逃げ水 #8 | カンパリソーダは光る
「ぼん、そっちは上座やろ、オマエはこっちや」
片山先輩が片側の口角をわざとらしくあげて、ニヤニヤしながら座席を指定してきた。
普段から礼儀にうるさい先輩が言うなら、背筋を伸ばして返事をするところだが、片山先輩は公衆便所に落書きされた電話番号に平気で電話をかけるような人間だから、真面目に受け止めるほど無駄なことはない。
そもそも、どこが上座なのか、わかっているのかどうかも疑わしい。
「この席配置やったら、どっちが上座かわからへんでしょ?」
店の入り口に対して直角に配置された2列のベンチシートのどちらが上座か、考えても答えが出ない構造だったから、当たり前のように返答する。
「真面目か!おもんな。」
片山先輩はケタケタ笑いながら、自分で上座だと認識した方へ移動して、ドカッとベンチシートに体を預けた
あだ名
他の先輩も、外注先のスタイリストさんやカメラマンも、僕のことを「ぼん」と呼ぶ。片山先輩の影響だ。
まだ一つの物件も最後まで担当していないのに、先輩が担当している物件の打ち合わせにきた彼らに「今度入った新人ですわ、ぼんって呼んだってください」と紹介してくれるものだから、社内でもそう呼ばれるようになってしまった。
なぜ「ぼん」なのか。
どこぞの資産家や会社社長の息子でもなく、至極普通一般個性のない家庭に育ったから「ぼんぼん」な訳はないのだ。
しかし、そんな観点であだ名をつけられたわけではないらしい。
なぜなら、身の上話をしたことがないからだ。
ではなぜ、どんな理由でつけたのか。
気になる。
思い切って聞いてみた。
「ん〜 あれやな、第一印象から決めてました、っていうんかな? なんかお坊ちゃんっぽいからやん?」
深い考察なんか一切ない語尾のイントネーション。潔い良いくらい適当な付け方だった。
もし親にそんなノリでキラキラネームをつけられていたとしたら、一生恨んでいたと思うが、このあだ名はまぁ、別に害はなさそうだし、親しみ易く感じて貰えてそうだしいいか、と特に深く考えずに受け入れていた。
キレイなお姉さんと内蔵の煮込み
「何食べる?」
とりあえずの生ビールを注文した後で先輩が言った。
イタリア料理が主体のダイニングバーだという認識を持ってメニューを開いてみたが、どんな食べ物なのか想像がつかない名称ばかりだった。
カプリチョーザのメニューには掲載されていないものばかりだ。
ざっと目を通していて、ふと目に止まったメニュー。
「先輩、この『トリッパ』ってどんな食べ物ですか?」
トリッパ。
どんな食べ物なのか想像がつかないけど気になる響き。
「それはあれやな、あ、見んなよ? キッチン前のテーブルの姉さん2人組おるやろ?二人とも胸元開いた服着たセクシーコンビの。あの二人が食べてるやつ。」
いや、キレイなお姉さんは見えるけども。
何を食べているかまでは全く見えない。
先輩はお姉さんが気になっているだけなんだろう。あんなに可愛い彼女がいるのに。
「牛の内蔵、胃やったな。それをトマトソースでグツグツ煮込んだやつやわ。赤ワインに合うで。」
「あ、そやそや、ぼん、トイレみてこいよ。」
「はい?いや、別にまだ行きたくないですけど。
あ、あれですか、トイレ行くふりしてセクシー姉さんの食べてるトリッパを見てこいってことですか?」
「ちゃうわ。あ、姉さんの胸元見るんは別にええで?見たいやろうし。ま、それは冗談として、トイレは見ておいた方がええねん。」
そう言って片山先輩は、なぜトイレを見ておいた方が良いのかを解説してくれた。
それによるとまず第一に、トイレ空間はデザイナーが結構力を入れてデザインしているから、ということだった。
予算に制限があるお店のデザインにおいて、メインの客席空間全体にアイデアをふんだんに散りばめたデザインをすると、あっという間に予算オーバーになる。
だから、トイレという狭小空間に表現したかったことを、ぎゅっと凝縮して実現しようとしている人が多いらしい。
トイレくらいの小さな空間であれば、多少はっちゃけたアイデアを展開したとしても、面積が小さいので意外と実現ができるから、という説明だった。
いつもふざけている先輩の言葉のトーンと違っていたこともあり、なるほど、そんなんかな?と真偽半々の気持ちでトイレに向かった。
インゴマウラー
トイレに向かう道すがら、キレイなお姉さんがつついているトリッパを横目で確認しようとしたが、トマトソースなんだな、とわかるくらいの情報しか得られなかった。
トリッパのことはもういい。どうせすぐに目の前に配膳されてくるのだから。
チェリーの突板が仕上げのフラッシュ扉につけられた、真鍮が少し褐色に変化しつつあるレバーハンドルを回し、トイレの個室へ入った。
目に飛び込んできたのは、真っ赤な液体が入った瓶が、円環状に並んでいる物体だった。(ヘッダー画像)
環の中心には、ハロゲンランプが設置されていた。
光源から発生した真下に落ちる光は、瓶に満たされた赤い液体を通過せずに、洗面台に色温度が低く、輝度の高い光束を到達させていた。
一方、ランプから水平方向に染み出した光は、赤い液体を通過して、壁にゆらぎのある赤い光を投影していた。
この照明器具に目を奪われ(元々用を足すつもりもなかったので)じっくりとディテールを観察する。
円環状に8個並んだ瓶は本物のお酒、カンパリというリキュールの瓶のようだ。
BARでカンパリソーダを頼むことはあったけど、そのリキュールが入った瓶はみたことがなかった。
それをこんな形で知ることになるとは。
本当にこれがリキュールの瓶なのかどうかは、調べてみないとわからないと思ったが、わざわざガラス瓶にロゴの浮き彫りを施したり、8個の瓶を束ねるパーツに瓶の蓋を使うといったゼロベースの開発をするとは思えず、印象論ではあるがこのお酒は本物なんだろうなと思った。
デザインを考えるときに、ただの「シャレ」や「パロディー」で完了させて良いのであれば、いくらでもネタは出てくると思う。
しかし、そんなデザインがプロの目からして「いいデザイン」と認知されるとは到底思えない。
そんな中にあって、この照明器具は、シャレやパロティーの要素をふんだんに併せ持っているのに、そんなことは我知らず「これがデザインだろう?」と語りかけてくる気がした。
肩の力を抜いているようで、問いかけてくる目の奥底に潜む情熱をぶつけてくる感じ。プロダクトとして完成させる腕っぷしに畏敬の念を抱いた。
デザインとはなんと奥深い行為なんだろう。
片山先輩の軽口も、実は深読みするとそんな奥行きある含蓄があるのだろうか?
用を足し、手を洗いながらそんなことを思うかべて、トリッパを待つ席に戻った。