人類救済学園 第玖話「許されざる者との死闘」 ⅳ
【前回】
ⅳ.
荊がアミュレットを貫き、砕く。
紫の煌めきが散った。
砕けたアミュレットの破片が床に落ちていく。それらはひととき紫の焔をあげ、燃え尽きるように消えていく。
そして学園の外れにある図書館では……半跏思惟中宮が絶望の悲鳴をあげていた。
「バカな……そんな……これは!?」
胸に吊るされたアミュレットの輝きのなかで、不気味な蟲のごときシルエットが蠢いている。そしてそれは、溢れた。
荊だ。無数の荊が弾け、それは急激に伸び、膨らみ、書棚が林立する図書の王国を舐め尽くし、破壊し、蹂躙し、そして大輪の薔薇が咲き乱れた。あっと言う間のできごとだった。
「う、うわぁ……」
中宮は情けない声をあげ、荊吹きだすアミュレットを投げ捨てて逃げる。しかし、時すでに遅しだ。
その技は、破壊と美の壮絶なる共演である。その技は、完全解放されれば逃れる術はないとされている。その技は、一度発動すれば時空すらも超えて、相手を執拗に追跡し、喰らい尽くす。
会敵必滅。見敵必殺。
それが、亜麗愚悧亜(アレグリア)。
「そんな……そんな……」
己を守るように両手をあげた中宮の顔に、巨大な影がかかった。それは長虫のように蠢いている。何本も。何本も……。巨大な、荊の集合体。荊たちは鎌首をあげる。あぎとの代わりに薔薇の花を咲かせ。
「うああぁぁ!」
叫ぶ中宮に殺到し……その体を喰い破る。押し潰し、飲み込んでいく。
図書館のなか、断末魔が木霊した。
──そして、入学回廊。
鏡鹿苑は華麗に身を捻り、床へと降りたった。鹿苑は勝利を確信して嗤う。
「ギャハ……手応えありだッ!」
その眼前で櫻の肉体は……白目を剥き倒れ、そのまま微動だにしない。アミュレットの放つ呪いのような輝きは消え失せ、再び、回廊は闇に包まれていく。
キンッ、という音。闇のなか、ささやかな明かりが宿った。鳳凰丸の持つ戦鎚が放つ光だった。鹿苑は笑みを浮かべ、その輝きの方向へと振り返った。
「鳳凰ま……ッ」
その声は、そこで途切れた。
その喉元から吹き出しているのは、鮮血だ。「が……は……?」鹿苑は喉を押さえ、喘いだ。その眼前。不気味に揺らぐ姿が見えた。それは。
九頭龍滝神峯。
いや、違う。
「て……めえ……」
鹿苑は左手で喉を押さえ、震える右手を伸ばす。かすむ視界の中で、神峯の背後、何ごとかを必死に叫びながらこちらに駆け寄ろうとする鳳凰丸が見えた。
「てめえ……は……」
伸ばした手で神峯の胸元……輝くアミュレットを掴もうとし、そのまま、もつれるように倒れる。
『ふふ、ははは!』
倒れゆく鹿苑の耳に、不快で不愉快な嘲笑が響いている。
「く……そが……」
床に倒れる。鹿苑は喘ぎながら、かすれる目で明滅するアミュレットを見あげた。半跏思惟中宮は嘲るように言った。
『ふふふ。やはりスペアは準備しておくもの! 九頭龍滝さんを助けた時、こっそりアミュレットを貸しだしておいたのです。本人はお気づきじゃなかったようですが……そして、ふふふ。おふたりの攻撃、凄かったですね。予想だにしない凄まじいものでした……肉体を失い、もはやこれまでかと、さすがのわたしでも思いましたよ。でも……なんとかなりました。そしてわたしは……』
ペストマスクが天を仰いだ。
『ひょっとして、図書館から解放されたのでは?』
んふふ、と、誰にも気づかれずに六波羅蜜弁財は笑っていた。
「そんなわけないじゃない。君は肉体を失った時点ですでに退学しているし、完全に敗れさっているんだよ。完全敗北! だからこれは、あくまでも特例なのさ、特例。ちょっとした温情、あるいは教師による、生徒諸君への熱血指導ってやつさ……」
鳳凰丸は戦鎚を振りあげ、躍りかかる。
「半跏思惟中宮………お前は! お前はぁッ!」
『やれやれ、学習しないお人だ」
紫の閃光。直後、鳳凰丸は床に叩きつけられていた。衝撃で肺から空気が絞りだされ、鳳凰丸はうめいた。
「ぐぅ……ッ」
這いつくばる鳳凰丸を、ペストマスクが見おろす。はぁ~、と深いため息をつき、悲しげに胸のアミュレットが明滅した。
『なぜ、わかってくれないのです?』
ペストマスクは足を振りあげる。
『こんなにも、キミのために必死なのに』
鳳凰丸へと向けて、振りおろす!
