【アラヤスカの聖なる夜】 #パルプアドベントカレンダー2021
──老いろ。躊躇なく、老いろ。
モヤがかかった感覚のなか、脳裏に浮かぶのはその言葉だけだった。
自分は何者で、どこにいるのか。いまはいつなのか。すべてがおぼろげで、まだらな、パッチワークのような記憶の欠落。
──老いろ。老いろ。躊躇なく老いろ。
周囲を見渡す。
静かな闇と、木々の影とに囲まれている。
いまは夜で、ここは森のなかだ。
男はぼんやりと、そんなことを考えた。
「ひ、ひ、ひ、どうした。もう限界か?」
背後で不気味な声が笑った。振りかえると、そこには猿のような老人が立っている。記憶がわずかによみがえる。この老人の名は……。
こいつは……三雲吉郎だ。
つづいて若々しく、どこか刺のある声がした。
「はぁ~? おっさん! あれだけデカい口たたいておいて、そのザマかよー。かっこわる。かっこわるすぎぃ……」
右。闇のなかから近づいてきたのは青年だった。青年はバカにしたように男を一瞥すると、ふぁ~ぁ、と大きくあくびをしながら伸びをした。
こいつの名前は……思いだせない。
「お兄さん、男前だったのにねえ。がっかりぃ」
今度は左。化粧のどぎつい少女だった。十代前半ほどの外見とは不釣りあいな、どこか年を重ねたような雰囲気、しぐさ、口調。
こいつはたしか……嶺岸美鈴と言ったか。
「お?」
青年が呟く。青年は耳をそばだてている。
男もまた耳をすましてみる。
聞こえてくる。なにかの声が……。
きぃよぉしー、こーのよーるー
ほーしーはー、ひーかーりー
歌だ。
「ひ、ひ、ひ、また始まったぞ」
吉郎が嬉しそうに笑った。
ピンポンパンポン。
歌に被せるように鳴り響いたのは、チャイムだった。
──入国希望者の皆さまに、アラヤスカ入国監理局からのお知らせです。審議の結果、この場に残った皆さま全員、みごと第二の関門を突破したと認められました。よってこれより、第三関門への転送が開始されます。くれぐれも狭間へと落ちぬよう、気をつけて転移の時間をお楽しみください。
青年が、
「へいへい」
とかったるそうにそれに応じた。
アナウンスは続く。
──皆さまには転移の間、アラヤスカ入国プログラムにのっとり、アラヤスカの歴史について学んでいただきます。栄えある不老世界の一員となるためにも、どうかご清聴くださいますよう、お願いもうしあげます。
「だる」
と、吐きだすように美鈴。
ねーむぅりぃー、たぁもぉーおー
いぃいーと、やぁーあすぅーくー
歌の声量が高まっていく。周囲の闇が、木々の影が歪み、揺れ、ねじれた。歌に入り混じって、さーっと潮がひくような音が聞こえてくる。その音とともにまるで墨流しのように、ねじれた闇と影とがぐるぐると、虚空に渦を描いていく。
男にはこの光景に見覚えがあった。
そうだ、第一関門を突破し、第二の関門へと転送されたあのとき……あのときにもこのような光景を見たはずだ。そしてそのとき、俺たち以外にもたしか五人はいたはずだ……。
男のなかで、なにかが弾けた。
一瞬、記憶の焦点が合ったかのように思えた。
消えた。そうだ。皆、消えたのだ。
五人。関門を突破できずに、脱落して消えた……。
虚空を流れる墨のような闇が、ひときわ激しく渦を巻いた。やがて闇は渦の中心へと吸いこまれる。一瞬の静寂の後、代わりに現れたのは、流星群のごとき光の洪水だった。
「まぶっ」
美鈴が奇妙な叫びをあげた。四人の周囲。壮絶なまでの光が乱舞し、やがて空間全体が突き進むかのように、光は視野の前方から後方へと、すさまじい勢いで流れはじめた。
吉郎が、美鈴が、青年が、感嘆したようにその様を見あげていた。そんななかでただひとり、男だけが視線を落とし、己の左手を静かに見つめていた。
枯れ枝のように細く、皺のよった手だった。老人の手、老いさらばえた手がそこにはある。薬指にはサイズがあわずに、いまにも落ちそうになっている金の指輪がはめられている。
男は左手を、まっすぐに顔の前へとかかげた。
流れゆく光に透かすように、じっと指輪を見つめる。
そうだ。俺は……。
男は呟いた。
「俺は、赤城三太」
そうだ。俺の名は赤城三太。
