人類救済学園 第肆話「恋の始まりは晴れたり曇ったりの四月のようだ」 ⅰ
【前回】
i.
燦々と講堂の光が降りそそぎ、爽やか……と言うにはいささか強すぎる風が、鳳凰丸の髪を揺らしていた。
「うー、まぶしぃ……」
と、鳳凰丸は目を細める。なんだか空気が薄いぞ、気圧で耳がキンとするぞ、と鳳凰丸は思った。鳳凰丸がいるのは校舎の最上部、円塔の頂きだ。地上から遥か遠く離れたその場所に、鳳凰丸は立っていた。
そこはテラス状の構造になっていて、そこからは、世界の果てまで見渡せる……などと、まことしやかに言われていた。しかし、実際に世界の果てを見たものなど、いるわけがない。
「いるわきゃないのだよ……」
などと呟きながら、鳳凰丸は腰をおろし、体育座りになった。膝にあごをのせ、ふぅぬ、と鼻から息を吐きだす。その眼前、見渡すかぎりに広がっているのは、果てしのない雲海だった。
雲海は遥か彼方まで続いている。文字どおり、果てしなく。それは講堂の輝きをうけて、波のように煌めいている。
「うーむ」
と、鳳凰丸は首をかしげる。奇妙だった。地上から見あげるといつも、雲ひとつない空が広がっているものだ。美しい瑠璃色に染まり、天頂には講堂が輝いている……。
ところが。こうして校舎の上から見おろしてみると、そこにはバカバカしいほどの雲海が広がっている。当然、地上なんて見ることはできないのだ……。
「なんなんだこれ」
奇妙な現象を前にして、鳳凰丸は目をぱちくりさせた。もっとも鳳凰丸は、風景を眺めるためにここに来たわけではない。だから、そんなことはどうでも良いことだった。
ここに来ればお目当ての相手に会えると聞いたのだ。だから、ここにやって来たのだ。
じっと雲海を見つめる。吹き荒ぶ風が、鳳凰丸の髪を揺らす。時間の経過とともに、少しずつ講堂の輝きはかげっていく。夕方にもなれば、その輝きは静かなオレンジへとかわり、空を鮮やかに染めぬいていくことだろう。
やがて鳳凰丸は、
「うわー、飽きたぁ~」
とわめき、大の字に寝転んだ。そしてゆっくりと目を閉じる。
「…………」
目を閉じると……まぶたを通して、ゆるやかな講堂の光を感じた。そして、その輝きのなかには浮かんでくる。浮かんできてしまう。どうしたって浮かんでくる。そうだ。忘れることなどできない。忘れるわけもない。忘れてはならない……。
盧舎那ァッ!
叫ぶ、疎水南禅の壮絶な最期だ。
「僕は……」誰もいないその場所で、鳳凰丸は独り呟いていた。「嫌だ……」鳳凰丸は講堂の光を打ち消すように、まぶたの上に、震える腕をおいた。
その時だった。
「そうか……だが」
声だ。鳳凰丸は驚き、目をあけた。
その声は、続けてこう言った。
「それしか、道はなかったのだろう?」
鳳凰丸は、がばりと身を起こす……そして見た。そこには立っていた。
彼女だ。
南円堂阿修羅(なんえんどう・あしゅら)。
体育委員長だ。
✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺
人類救済学園
✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺✺
✺
第肆話
「恋の始まりは晴れたり曇ったりの四月のようだ」
──時はさかのぼる。
シャン、シャン、シャン!
起きなさいよ!
ウッキキキッ!
シャン、シャン、シャン!
起きなさいよ!
ウッキキキッ!
「う~」
けたたましい音に目を覚ました。鳳凰丸はうめき、もぞもぞと布団を抜けだしていく。その姿は肌着にトランクス。ちょっとだらしのない格好だった。顔をあげる。目の前にはシンバルを叩く猿がいる。
シャン、シャン、シャン!
起きなさいよ!
ウッキキキッ!
