人類救済学園 第陸話「講堂決戦」 ⅱ
【前回】
ⅱ.
「あぁ……?」
盧舎那は訝しげに振り返った。爆散によって生じた輝きが消え、光が薄らいだその先に、それはあった。
蠢く、巨大な肉の塊。
盧舎那の十倍はあろうかという、巨大な、肉の山塊。それは砕け散った、極楽真如たちの集合体だった。
塊の上部が瘤のように盛りあがっていく。切れ目がはいり、そして、裂けた。てらてらと赤く濡れた裂け目からは、不気味な笑いが漏れだしていく。
「あは、あはぁ、は……」
盧舎那は呆れたように呟く。
「……まさかとは思いてぇが」
「あはぁ。そのぉ、まさかぁ、なのさぁ」
肉の山は蠕動した。波うち、縮み、膨らむ。血が吹きだし、あるいは吸いこまれていく。一本一本、筋繊維や神経網が、虫のように蠢き、より集まる。
それはおぞましい光景だった。しかし。おぞましい肉塊は、少しずつ形を変えていく。おぞましさから、美しさへと。それは超自然の造形美。艶やかな裸体。巨大で、妖艶な、若く、一糸もまとわぬ……
女の肉体。
「あは、あはぁ、は……」
女は笑った。その肉体からは熱と、湯気が発散され、官能的で扇情的な香りが漂った。その背後には、肉体よりもさらに巨大な影が伸び……それは、極楽真如のシルエットを描き出していた。
女はその巨体で盧舎那を見おろす。背後に伸びる影の目が怪しく輝き、影は盧舎那を指さす。女は言った。
「あはぁは、この姿になるのはぁ、実にぃ何万年ぶりになるのかぁ。あの時もぉそうだったなぁ。お前みたいにぃ、クソみたいなぁ、生意気なぁ、生徒がいたものだったぁ!」
盧舎那はフン、と鼻を鳴らした。
「てめえ。教師としてそのかっこう、恥ずかしくねぇのか?」
女が、影が、体を震わし笑う。
女は舌をだし、ベロリ、と己の頬を舐めた。
「あははぁ、綺麗だろぉう、惚れるだろぉうぅ。今からぁ、大人の味をぉぉ、お前たちにぃ、教えてぇやるぅよぉぉぉ!」
「あぁ、そうかよ……だがな」
盧舎那はまるで、ガードのように両拳を顔の前へと掲げた。その拳に再び、黄金の光が満ちていく。その輝きの鋭さは、先の爆散劇の比ではなかった! より鋭く、より鮮烈に、より強烈に……そしてその両拳を、再び極限まで引き絞る!
「てめぇは、お断りだッ!」
両の拳を前へ!
光が、想いが、溢れだす。
その輝きは煌めき、爆ぜながら、ドリル刃のごとく回転し、直進した。それはさながら黄金の彗星! 大気を貫き、想いを乗せ、直進する、巨大なるほうき星。それは飛んでいく……
女の、巨体へと向けて!
「あはぁは!」
女は口を大きく開けた。伸びあがり、胸を開くように腕を広げる。そして、
「ひょぉぉぉぉおッ!」
黄金の彗星を、吸いこんだ。
盧舎那は目を見開く。
「!」
女はその全てをずるずると飲みほし、
「甘露ぉ、甘露ぉ」
と不気味に笑った。「………!」盧舎那の表情から、先ほどまでの余裕が消えていく。眉を寄せ、獣のようにうなり、女を睨んだ。
「あはぁ……」
女は挑発するように口の周りを巨大な舌で舐めまわした。その目が不気味に開かれ、そして女は、影は、
「鉄拳制裁ぃをぉ、はじめるぅわねぇ」
動いた。
人は。
理解できないものを目撃した時、瞬間、それを現実だと認識することができなくなるという。生徒たちが見たのは、まさに、そのような光景だった。
女の巨大な拳が、空間を、視界を埋めつくした。
それは残像をともなう、暴威の嵐であった。
それは怒涛を超えた怒涛。殴打を超えた殴打。
それは教師による、超常の指導。
超絶の、撲技。
その名も!
苦 羅 亜 拳 ! (クラーケン)
拳は一点へと収束する!
「クソが……!」
盧舎那はうめく。それは逃れることのできない、全方位からの攻撃であった! 降りそそぐ! そして生じたのは、爆音でも轟音でもなかった。魂のレベルで不快な、女の悲鳴にも似た怪音。鋸歯のようなギザついた空間の歪みが生じた。その真っただ中に、盧舎那は、いる。
「そんなッ!」
走りだそうとした鳳凰丸の肩を、救世が掴む。
「まだだ。盧舎那を信じるんだ」
「……!」
鳳凰丸は声にならないうめきをあげた。
その視線の先。やがて怪音はやみ、暴威の拳は消えていく。女は仰け反るように笑う。
「あはぁは!」
その見下す先には、腕をだらりと下げた、盧舎那がいる。
「……」
その上半身の衣服は破れ吹き飛び、その顔、その隆々とした肉体も、どっぷりと血濡れている。盧舎那は……スタジアム席に居並ぶ生徒たちを一瞥し、「チッ」と舌打ちとともに顔を歪めた。その背に浮かぶ、光輪の輝きが陰っていく。
「あはぁは、もうちょっとでぇ、退学しちゃうぅかなぁぁ」
女は身悶えするように震えた。
その時!
「!」
盧舎那は目を見開く。女の背後に伸びていた影が、早回しをした日時計のようにぐるりと動き、盧舎那の傍で止まった。影の目が不気味に輝く。それは盧舎那の反応速度をも超えた動きだった。影の手が……盧舎那を握りしめる!
