人類救済学園 第参話「VS.鏡鹿苑!」 outro
【前回】
outro.
黒と緋色、闇と輝き。
空に鮮烈なる十字が刻まれていた。
その光景を、人類救済学園の生徒たちは見た。それは畏怖すらおこさせる光景だった。
立てつづけに起こる異変──
嵐、生徒会長の逮捕、緊急生徒総会の開催告知。そして今、空に現れた、この異様な光景。
一連の出来事は、なにかの終わりを……終末の予感すら感じさせるものだった。不吉だった。そして実際、一部の生徒たちは気がついていた。己に権能を振るっていた生徒会役員が……庶務と書記、疎水南禅と八葉蓮寂光が、ともに退学していったのだ、という事実に。
そして学園の端。
薄暗い風紀牢獄のなかで。
「…………」
寝台に横たわり、頬づえをつき、金堂盧舎那は見つめていた。半地下の牢獄のうえ、鉄格子がはめられた小窓の向こう。そこから漏れる薄明かりを、彼は、ただ静かに見つめていた。
盧舎那には外の光景は見えてはいない。しかしその偉丈夫は……なにかを悟り、そのうえで表情を変えず、声も漏らさず、小窓の薄明かりを見つめていた。ただ、静かに見つめていた──。
◆
彼女の体を、黒と緋色、ふたすじの軌跡が通りすぎていった。鏡鹿苑は声なき絶叫をあげる。その手と足が強ばったように大の字状に突っぱられ……直後、荊のドレスが砕け散った。
胸からは十字形の鮮血が吹きだし、そして時が静止したような刹那の間を経て、だらり、とその手と足は降ろされた。直後、鏡鹿苑は落ちていく。
「……チッ」
宙で身をひねり、滑空しながら、夢殿救世は軽く舌打ちをしていた。落ちゆく鹿苑は、いまだ退学をしていない。そしてその向こうで……力なく落下していくのは鳳凰丸だ。
鳳凰丸は頭から落ちながら、自らと同じように落ちゆく鹿苑の姿を見ていた。鹿苑から流れる鮮血がひとすじ、紅の軌跡を描いている。
よかった、彼女は退学していない……と、鳳凰丸は思った。そして……このまま落ちたら自分もただではすまないな……打ちどころが悪ければ、ひょっとしたら……そんなことを考えていた。
大地が近づいてくる。鳳凰丸は受け身をとろうとする。しかし、その体に力は残されていない。目をつむる。そして運に身を委ねる……。
ふわり、とその体が支えられた。
「……?」
鳳凰丸は目をひらく。櫻坊の顔が見えた。無表情で、まばたきすらしない、機械のような櫻坊が、鳳凰丸の体を受けとめていた。櫻はそのまま、バキバキと全身の骨を折りながら、鳳凰丸のクッションになるように潰れていく。そして、鳳凰丸は落下のダメージを一切負わずに、地面へと転げ落ちた。
「櫻坊くん……ッ!」
転げながら、鳳凰丸はうめく。腕を地面に叩きつけるようにして回転を止める。顔をあげ、櫻を見る。ぐちゃぐちゃに折れ曲がった櫻の胸もとで、血濡れのアミュレットが瞬いていた。アミュレットは優しげに告げた。
『大丈夫です。彼は退学していません。ギリギリ、なんとかなりましたね』
「なんとか……なっただって……?」
鳳凰丸は震える声で言った。その視線の先で、櫻は血だまりに沈み、微動だにしていない。怒りに顔が歪んでいく。それを制するように、アミュレットは……半跏思惟中宮は言った。
『この件はあとにしましょう。まだ、終わっていないのですから』
◆
夢殿救世は刀を手に、静かに歩んでいく。その見つめる先では、鏡鹿苑がなにごとかをうめきながら、血だまりのなかでもがいている。
救世はその傍らに立った。そして鋭い眼光で見おろしながら、
「なにか、言い残すことはあるか」
と、冷たく言い放った。
鹿苑は鬼のような形相で、その顔はなかば血のなかに沈んでいる。深紅の目がぎょろり、と動き救世を見あげる。震える指がゆっくりと持ちあげられ、救世を指さした。その口の端が嗤ったかのように歪む。ぱくぱくと動きだす。声はでない。しかし救世は唇の動きから、それを読み取っていく。