そして俺は……。
男は……三太は思った。
俺は、目的を果たすためにここにいる。
「ああ? どうしたぁ? 年を取りすぎて、ついにボケがはじまったかあ?」
ニヤニヤと、笑みを浮かべて吉郎。
すかさず青年が小馬鹿にしたように言い放つ。
「ウ、ケ、る。そういうあんたも相当な爺ぃになってるんだけど? そうだろ、なあ。よ・し・ろ・う、じ・い・ちゃ・ん」
「ひひ、違ェねえ……」
吉郎は心底愉快そうに笑った。
「しっ!」
唇に人差し指をあて、美鈴が眉間に皺を寄せた。
「あたし、ちゃんとこれ聞いてんだからね」
いつしかアナウンスは、アラヤスカの歴史説明を始めていた。
──アラヤスカのはじまりは、いまから千年前に遡ります。当時、人類は滅亡の瀬戸際にありました。戦乱に次ぐ戦乱。人心は荒廃し、環境は破壊され、生存可能領域は激減していく……まさに黄昏の時代。そんな時代に、私たちアラヤスカの最終皇帝陛下はご生誕なさったのです。
「あー、知ってる。あれでしょ、あれ。皇帝も最初はただの人だったってやつ。でしょ?」
美鈴の声を無視するようにアナウンスは続いた。
──ご生誕の当初、陛下もまた、只人と同じく定命の者として、死すべき運命をお持ちでした。
「ほーらやっぱり。でしょでしょー?」
──極限の戦時体制のもと、陛下は他の子どもたちとともに集団教育を施され、そして十を数える頃に戦場へと送りだされたのでした。
戦場ではすさまじい戦いが繰り広げられていました。兵士の過半が消滅。のこりの過半も人体欠損や精神崩壊など、まともな形で生き残ることなどできません。陛下もまた戦場で大きな深手をおい、生死の境をさ迷いになりました。その時、現れたのが……。
外科医です。
彼は、一説には外宇宙から飛来したとも、太古の遺跡から復活したとも言われています。しかし、実のところ外科医が何者であったのか、なぜ外科医と名乗っていたのか、そして、なぜ陛下を選んだのか……定かな記録は残されていません。
いずれにせよ、外科医の手によって陛下は蘇生なさいました。そしてその瞬間から、陛下は老いることなき不滅の存在へと進化なされたのです。
「ひひ、ひ、不老ってやつ……」
吉郎が小さく呟いた。
──蘇生した陛下はお考えになりました。
ご自身の不老の肉体こそ、人類への福音であると。しかし同時に、こうもお考えになったのです。愚かな争いを続ける人類にとって、不老の力は害悪に過ぎない……。
「だから、アラヤスカってわけ?」
と青年。
──ゆえに、遥かなる次元の彼方。冬至の夜にだけに開く、次元の扉の向こう。陛下はそこに、不老者たちの理想郷、アラヤスカを建国なさいました。そして「永遠不滅にして最後の統治者」を意味する最終皇帝をお名乗りになり、慈悲深くもいまでも、不老の世界をお見守りくださっているのです。
以来、陛下は建国記念の冬至を聖なる日とお定めになりました。そしてその聖なる日の夜、皆さまのようなアラヤスカ入国希望者たちに、陛下は、あたたかい恩寵を賜ることをお決めになったのです。
ご存じのとおり、今宵はまさにその夜です。
今宵、たったひとりの人間がアラヤスカへの入国を許されます。試練をくぐり抜けた者だけが、定命の身を捨てて、アラヤスカの不老世界へと参入することができるのです。
かーがぁやぁーぁけぇーりぃーぃー
ほぉーがらぁーかぁーにぃー
流れる歌の声量が、少しずつ小さくなっていく。
あたりがまばゆい光に染まりはじめた。
転移の終わりが、近づいているのだ。
四人は光に包まれた。
──皆さまのなかから、わたしたち不老の者の仲間いりを果たせる方が出てくることを……入国監理局一堂、心より、願っております。
そして光は消えた。
見あげると、そこには再び夜があった。
三太は見た。空にはふたつの満月。
その輝きの上を、静かに蝙蝠が横切っていく。
潮騒の音が聞こえる。
月明かりに照らされて、四人は、浜辺の上に立っていた。
「で、今度はなんなの?」
と、頭の後ろで手を組みながら青年。
ピンポンパンポン……再びチャイムが鳴った。
