墨出しの匂い
解体が終わり、墨出しがされた直後の現場に行くのが好きだ。
空間に希釈された墨の残り香が、これからつくられていく構造物を予感させ、小さなモニタでくすぶっていた立体がリアルになる期待感を高めてくれる。
モニタに表示された無機質で疑いようのない線が、張力を帯びた糸に浸された墨によって、おおらかに実空間に現れる。
精度をどれだけ高めた設計でも、最終的に人の手の精度に還元される瞬間だ。
それは一度乾燥させた食材を水で戻した時に得られる旨味のように、同じものだけど違った味わいがある。
必要な線から外れた墨が描く飛沫は、この空間の完成を激励してくれる拍手のようだ。
この線からあそこの線まで、歩幅を一定にして歩いてみる。
うん、そうだ。これでよかった。
思った通りの感覚が得られてはじめて、設計が上手くいったと実感が持てる。
現場に描かれた原寸大の設計図によって、設計者の意図はつくり手に橋渡しされて、それから以降は約束された時間の使い方通りに、規則正しく実体化されていく。
想像が実体化するこの瞬間は、何度経験しても飽きることはない。
今日もどこかで、誰かの思考が墨の匂いをともなってかたちをつくりはじめている。
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