高架下の部屋
小学生のとき、遠足で近所の河原を皆で歩いた。河原に生える植物の名前を、ボランティアのおじさんおばさんから教えてもらう企画だったと思う。そこでギシギシという名前の草があることを知った。
河原を歩いていると、川をまたぐ橋の下を何度かくぐる。ある橋の下に、誰かの住処があった。
そこには部屋のような空間が広がっていて、地面に絨毯が敷いてあり、様々な家具などが壁のように周りに並んでいた。橋を屋根にして、部屋があった。電子レンジもあったと思う。でも、今思えば河原でどこから電源を取ってくるのかは謎だ。住んでいる人はその場にはいなかった。すでにそこには住んでいないかもしれないような空気も漂っていた。そもそも部屋として住まわれていたかもわからない。不法投棄が部屋のように見えただけかもしれない。
記憶の中の話だから妄想も入っているかもしれない。ただ確かに覚えているのは、その橋の下の空間に、えも言われぬ気配があったことだ。
亡くなった祖母の遺品整理を手伝ったときのことを思い出す。祖母はすでにこの世にいないけれど、家には祖母の気配があるような気がする。家にある物が、祖母の生活を醸し出す。祖母とは小さい頃に会って以来、最期まで会わなかった。会わなくなったのは、親と祖母との関係に亀裂が走ったからで、親の影響を受けて僕自身も祖母にはざらつく思いを抱いていた。だから、遺品整理をしているとき、遺品が醸し出す祖母の生活の気配に、どこか落ち着かなかった。拒絶されているわけでもないが、歓迎されているわけでもない、いや、むしろどこか歓迎されていて、こちら側が歓迎に身を委ねるわけにはいかなかったのだとも思う。
それと近いような感覚が、あの高架下の部屋にはあった。きっと誰かが住んでいて、あるいはあの道具を誰かが使っていた。その主は不在だった。あの空間は外に開けていたけど、他者を拒んでいたのかもしれない。あるいは、こちらがあの空間を拒んでいたのかもしれない。
でもあの空間にあったのは、そういった雑然とした思いだけではないとも思う。高架下に作られた部屋は、どこか秘密基地のようでもあった。ワクワクと寂寞が重なり合うようにも思えた。あそこに実際に人が住んでいたかはわからないが、住んでいたとしたら、一人の若いおじいさんが淡々と拾い物で住処を作り上げているイメージが浮かぶ。
小学生の頃に出会ったこの空間のことを思い出したのは、卒論に向けた研究がきっかけだ。
自分の人生の生殺与奪を他者に委ねて、その不自由さに「それが社会だ」「それが人生だ」と憐憫に浸るよりは、自分の人生を自らの手で作り出したい。それがまた別の不自由さをもたらすのだとしても、他人に生殺与奪を委ねるよりは、はるかにのびやかに生きられるのではないか。そういう思いから、自らの生活をゼロから作る手法について関心を持っている。
そういうことに関心を持つまでの間に、坂口恭平の路上生活者研究を読んだ。坂口恭平によれば、路上生活者は「ホームレス」と呼ばれるが、彼らには彼らなりの「ホーム」がある。空間の用い方や材料が違うだけだ。彼らには都市空間が、(海の幸・山の幸のように)「都市の幸」を得られる場所であるようだ。路上を歩けばそこには色々なものが落ちていて、テレビや電球、家の材料など、生活に必要なものが「収穫」できる。電気は車の廃棄バッテリーからまだ残っている電力を引き出して、テレビやラジオを視聴することができる。そういう生活をしている人たちがいることを知った。
その折に、小学生の頃見た高架下の部屋を思い出した。
今日、その高架下の部屋を探しにいった。もう一度あの部屋を見たくて、そしてもしあの部屋に今も住人がいるのなら、話を聞きたくて、歩き回った。おそらくあの川沿いのどこかの高架下だろうなという当てはある。ただ、あの遠足でどのあたりを歩いていたのかは定かじゃない。
以前からその河原の下流側はよく散歩するので、そちら側に部屋は見当たらないことがわかっていた。上流側を探してみることにした。
しかし、なかなか見つからない。小学生が学校から歩いていける道のりは、どこまでだろうか。そこまで遠くにはいけないはずだから、ある程度歩いて引き返した。今日のところは見つからなかった。また今度、もう一度下流側と、さらに先の上流側を探してみることにする。
もしかしたらもうあの部屋はもうなくなってしまっているのかもしれない。家具は撤去されているのかもしれない。そもそも、あの記憶は幻だったのかもしれない。
しかし、歩いている途中で部屋ではないものの、不法投棄と思しき物品がいくらか置いてあるところがあった。あの部屋の残骸だろうか。
物は生活の気配を宿す。そして、気配を宿した物が捨て去られて風雨を重ねた姿をみると、物にも物なりの人生経験があるのだと思えてくる(「人」ではないけれど)。
だから迂闊には触れられない。それらを資源ごみとして捉えて、袋にまとめてリサイクルに出せば、何かスッキリした心持ちにはなるかもしれない。物にとっても、風雨を浴びて放っておかれているよりは、何かの役に立つ方がいいのかもしれない。でも、物たちには資源ごみとして触れて、袋に入れることを拒む何かがある。この物たちが経験してきたことを、「資源」という概念でスッキリ捨象して片付けてしまうのは、どこか不当なのではないかと思ってしまう。
かといって、僕の手でその物たちの経験を尊重しながら再利用しようにも、尻込んでしまう。捨てられた物には念めいたものも渦巻いているような気がして、触れづらい。そのまま素通りするしかないのだろうか。これまでもそうされてきただろうから、もう素通りには慣れっこかもしれない。
どうしたらいいかわからなくて、ひとまず写真を撮った。ここに物たちが確かにいることを、この目で見た。そういうつもりで。
まあ、物たちにとっては僕がずいぶん勝手な妄想を繰り広げているだけで、彼らは関係なくただそこにいるだけなのかもしれないけど。
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