──アラヤスカ入国監理局より、次なる入国審査のお知らせです。まずは皆さまの右手にございます、四つの円環のなかに、おのおの、お座りください。なお、誰がどこにお座りになってもけっこうです。
見ると浜辺の砂の上、半径が大人の背丈ほどの円陣が描かれている。そしてその円周上、四方に対になるように四つの円環が描かれていた。
円の一番近くにいた青年が、
「ここに座れってこと?」
と、手近な円環の上にドカッと座った。
「やだぁ、砂で服が汚れちゃうぅ」
美鈴もまた円環の上に座った。
「……」
三太もまた座ろうと歩きだし……。
砂に足を取られ、倒れた。
「だっさ!」
顔から突っ伏した三太を指差し、ゲラゲラと青年が笑う。
三太は呆然と顔をあげた。
自分の体が、まるで自分のものではないかのように感じられる……。
「ひ、ひ。気をつけろ……」
背後からそっと抱えあげられた。吉郎だった。三太は奇妙な感覚とともにじっと吉郎の顔を見つめた。吉郎もまた、三太の瞳を見つめ返してくる。その顔は笑っていた。
「ひ、ひひ……俺ら、本当に老けたな。頭と体に、ガタが来ちまうほどによ」
ピンポンパンポン。
再びチャイムの音が鳴り響く。
──皆さまが全員、お座りになったことを確認できました。
砂の上に体育座りをしながら、右、左。三太は緩慢に首を回して周囲を見た。三太から見て左の円環には美鈴。右の円環には吉郎。そして対面。胡座をかいた青年が、ふてぶてしい笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「あらら?」
美鈴が声をあげた。夜空に浮かぶ満月のひとつが揺らいでいた。月は、少しずつこちらに近づいてくる。吉郎が呟く。
「月じゃねえな」
それは小さな光の球だった。光球は回転しながら揺らめき、円陣の中央で静止し、ふわふわと浮かびながら声を発した。
『皆さま』
光球は脈動している。
その脈動に連動するように声は発せられていた。
『これより審査の手続きやルールについて、わたくしよりご案内申しあげます。なにかご不明な点などございましたら、挙手のうえ、ご質問くださいますよう……』
「はいはいはい!」
青年だった。
「あんた、名前はなんて言うの?」
『お答えできかねます』
「えー、なんだよそれー」
青年を無視し、光球は事務的に続けた。
『それでは、審査の手続きを進めさせていただきます。皆さま。これより頭のなかに、1から10までの好きな数字をひとつだけ、思い浮かべてください。そしてその数字を声には出さずに、三回、ゆっくりと頭のなかで繰り返してください』
数字……。
三太は左手の指輪を見た。
4。
そうだ。
俺と彼女は、四回の結婚記念日を迎えて……。
三太は目をつむった。
頭のなかで繰り返していく。
4、4、4。
その瞬間、バチリと音がした。なにかが焼きつく感覚とともに、脳のなかに「4」の数字が浮かんでくる。三太は目をあけた。視界に重なるように再び「4」が見えた。三太は目を閉じて、再び開いた。「4」は消えなかった。
「おおっと……?」
「えぇ?」
「ひひ……」
他の三人も驚いたように声をあげている。
『皆さま全員、数字をお決めになりましたね。それでは本審査のルールを説明していきます。便宜上、皆さまのことをプレイヤーとお呼びしますので、あらかじめ、ご了承ください。
……さて。
この審査のルールはいたってシンプルです。
皆さま四人が思い描いた数字、その合計値を予想してください。
基本は、ただそれだけです』
沈黙が流れた。皆が黙っていた。青年はなにやら気むずかしげな表情を浮かべている。美鈴はあごに人差し指をあて、なにごとかを思案していた。
青年が呟く。
「シンプル……シンプルねえ?」
「ひ、ひ、俺らが頭に思い浮かべたのは、1から10までの数字のどれかなわけだ。だからその合計値ってことは……正解は、4から40までの計36パターンになるわけよな」
と吉郎。光球が揺らぎ、言葉を続けた。
『そして……これまでの関門と同様、本審査においても皆さまには、あるものを賭けていただきます』
「出た」
美鈴が顔をしかめる。
光球は脈動しながら、厳かに告げる。
『それはご存知の通り、皆さまの……
──余命です。