「黙りなさいよ」
そう言いながら、猿型目覚まし時計を止めた。「ふぁ……」とあくびをしながら伸びをする。
鏡鹿苑たちとの死闘から、一夜があけていた。
「朝かぁ……」
人類救済学園は当然のように全寮制であり、トーストをくわえながら自室を出た鳳凰丸を、当然のように護衛の風紀委員たちが取り囲む。
「ふぁ、おふぁよ……」
そのまま風紀委員たちを引き連れて、威風堂々、校舎へと向かう。生徒たちは相変わらず鳳凰丸を避けるように逃げていく。いやむしろ、その恐れる態度は前日よりも悪化している。
当然だ。
疎水南禅と八葉蓮寂光を退学させ。鏡鹿苑を撃破。だめ押しのように、美化委員を集団大量退学させた……。
最悪だよ、救世くん。
鳳凰丸は心のなかで呟き、ため息をついた。美化委員の集団大量退学は、鳳凰丸の預かり知らぬところで起きた。だが、生徒たちがそのような事実を知るはずもない。ただ彼らは鳳凰丸を恐れ、そして見るのだ。
彼らにとって鳳凰丸は、まるで魔王。
あ~あ、と息を吐く。ゆるゆると首を回し、肩を動かす。本調子ではない。昨日のダメージは残っている。だが、なんとか体は動く。
「あはは! すっかり元気そうだね~」
と、陽気な声。取り囲む風紀委員たちの向こう側で、奇妙なペストマスクがぴょんぴょんと跳ね、手を振っていた。
保健委員長、九頭龍滝神峯(くずりゅうたき・かぶ)。
「うん、おかげさまで」
と、鳳凰丸は微笑み、手を振りかえす。「あは!」神峯はぴょんと跳ね、親しげに鳳凰丸に近寄ってきた。警戒する風紀委員たちを、鳳凰丸が手で制する。すると……
「どりゃ!」
神峯は両手で鳳凰丸のほっぺをつまんだ。
「ふえ……!?」
「うんうんうん、血色よし、だね!」
ペストマスクを元気良く左右に振りながら、神峯は、あはは、と笑った。
「鹿苑ちゃんも、鳳凰丸ちゃんも、やっぱり生徒会役員って丈夫やね~、あはは!」
「はは……あひがと」
実際、鳳凰丸は感謝していた。それだけ神峯の治療スキルは神がかっていたのだ。怪しげな機械に入れられ、泡立つ不思議な色の水を飲まされ、そして奇妙な気功のような動作で神峯が「はぁ~!」などとやると、退学寸前だった鳳凰丸も鹿苑も、みるみるうちに回復したのだ! 死闘のあとの、保健室での出来事だった。
ただ……。
しつこく頬をつまみ続ける神峯の指をぎゅっとにぎる。「およ?」と、首をかしげた神峯に、鳳凰丸は尋ねる。「ねぇ」その表情には影が落ちていた。
「櫻くんの容態は?」
「絶対安静だね~!」
「やっぱり……」
「うん、やっぱりだね~!」
鳳凰丸の顔に、静かな怒りがみなぎった。今日の昼、あいつと……図書委員長、半跏思惟中宮と……鳳凰丸は会うことになっている。あいつは……あいつには。
「痛い……痛いよ~!」
「あぁ、ごめんごめん」
神峯の指をにぎる手に、思わず力が入っていた。手を離すと、神峯は「いって~」と言いながら手をプラプラさせた。鳳凰丸は思う。
あいつには……あのアミュレット野郎には、必ずこの落とし前をつけさせねばならない!
「ねえねえ」と、神峯は手をプラプラをさせながら言った。「ボクも聞きたいことがあるんだけど~」
「……なんだい」
と返した鳳凰丸の顔を、下から覗きこむように、神峯のペストマスクが近づいていく。その声音がかわる。低く、重い声で神峯は言った。
「……鹿苑ちゃん。どうなった?」
「ああ……そういうことか。だったら安心していいよ。彼女は元気だよ」
鳳凰丸はそっぽを向き、続けた。
「……風紀牢獄のなかでね」
【ⅱに続く】
「人類救済学園」は月~金の19時半に更新していく予定です(予定)