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2月21日(金)病院への最後の期待
8時くらいに後輩に起こしてもらった。とぼとぼ病院に向かった。
本当は、今日は主治医の外来は無いんだけど、こっちは生存の危機に立たされているから、”お前どうせ病棟いるなら降りてこいや”という気持ちで、受付で強気な交渉。主治医は降りてきた。
バイトでパワハラを受けて抑うつ状態になっている事。一人では夜を過ごせなくなって、後輩の家に寝泊まりしている事。昼夜逆転してること。希死念慮が強い事。頑張って話した。
主治医は、「そうですか。状況は分かりました。」の一言で、私の苦しみを片付けた。
私は、最後の希望をかけて言った。「頑張った結果、しんどくなった時。昼夜逆転して、生活リズムを戻したい時。開放的に入院できる環境が欲しい。頑張っても、1歩踏み間違えたら、閉鎖的環境に監禁される恐怖と闘うのがしんどい。」
「どんな状況であろうと、入院環境は変えません。開放的な環境は、看護師からすると翠さんが負担になるので。ですので、電子機器は使用禁止ですし、保護室で入院してもらいますし、入院の際は必ずご両親に来てもらって、話し合ってから退院です。それだけ入院は重い事なんですよ。それでもよろしければ、バイトを休みたいということで、入院できますよ」
この人、私の話、きちんと聞いてた?
言ってることは、BPDの観点から見ると、正しいのかもしれない。でも、私は、BPDだけを患っているわけじゃない。
それに、言い方ってものがある。同じBPDの患者でも、寄り添ってくれる主治医がいる中で、ここまではっきりと突き放す必要があるの?そんなに私が私らしく振舞うことは他人の負担で、他人を振り回して、邪魔なんですか?主治医はまた、私の過去の入院で築いた、看護師との関係性を否定した。私の9カ月を否定した。
「入院は結構です。」
OT室で、OTもせずに駄弁った。眠すぎて、何回もあくびと寝落ちしたけど。OTさんは、「絶対に負担なんかじゃない!!」って言ってくれた。OTさんのおかげで、クソみたいな主治医でも、病院に通い続けられたんだ。でも、もう無理だ。ごめん。OTさんのこと、死ぬほど大好きだよ。
あの医者と、何度頑張って話して、何度傷ついて、何度ダメだったんだろう。長い入院生活で、話して伝えることが大事って教わったのに、伝えても無駄って教わったのは、貴方でした。
私は、縁の下で支えてくれる病院を探そう。話が通じる医者を探そう。話を聞いてくれる医者を探そう。全てじゃなくても、頑張ったことを認めてくれて、私を信じてると言ってくれる医者を探そう。いざとなった時、頼れる病院を探そう。
さよなら。看護師さん、OTさん、心理士さん、前の主治医、感謝してもしきれない。本当にありがとう。
母と話しながら学食を食べた。
家に着いたら、丁度訪看の時間。雨が、静かに、淡々と、あった出来事を話した。それに対しての訪看からの話は、紗那と有莉紗が代わり代わりしながら聞いていた。話した記憶も、言われたことも、ほぼ覚えてない。
覚えているのは、気づいたら訪看が帰っていたこと。「生活リズムを立て直そう」「予定を減らそう」と、いつもの事を言われた事。
もうどうせ、同じことしか言われないんだから、訪看なんて受けても無駄。覚えてないんだし。
ヘルパーさんが来て、私はお金の清算しかしてない。ヘルパーさん、来るたびに私が何もしなくなっていって、本当に申し訳ないです。ありがとうございます。
バイトは、久しぶりに忙しかった。でも、ナナコさんがいたから楽しかった。店長いたけど。賄いが食べたくなさ過ぎて、「さっきまで脱水で入院してて、医者から今日の夜まで絶食って言われたんです。」って嘘ついた。でも、結局お腹空いて、賄い食べた。賄いのカレーと白米まで追加でもらえて、ラッキー。後輩にあげよう。
帰りが遅くなって、24時とか。ごめん。ほんとにありがとう。