最後の福祉国家 序章2
■『病院の世紀の理論』と地域包括ケア政策
もう10年以上前のことになりますが、2010年に私は『病院の世紀の理論』という本を上梓しました。これは純然たる研究書でしたので、学術的に細かいことがあれこれと書いてあるのですが、医療・福祉関係の人びとの耳目を引いた部分があったとすれば、20-21世紀転換期が、医療にとっては「医学モデル」から「生活モデル」への転換期にあたる、という私の理解だったと思います。それは、患者を医学的な意味で治癒することを究極的な目的として編成された医療システムの時代から、ウェルビーイングあるいはQOLを究極的な目的として編成された医療システムの時代へ移行するということでもありました。折しも、在宅医療・地域医療の可能性が模索されていた時期、また当時地域包括ケア政策の立ち上げの時期であったことから、それなりに私の議論は注目されたというわけです。
QOLの最大化(最適化)を目標とする医療システムは、病気を治療するだけでは目標に近づくことはできませんので、医療システムには患者の生活(人生)を支えるために、患者との関わり方も、医療資源のあり方も、多様になるはずで、そうしますとそのような医療のあり方に一般的により適合的なのは、急性期病院のような環境よりも、病気になる前から生活を営んでいた環境(たとえば在宅)ということになります。としますと、医療システムは、従来よりも在宅よりに重心をおいたシステムになるわけです。大まかにいえば、そういう理屈で、医療モデルの転換は、在宅ケアや地域ケアを促進する方向に作用するという見通しを、私は上記の著書で示しました。しかも単に思いつきではなくて、比較史というシリアスな研究の結果としてそれを導出したこともあって、拙著の上梓後しばらくは、地域包括ケアシステムの理論的基盤を提供した研究者とみなされて、多少チヤホヤされるということがあったりもしたわけです。
ただ、別のところで書いたように、当時推進されていた地域包括ケアの推進政策には、私の理解と基本的なところで食い違っていたりもしました。今日的な観点からみると、当時政策推進されていたのは、「覚悟なき地域ケア」であったと思います。当初言われていたのは、地域包括ケアが「高齢化対策」として有効だということでした。2000年代に医療・福祉現場におられた方であればご記憶かもしれませんが、当時言われていたのは、膨大な数の人が亡くなってゆく時代に突入する中で、それらの人びとを病院などの施設で引き受けることができないので、在宅での看取りを増やさなければいけない、という議論でした。私は当時からこれはとても変な議論だと思っておりましたが、要は高齢化対策の一環として在宅医療を増強しようというものだったのです。在宅医療に従事していた方々の中にも、この議論に違和感を持っておられた人は少なくなかったと思いますが、それまであまり日の目を見る機会のなかった在宅が注目されるならまあいい、ということで、呉越同舟よろしく在宅医療の方々もこの論法に乗っかったのでした。
この議論の何が変かといいますと、在宅医療が優れた医療だから普及するべし、という議論ではなくて、在宅医療が数合わせに使えるという議論だった点です。そして、この数合わせは、当時病院の平均在院日数がどんどん短くなっていたことは考慮されていませんでした。単純に考えて平均在院日数が半分になれば、病院は倍の看取りを行うことができます。そして当時の死亡者の予測値は、その範囲に収まっていたのです。今日に至るまで、日本において在宅死は一般化していませんが、それは当然のことが起きたに過ぎません(ただし、最近では高齢者施設で亡くなるケースが徐々に増えてきています)。
話を戻しますが、2010年代に政策推進された地域包括ケアは、この2000年代の地域や在宅で高齢化対策を進めるというアイデアを引き継いで成立したものでした。有り体にいえば、病院から患者を在宅に移すことによって、高齢者に対する無駄な医療を省くことができ、また地域に眠る資源を活用することで、全体としてのケアコストが下がるというアイデアでした。私がこのような地域包括ケア政策について「覚悟」がないと申し上げたのは、本当は地域ケアには大きなコスト増加要因があって、真面目にやりますとむしろコストが上がってしまうものだったからです。本来地域ケアの推進は、そのようなケアが優れた性質をもつケアだから、仮にコスト増となっても推進すべきだという理屈で実施されるべきものだったのに、コストが下がるという幻想を振りまくことで、地域包括ケア政策は、何の覚悟もないまま実施に移されたのです。結果として、国が一生懸命旗を振っても、一貫して多くの自治体では消極的にしかこの政策に協力しないということがおきました。本来、地域包括ケアには新しい時代に適合的な部分があり、普及する方が望ましいのですが、地域包括ケア政策が、はたして普及に寄与したかどうかは慎重に再検討する必要があるのです。もっとも官僚は、自身の政策を失敗とは決して言いませんので、このような仕事は学者が行う必要があります。
----付録----
私は、小学校を6つ通った転校生でした。熊本、福岡、東京と点々としました。学校生活は基本的に孤独でした。稀に私と親しくしてくれる子もあったのですが、当然その子にはもっと親しい友達がいましたので、基本的にはお預けを食っている状況に置かれて、なおさら孤独感を深めていたという記憶があります。中学高校はいわゆる「6年一貫校」におりましたので、とくに転校生ということではなくなったのですが、基本的には独りぼっちであることには変わりなかったように思います。そうすると、私がいつでも孤立的であったことの原因は別にもあるということになりますが、その点については次回で。いずれにしても、社会科学者の資質として、集団を外部者の視点から観察できることがあるのですが、はからずも幼少期はずっとそのトレーニングをさせられていたようなものだったと思います。
白昼夢/ daydream
Youtube版(動画、歌詞付き)
SoundCloud版(音声、音質がちょっといい)
転校ばかり 友だちもなく
色も匂いも感じない場所
窓の外 遠く見える山を
ずっと見てた 小学生
くだらない それはきっと
くだらない それはきっと
くだらない それはきっと
くだらない 思い出
学校休んでいいと
誰も教えてくれない
人とは違う道順で
友だちのない教室に着く
クラスのリーダーは見捨てない
その佇まい 観自在菩薩
でもそれは勤めを果たす姿
本当の僕には無関心
くだらない それはきっと
くだらない それはきっと
くだらない それはきっと
くだらない 思い出
くだらない それはきっと
くだらない それはきっと
くだらない それはきっと
くだらない 思い出
忘れたい それはきっと
忘れたい それはきっと
忘れたい それはきっと
忘れたい 白昼夢
忘れたい それはきっと
忘れたい それはきっと
忘れたい それはきっと
誰か見た 白昼夢
ふと思う これは悪い夢
現実から一番遠い
キャストミスの 白昼夢
キャストミスの 白昼夢
lyrics: 1.o (私のことです)
music written by 1.o (powered by Udio)