「グッ……!」
影は立ちあがるように伸びあがる。そして女と向かいあった。影は盧舎那を握りしめた手を、女へと差し出す。女はだらりと舌を伸ばし「あはぁ」盧舎那を舐めた。
生徒たちの悲鳴があがった。
誰もが盧舎那の敗北を確信し、絶望していた。
しかし。
駆けだそうとする鳳凰丸の肩を、救世は、なおも掴み続けている。救世は歯を噛み締め、絞りだすように言った。
「まだだ……!」
そして、それと同時!
絶体絶命のさなか、盧舎那は見ていた。
その少年は、スタジアム中央と席を隔てる壁の上に、あぐらを組んで悠々と座っていた。その佇む様は泰然自若。その右手が高々と掲げられ、そして。
「盧舎那」
パチン。
指を鳴らす。それは指令だ。スタジアムに居並ぶ生徒たちが、雷撃のごとき速度で一斉に動きだす。
「は、は、は……」
少年の体がホログラムのように揺らぐ。
「お前は、生徒を傷つけることが心配で……力を出せないの……だろう……? 安心しろ……生徒に被害は……ださせない……俺に任せろ……俺を信頼しろ……我が権能のすべてを使い……迅速に誘導してみせよう……お前の攻撃の軌道上から、生徒を消してみせる……」
学習委員長、御影教王だ。
その隣。
腰に手を当て、仁王立ちしたペストマスク。
「もしも万が一! 教王ちゃんがしくじっても! ボクが、責任をもって回復させるよ~!」
保健委員長、九頭龍滝神峯。
ふたりの言葉は、盧舎那に届いた。
ハッ……。
ハッ、ハハハッハハハッハハハハハハハッ!
獰猛に、高らかに。
盧舎那は笑った。
それは、勝利を確信した雄叫びである!
「なぁにぃ……?」
女が訝しむその先で、盧舎那を握りしめた影のなかから、幾条もの光が溢れだした。盧舎那はその中心で、獣のような目で女を射抜き、笑い、そして言い放つ!
「ここからが、俺の、マジだ」
光は勢いを増す。影を幾条もの光線が貫いていく。そして! 影の手は……爆散した!
「なぁぁんだとぉ!」
女は見た。そこには、いた。
巨大な光輪を背負い、光に包まれ、宙に浮かぶ……。
「理解しろ。俺は盧舎那」
少年は、獰猛に吠えた!
「生徒会長、金堂盧舎那だッ!」
女の顔が歪む。
「お前ぇぇぇぇえ!」
女は腕を振りあげた。
盧舎那は笑みを浮かべ、拳を突きあげる。
「我が権能において命ずる……」
それは轟く、堂々たる獅子吼であった!
「全校生徒よッ! 俺に力を……貸せッ!」
その時、生徒たちは感じていた。
それは、魂の奥底から感じる衝動だった。
力を貸すのだ……己のすべてを賭けて。
我らが生徒会長に、己の、すべてを!
「あ、これ……」
九頭龍滝神峯は、自分の体を不思議そうに眺めた。己の体から、燐光のように立ち昇っていくのは黄金の光だった。彼女はスタジアムを見渡す。
「うわ~、綺麗だねぇ……」
光が次々と、生徒たちの体から立ち昇っていく。生徒たちは皆、誇らしげな表情でその光の飛びゆく先を見つめている。光は集結していく……
高々と掲げられた、盧舎那の拳へと!
「させぇるものかぁぁぁぁ!」
女は叫び、拳を振りおろす!
その時。
スタジアムの中央で、救世の目が、クワと見開かれた!
「ここだッ! 鳳凰丸!」
鳳凰丸は、うなずく。
「ああ、救世くん!」
その瞬間、ふたりの時は止まる。
救世は息を吐く。
鳳凰丸は息を吸った。
救世は息を吸う。
鳳凰丸は息を吐いた。
ドクン。
鳳凰丸は、駆けだす救世の鼓動を感じる。
ドクン。
救世に、駆けていく鳳凰丸の鼓動が伝わる。
救世は疾走しながら刀を構えた。
鳳凰丸もまた戦鎚を構える。
いまや、ふたりはふたりであり。
ふたりはひとり。
「ぬぅん!?」
女は目を見開いた。女は見ていた。振りおろされる拳を挟むように跳躍をした、救世と、鳳凰丸の姿を! そしてふたりは!
「無明闇流し……」
闇が、走る。
「……緋色戦閃」
緋色の閃光が貫く。
それこそは絶技!
無 明 闇 流 し、 緋 色 戦 閃 !
十字に交差する闇と閃光が……女の拳を切り落としていた!
「ぬぅぅあぁぁッ!?」
宙で身を捻り、鳳凰丸は振りかえる。
「盧舎那くんッ!」
その視線の先で、盧舎那は笑っていた。
「……上出来だ」
その拳からは放たれている。
それは生徒たちの希望。
それは生徒たちの生きてきた証。
それは生徒たちの青春。
そのすべてを乗せた黄金の輝きが、鮮烈なる輝きを放っている!
「こぉんなことはぁ、ありえぇなぁぁい……」
女はうめいた。
盧舎那は吠える。
「思い知れ、叩きこむ……これがッ!」
そのすべてを背負い、拳を握り、振りぬく。
「人類救済学園、全校生徒の……想いだッ!」
スタジアムが、黄金に染まる!
【ⅲに続く】
「人類救済学園」は月~金の19時半に更新していく予定です(予定)
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