呪われろ。
「……そうか」
救世は左手を前に、それに沿わせるように右手に持つ刀をかかげた。その切っ先は鹿苑に向けられている。刺突の構え。静かに、染み渡るように、その体に、そして刀に力が行き渡っていく。
「さらばだ」
刀は振りおろされる
……はずだった。
「……なんの真似だ、鳳凰丸」
刀は振りおろされなかった。救世の右腕を、弱々しくつかむ手があった。鳳凰丸だ。鳳凰丸は苦痛に顔を歪め、息もたえだえになりながらも言った。
「ダメだ……嫌だ……退学なんて……」
「…………」
救世は無言のまま、鳳凰丸を一瞥する。その腕を握る鳳凰丸の手に、徐々に力がこめられていく。救世を見つめるその瞳に、静かな光が宿りはじめる。握る力が強まっていく。
「僕は、嫌だ」
鳳凰丸はもう一度、そう言った。
「…………」
救世は鳳凰丸を横目で見つめていた。鳳凰丸はじっと、その目を見つめかえす。やがて救世の腕の力が抜け……ふん、と息を吐き……鳳凰丸の顔がぱあっと明るくなり……救世は「……よかろう」とその腕をおろした。
「よかったぁ……」
鳳凰丸は、力なく、血だまりにぺたんと腰をおとした。そして、
「よし……ッ」
「……?」
怪訝そうに救世が見つめる先で、鹿苑の傍らへと這うように近づいていく。
「おい」
と救世は呼び止める。鳳凰丸はそれを無視して、もはや身じろぎすらしなくなった鹿苑の腕をとった。身を起こしながら、その腕を肩に回す。そして鹿苑の腰に手を回すと、持ちあげようとして立ちあがり……もつれるように倒れた。
「なにをしている、鳳凰丸」
「なにって……」
血だまりのなかでぜいぜいと息を切らせながら、鳳凰丸は言った。
「保健室に連れていく……決まってるじゃないか」
「正気か」
「正気だよ……だから」
鳳凰丸は血だまりに突っ伏したまま、困ったような笑みを浮かべて救世を見た。
「ねぇ、救世くん……なんとかして」
救世は驚いた猫のように、一瞬目を見開いた。
「……正気か、貴様」
鳳凰丸は
「うん」
と、血だまりに突っ伏したまま、うなずいてみせた。救世は納刀すると、あごに手をあて、じっくりと鳳凰丸の顔を見つめる。鳳凰丸はそれに笑みで返す。
やがて……ふぅ、とため息の音。そして「よかろう」と救世の声。「やった……!」と鳳凰丸。救世は身を屈めると、並んで倒れる鳳凰丸と鹿苑の体に右腕を差しこんだ。
「うわ……」
と、鳳凰丸は声をあげる。救世のスリムな体からは想像できない膂力だった。救世は二人を右腕だけで軽々持ちあげると、その右肩に担いだ。
ああ……。
救世は制服を血濡れにするのも躊躇せず、自分の願いを聞いてくれたのだ。鳳凰丸はその肩の上で、救世の力強さを感じていた。そして……ともに担がれた鏡鹿苑の柔らかさを、体温を、鼓動を、かすかな息づかいを感じ……安心したように目をつむった。
『あの、すみません』
「む……」
救世は片眉をあげ、声のもとを見た。そこには人形のように崩れ落ちた肉体と、その上で瞬くアミュレットがあった。
『彼も保健室に。お願いしたいのです』
救世は眉根をよせた。
右肩から、鳳凰丸が懇願する。
「救世くん、頼むよ……お願い」
「鳳凰丸、貴様は……」
と救世は言いかけ、再びため息をついた。そして櫻のもとに歩みより……今度はその左肩に担ぎあげる。アミュレットが瞬いた。
『感謝します』
鳳凰丸は……
「やっぱり、救世くんはいいやつだ」
そう満面の笑顔で呟くと、直後、力尽きたように気絶した。
【第肆話に続く】
「人類救済学園」は月~金の19時半に更新していく予定です(予定)
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