出産立ち会いをした
その日は8月2日だった。8月8日が予定日でありながら勝手に出産日と予想していた8月1日を何事もなく過ごし、通常通り出勤したその午前中、妻からメッセージ。
「10分間隔を切ってきた」
陣痛である。
三人目にして初めての立ち会い出産に臨む私※は、
ワクワクソワソワしながらあらかじめ準備していた職場の引継ぎムーブを速攻で行い
「急がんくていいよ」
と言われているのに会社から駐車場までダッシュした。
(※前回の記事「立ち会い出産をしたい」参照)
約2分ダッシュ(ジョグ)しただけでパンパンになったその足でアクセルを踏み病院へ向かったが、助産師さんによると産まれるまでにはまだまだ時間がかかりそうな様子らしい。
上の二人は保育園だし最近なかなか夫婦二人きりの時間もなかったので、それならここでのんびり待とうかと思ったが、助産師さんに
「産まれそうになったら連絡するのでまた来てください」真顔で言われ、
あっさり私だけ帰ることになった。
夕方、
「もう来てくれてもいいらしいけどどうする?」
と妻から連絡が来たのですぐさま直行。
到着すると妻はすでに息を乱しながら陣痛室で一人痛みに耐えていた。
落ち着いたタイミングでどこをどうさすってほしいか聞き出し、陣痛がきたらひたすらさする。
近くに置いているモニタには何やら数値が表示されており、赤ちゃんと妻の心拍数、それに陣痛レベルなるものも表示されていた。陣痛レベルが80くらいになったら産めるらしいのだが、30で声を荒げてかなり辛そうにしている妻を見ると、出産が「命がけ」というのも実感がわく。
内診を行うということで私はいったん退出し、しばらくしてから助産師さんに呼ばれて部屋に戻った時にはすでに正念場に入っていた。
陣痛が来るたびに
「痛いーーー!!」
と泣き叫ぶ妻に向かって先生が
「痛いって言わずにいきめ。そのパワーを産む力に使え」
みたいな感じの言葉を冷静に言い続け、
その厳しさをカバーするように周りの助産師さんたちが
「ふくらはぎが痛い?もんであげるね」
「大丈夫よ。もうすぐよ」
と励ましの声をかけている。
私は仰向けになった妻の頭側の位置に立ち、いきむときに力が逃げないように頭を持ち上げてへそを向かせる係に任命されていた。
かける言葉は、無い。
「がんばれ」
「深呼吸して」
「もうちょっとやで」
「しんどいよな」
いろんな言葉が頭の中を巡ったがこの張り詰めた空気ではどれもが場違いに感じた。
もはや夫の出る幕はなく、すべてをここにいる医療従事者に任せるしかないのだ。
私にできることは部屋に入った時にチラッと言われた「いきむときに頭を持ち上げて」という指示を黙って遂行するだけである。
激しいいきみを数回繰り返した後、妻の言葉にならない叫び声とともにスルッと何かが出てきた。三男の誕生である!
出産というと「オギャー」という産声に、その名の通り体の赤いあかちゃん というイメージがあったが、
実際は産まれた瞬間、体は全身青白く、泣くのも出てきてから10秒ぐらいたってからやっと
「オニャア・・・」という声が出ただけだった。
時間がたつにつれて泣き声は力強さを増し、体も赤くなっていき、そこでやっと「ああ、産まれたんだ。元気でよかった・・・」と安堵したのを覚えている。
それまでは何も喋れなかった私だが、産まれてからは
「よく頑張った!」
「産まれたよ!」
「すごいよ!」
「ちゃんと泣いてる!」
「元気やで!」
のような言葉がポンポン出てきた。
産まれてしまえば夫が妻に言える言葉はたくさんある。
出産の際はバースプランというものがあって、出産時にどんなことをしたいか、夫婦の希望を院に伝えることができる。
おそらく最初で最後の機会なので
・へその緒を切らせてもらう
・胎盤を見せてもらう
をお願いした。
へその緒は「サクッ」と切れるのかと思っていたが、実際は「ジョッッキン」だった。ゴムチューブみたいな感触で思った以上にしっかりしているのだ。
胎盤は血みどろで見た目こそ衝撃的だが、子宮に張りついていた面、へその緒とつながっていたところ、赤ちゃんを覆う膜、そこに羊水が入っていたこと、など説明を聞いていくうちにだんだん愛着がわいてくる。
こいつがなければ胎児は生命を保持できないのだ。よく頑張ってくれた、お疲れ胎盤よ。
お互いの実家へ出産報告をし、おくるみにくるまれてスヤスヤと眠っている三男と、心も体も軽くなった妻と3人で穏やかな時間を過ごした。
妊娠から出産までよく頑張ってくれた妻よ
よくぞ産まれてきてくれた三男よ
ありがとう。
しかしこれからはもっと大変だ。家族みんなで力を合わせて頑張ろう。
それから約1か月。3200gでフニャフニャだった体は4400gまで増え、顔もおなかもプクプクである。これからさらに勢いを増して大きくなり、手も足もクリームパンみたいになるのだろう。
上のお兄ちゃんたちも慈しみをもって接してくれている。
2歳差3人兄弟、これからどんなに楽しく、幸せで過酷な生活が待っているのだろうか。
↓参照
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