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12月1日(日)自分を客観視できなくなってるかも

鍋パーティーは先輩たちが買い出しに行ってくれた。着いたらもう、食材も切られてて、鍋汁の沸騰待ちだった。まじで何もしてない。申し訳ない。遊んで遅れたのに、逆に遊んだ話を聞いてくれて、皆が優しくて自由でありがたかった。手ぶらで来ちゃったし、次はお菓子買ってこよ。前回も同じこと思ったのに。

私のリクエストでもつ鍋。モツめっちゃ食べちゃって、後輩全然食べてないらしくて、申し訳ない。私のがめつさは遠慮を知らない。締めはうどんを食べた。

一旦机を片付けた後、先輩が私に”本日の主役”と書かれたタスキを渡した。まさか祝ってもらえると思ってなかった私は、そうじゃなかったときに自分が傷つかないように、そして、誕生日に固執してると思われないように、忘れたふりをした。誕生日ケーキとシャンメリが机の上に並べられ、トーキがケーキに20のろうそくを刺した。部屋の電気は消え、ロウソクの明かりがほのかに部屋を照らす中、バースデーソングが始まった。まるで、夢でも見ているようだった。こんな素敵なお祝い、まるでドラマの世界みたい。なのに私は、喜びも何も感じなかった。動画に映る取り繕った笑顔を、私は見たくない。

その後、テーブルにはお菓子とジュース、時々エナドリが並べられ、桃鉄というゲームをした。ルールが分かると、結構泥試合になって面白かった。

時計も0時を回って、新しいゲームに移った。皆深夜テンションで笑ってる中、私は夜の”鬱モード”に移行してしまっていた。まあ、その場にいるだけでもいいだろうってスマホを見てたら、私にもゲームのターンが回ってきた。これの何がそんなに笑いこけるほど楽しいのか、終始全く分からなかったけど、周りに合わせて笑った。楽しいふりをした。

26時半、各々明日のために、解散した。この時間に解散だと、寝れないだろうな。ほんとは皆でオールしたかったな。

家に帰って、疲れ果てて、リビングに30分ほど寝そべっていた。でも、動かなきゃと思って、病棟に電話した。「私なら、風呂に入って、迅速に寝れる。できますよ」って言ってくれたから、頑張って風呂に入った。

風呂で私は、久しぶりに、手足の爪を全て剥いだ。血こそ出さなかったものの、一番最初に自分がした自傷行為を、久しぶりにした。そして、全身の毛を剃った。髪の毛は何とか守った。自分では制御できない何かに支配されてた。私には、出来なかった。

今日、皆が楽しかった中で、自分だけ楽しいと思えなかったことが、申し訳なく、そして置いてけぼりに感じて、それでも楽しいふりを続けたことが相当ストレスだったのだろう。毎日毎日、コップに溜まっていたストレスが溢れ出たのかもしれない。

まさか風呂で挫折するとは思っていなくて、久しぶりの出来事に頭はパニックになった。今から寝れば、4時間は寝られるのに、そんなの考えられないくらいパニックだった。病棟に電話しても、繋がらない。訪看に電話しても意味が無かった。頼る相手がいなくて、最終的に、母に電話した。

久しぶりに娘が朝に電話をかけてきたことに、母は驚いていた。私は、日常生活で徐々に出てた、SOSのサインを見て見ぬふりをして生活していた。これ以上、何かの予定をセーブすることは難しかったから、SOSに対処する術が無かった。授業は面白いから出たい。部活は幹部代だから出なきゃ。バイトはお金を稼がないと。責任と義務に駆られ、何も譲れなかった。これは、趣味に似ているのだが、今楽しいと思えなくても、根本に楽しいと思う自分がいるから、責任や義務で自分が潰されそうになっても、譲れないのだ。

もう限界のところまで来てて、嫌いな母に助けを求めたり、記憶がバラバラになったり、久しぶりの自傷行為をしたりして、メンタルは崩壊して、号泣してた。そんな私の話を聞いて、母は、医療保護入院で一週間ほど休むことを私に提案した。もう私の力じゃ、自分を制御できないことを、母も分かっていた。”やるべきことが今週もいっぱいで、まだまだ自分はできるから、入院なんかしたくない”って自分と、”もう限界だから、誰か止めて下さい。助けて”って自分が丁度半々だった。半々過ぎて、議論は堂々巡り。もう私の頭じゃ、この状況を客観視できないけど、誰が見ても、入院した方がいい状況なのだろうことは、母から伝わった。

半々だった気持ちは、朝に近づくにつれ、今を続ける自分に偏って、外面の自分に移り替わっていった。だから大丈夫とは伝えたけど、母はとりあえず病院に連絡するそうだ。

弟の受験発表日の朝に、本当に心配をかけてごめんなさい。

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