「ぐ……ッ」
足を振りあげ、おろす。
「……わかれよ」
振りあげ、おろす。
「わかってくれよ!」
振りあげ、おろす!
「わかれ、わかれよ!」
何度も何度も、踏みつける。鳳凰丸の意識が遠のいていく。『でも……』やがて嵐のような時間が過ぎ去り、いつしか、アミュレットは穏やかな明滅へと変わっている。
『でも、大丈夫。わたしにはわかる。いまふたりは、しっかりと栄光に向かって進んでいるんだから。そうすれば……ふふ。きっとキミだって思い出しますよ』
中宮は床の上でうめく鳳凰丸の傍らにしゃがみこんだ。
『わたしは覚えている……秘儀を尽くし、つなぎとめ続けてきたんだ。必死になってつなぎとめてきたんだ。絶対に忘れないように……幾度も再帰し、繰り返された学園生活の記憶を……何度も何度も、卒業と入学とを繰り返しながら、分裂した生のなかで、わたしはたったひとりで……つなぎとめてきた。だから、わたしは覚えているんだ……ねえ、鳳凰丸』
そう言いながら中宮は……神峯のペストマスクを脱ぎ捨てた。クセのある白髪。白磁のような肌。その瞳の虹彩すらも白かった。アルビノの、中性的な少年の顔がそこにはあった。
『ふふ……そのなかで、わたしたちは、何度も何度も一緒だったんだ。過ごしてきたんだ。ふたりで。たったふたりだけで』
中宮は鳳凰丸を抱き抱えた。
『あるときは男として。あるときは女として。あるいは男と男。あるいは女と女……』
中宮の……神峯の顔が優しく微笑んだ。
『だからわたしは嬉しかったんだ。キミが、継承を経ずに技を閃き、思い出したことを知って……。やはりキミなら思い出せる。ふたりで過ごした、あの、輝かしい日々のことも』
中宮は鳳凰丸の虚ろな目を見つめ、その頬を優しく撫でた。そして、中宮は。
『はやく思い出して……これは、そのおまじない』
鳳凰丸の唇に、そっと神峯の唇を重ね合わせた。
その時。
ガタ、と背後で立ち上がる気配。中宮は振り返る。『おいおいおいおい……』そして中宮は、神峯の顔に憎々しげな歪みを浮かべて叫んでいた。
『おいおいおいおい! この期に及んでまたお前か。またふたりの邪魔をするのかお前はァッ!』
夢殿救世だった。
「…………」
救世は無言で、苦痛で眉をしかめながら、刀を構えた。そして次の瞬間。影のような残像を伴い移動していた。
白目を剥いて倒れる、櫻坊の傍らに。
「…………」
救世は無言で刀を振りあげる。そしてその刀を……櫻の心臓につきたてた。「櫻……ッ」鳳凰丸の虚ろな目が、瞬間、見開かれた。
櫻は。あの健気で素直な少年は。何も言わずに、何も言えずに、そのままあっさりと……退学していった。
中宮の……神峯の顔に不気味な笑みが浮かんだ。そして救世と向き合うべく、鳳凰丸を投げ捨てる。鳳凰丸は床へと倒れる刹那の時、うめくように呟いていた。
「救世……救世ッ。君は……ッ」
【ⅴに続く】
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