が何人もいて、どんだけ嫌われてんだよと思いました。同時にそれだけ嫌いでも、最後のお別れだけはちゃんとやるものなのだなとも思いました。

そういうこともあったので、三回忌以降はやらなくてよいのではないかと母に提案したりもしましたが、驚くべきことに、三回忌、七回忌、十七回忌と、いつまでたってもたくさんの人たちがやってきて例のごとく愚痴ってゆくのです。「散々な目にあったばってん、おらんごつなると寂しかですもんね」(熊本弁)とおっしゃる方もあったりました。

月日は流れまして、比較的最近のことなのですが、タケウチくんという寺の住職の息子が、卒論として葬式・墓について書くということになりました。先回の本編で、死の分析は難しいという話をしました。理由は来世についての情報が一切入手できないからですね。ただ、死というものを現世の人びとがどのように受け止めてきたか、いいかえれば死の現世における取り扱い方から、他者の死の現世的意味を考えることはできます。代表的な論者は、フィリップ・アリエスですね。先駆者もありますので、葬式や墓の研究は十分にできる。そういう認識に基づいて、タケウチくんの卒論のサポートすることにしたわけです。

そうしますと、上の私の(曾)祖母のことが思い出されるわけです。そもそも、私たち人類のほとんどはすでに死んでいますから、その情報がそのまま足し算的にこの世界に具現化されていると収拾がつかなくなります。その典型が墓で、「永代供養」などという言葉がありますが、現実には墓はある時点で「店じまい」される(このあたりの事情はたとえば鈴木理生『江戸の町は骨だらけ』2004あたりが面白く学べます)。そして、次の時代に生きて死ぬ人びとのためのスペースが確保されるわけです。この墓が建てられてからそれが撤去されるまでの一連の過程は何のためにあるのか、ということを考えようとしたわけです。

その過程で、私は、墓は記憶の「風化」という現象を活用して、人生の足跡という情報から、恨みその他の負の部分を洗い流して、美しい記憶として残された人の中に情報を上書き保存する装置なのではないかと考えるようになりました。私たちは、記憶の風化を管理することで、辛いことや別れに満ちた過去に縛られずに未来に向かって生きて行けるのかもしれません。そして、残された人がみないなくなったとき、墓は一つの役目を終えるというわけです。

上のような機能は、必ずしも「墓」という形を取らなくてもよいかもしれません。かつては先祖から子孫に向かう一連の時間の流れが意識されていたので、「〜家代々之墓」なるものが作られていたわけですが、現代においては、そのような縛りはもうないかもしれない。そうしますと、墓と同じ役割を果たす「装置」はいろいろなものが考えられるでしょう。ただ、私たち人間は、何らかの形で墓がもっている機能を使って、未来に向かって生きてゆく生き物なのかもしれない、とも思うようになった今日このごろなのです。


きらわれ婆の墓
Youtube版(動画、歌詞付き)

SoundCloud版(音質がちょっとよい)

ぼくのお婆さんが死にました
強欲で知られた人でした

葬式にやってきたみんなは
どんなにひどい目にあったかを
代わる代わる語りました
香典はあまりいただけません

3年後も7年後も 多くの人が集い
あいも変わらず口々に
どんな目にあったかを 語りました

境内の隅にある墓には
菊の花が供えられ
早春の風に乗って
線香の香りがしています

17年後も人びとは集い
どんな目にあったかを 語りました
香典はあまりいただけません
でもみんな笑っています

境内の隅にある墓には
菊の花が供えられ
早春の風に乗って
線香の香りがしています

時が経ち もう墓を訪れる人はなくなりました
思い出も それはひとときの

境内の隅にある墓には
菊の花はもうありません
早春の風が吹いています
早春の風が吹いています

早春の風が吹いています


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