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11月23日(土)人生は演劇だ

暖房をつけたまま寝たのは、失敗だった。むずむず脚症候群が出て、何度も起きた。土曜日なのにってイライラして、訪看に電話かけて、今はちょっと無理って言われて、もういいよって言って切った。相当イライラしていた。

再び目を覚ますと、ラインの通知が来ていた。激怒した友達が、”noteに気持ちを書いた”って報告のラインだった。あと、ブロ解したってライン。うん、優しくなくていいんだよ。私なんかに優しくする必要なんてない。

私は、都合のいい人格を求めてた。感情を背負ってくれて、時には自分が出来ない行動化して、ストレス発散(逆にストレスかもだけど)してくれる人格も。だから、多重人格になりたかった。でも、それと”DIDになりたい”とは別だ。人格も一人の人間として苦しみながら、必死に生きていて。行動化も、いい方向とは限らない。日常生活に支障をきたしているのだ。イコールに見える二つの言葉は、医学的には=かもしれないが、当事者には≒で、言葉一つにして大きな不快を与えるものだった。

良い面しか見ていなかった。良い面だけ見て、羨ましがってた。きちんと見れていなかった。きちんと知れていなかった。貴方の苦しみを、知ってるつもりになっていただけだった。ごめんなさい。

どうやら私は、友達をコントロールしてしまったみたいだ。理想通りに相手を動かそうとしたようだ。でも、どこでどうコントロールしていたか、分からない。自覚がない、BPDの症状、だからといって許されるわけではない。

訪看さんに言われた言葉を思い出した。「思っていなかった方向に事が進んで、どうすればいいのか分からなくなって、人間関係を元に戻すよりも、諦めてきたことって多かったんじゃないかな?」その時は、そんなことないけどなって思ったけど、今はその通りだと思う。諦める方が、楽だから。

友達と、今後どう関わっていけばいいか分からない。人とも、どう関わっていけばいいのか分からない。怖い。怖くて、何も出来ない。



私は、昔、母から虐待を受けていた。今思えば、母もBPDだったし、祖父もBPDだった。ADHDの傾向が、今より強かった私は、やってはいけないことばかりして、怒られ、暴力を振るわれた。異常な怒りで、いつか自分は殺されると思った。

ある日の、ある事件を起こして、虐待され、私は思った。””いい子”になれば、もう暴力は振るわれない。痛い思いも、怖い思いも、しなくて済むんだ”。その日を境に、私は生まれ変わったように”いい子”になった。母が求める自分を考え、”いい子”の役を演じた。

歳を重ねるごとに、世界は家から広がり、私の”役”のレパートリーはみるみる増えていった。考えなくても、その場の状況に合わせて、色んな役を演じられるようになった。

役には、モデルがいた。身近な理想的な人、テレビや漫画の登場人物。0からではなく、1から役を作ることは、容易かった。

そのうち、私は、”役”を演じる役者であって、押さえつけ続けてしまった本当の”私”を見失ってしまった。空っぽな心に役を入れ続けるだけの、機械になってしまった。

機械は、コントロールを失った。役を自由に切り替えられなくなった。自分は解離して、多重人格になったのだと思った。でも、モデルをベースにした役を演技するなんて、解離じゃない。演技して解離になるんだったら、皆解離になる。私は、”解離する役”、”多重人格の役”を演じていただけ。コントロールが効かなくなったのは、役を演じきれなくなって、それが本当の気持ちとなったから。

世の中、皆、大なり小なり、役を演じている。私だけ特別なんてことはない。

役を演じて、現実から逃げていた私は、逃げすぎた。そして、逃げ方を間違えた。

人というものは、ある程度自分の”軸”を持っている。それは、幼少期からの成功体験や自信、他者との関りによって形成され続けている”軸。その軸があるから、”自分”を持てる。当たり前のように明日が来ると思えるような、生活を送れる。でも、その軸に”歪み”が存在すると、人生のどこかで躓くのだ。

私の軸は歪んでいる。歪み切っていて、もう元には戻せないのではないかと思う。

これからどう生きようか。少なくとも、私は、多重人格じゃない。ただ役を演じてるだけ。そう、この逃げ方をしようとしたら、否定する。自分を否定する。ただ、役を演じればいいだけ。役に意志なんてない。役に存在するのは、セリフとコンセプトのみ。従順に従えばいい。

今更、役を演じずに生きる方法なんて分からない。一つの自分、なんて分からないし、分かろうと思う気力もない。今の私には、頑張る気力なんてない。どうでもいいって投げやりな気持ちしかない。

分からないなら、分からないなりに、ただ何も考えず演じ続けて、それ以外の雑多なものは否定しよう。投影性同一視が起こらないように、役のモデルは慎重に、失礼の無いよう、相手の素敵な部分だけ。それ以外の、自分のすることは、全部否定しよう。そこで、苦しんでも、これ以外の方法を、私は知らないのだから。限界が来たら、その時はもう、終わりにするだけだ。

咲いた花を、蕾にはもう戻せないのだから。歪みも何も戻せない。


人生は、そう、演劇だ。


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