皆さまの、残りの寿命を賭けていただきます』
ひゅぅ、と口笛を吹き、青年は軽口をたたく。
「爺ぃども、ピーンチ」
『この審査の正式名称はアラヤスカ・ゲームと申します。
アラヤスカ・ゲームは先ほども申しあげた通り、きわめてシンプルな数当てゲームです』
すかさず美鈴が手を挙げた。
「数は同時に言うの? 順番なの? 何回まで数を言える?」
「それな」
青年がうなずく。
『数は順に言っていただきます。順番はその場にいるプレイヤーのうち、もっとも余命のある方からスタートし、時計回りに次のプレイヤーへと進んでいきます。
手番になったプレイヤーは、まず最初に、他のプレイヤーに対してひとつだけ、イエスかノーかで回答できる質問を投げかけることができます。
質問されたプレイヤーは質問に答える必要があります。嘘をついた場合、わたしたち入国監理局が責任をもってそのプレイヤーの全余命を没収いたします。
次に、賭ける余命の数を宣言してください。ただし賭ける余命の数は、直前のプレイヤーが賭けた余命の数の、同数以上とする必要がございます。
仮に前のプレイヤーが余命を5賭けた場合、次のプレイヤーは5以上の余命を賭ける必要があるわけです』
「ひ、ひ……」
吉郎が手を挙げた。
「手持ちの余命が、ひひ、その数よりも少ない場合はどうなる? 手番のスキップやゲームを降りることは可能なのかぃ?」
『このゲームでは手番のスキップはございません。また、ゲームを降りることも許されません。
残りの余命が足りない場合は、オールイン……すなわち全余命を賭けることで、そのターンにかぎりゲーム続行が可能です』
「ひひひ……そのターンに限りとは?」
『オールインした手番で勝利しない限り、ゲームの敗北が確定する、ということです』
「ひ、ひ……なるほど。どうも」
『それでは説明を続けます。
余命を賭けたら、最後に合計値の予想数を宣言してその手順は終わりです。合計値を予想した数をアラヤスカ・ゲームでは、皆さまの命を決する数……決命数と呼んでいます。そして次のみっつの数字は決命数として宣言することはできませんので、お気をつけください。
ひとつ。4から40までの範囲を外れる数。
ふたつ。すでに他のプレイヤーが宣言している数。
みっつ。正解の合計値を上回る数』
「ん。ちょっと待て」
青年が言った。
「正解の合計値を上回る数……ってどういうこと?」
『正解の合計値を上回る数とは、まさにそのままの意味でございます。
皆さまの思い浮かべた数の合計が、仮に20だった場合、21以上は決命数として宣言してはならない、ということでございます』
「……?」
青年は首をかしげた。
『続けます。もし直前のプレイヤーの決命数が、正解の合計値を上回っていると推測できた場合……
つまり、先ほどの例だと21以上だと推測できた場合。
次の手番のプレイヤーは、決命数を告げるかわりにアラヤスカと宣言することができます。
アラヤスカと宣言し、実際に直前のプレイヤーの決命数が合計値を上回っていた場合、その瞬間、ゲームはアラヤスカを宣言したプレイヤーの勝利となります。
逆にアラヤスカを宣言したプレイヤーの推測が間違っていて、合計値を超えていなかった場合は、直前の手番のプレイヤーが勝利者となります』
「なるほどね」
青年が納得したようにうなずく。
『つまり、アラヤスカ・ゲームでの勝利条件は次の四つです。
ひとつ。決命数が正解の合計値と同数であった場合。
ふたつ。アラヤスカを宣言し、推測通りに直前のプレイヤーの決命数が合計値を上回っていた場合。
みっつ。次の手番のプレイヤーに、誤ったアラヤスカを宣言させた場合。
よっつ。他のプレイヤーすべてが、プレイ続行不可能となった場合』
「はいはーい」
美鈴が手をあげた。
「ゲームの勝利条件はわかったけど。この審査自体の脱落条件は? ゲームでドンケツだった人?」
『この審査での脱落条件はございません』
「……はあ?」
『説明いたします。
誰かの勝利によってゲームが終了した場合、すかさず、勝者の手番から新しいアラヤスカ・ゲームを再開いたします。
そして三人以上のプレイヤーが続行不可能となるまで、アラヤスカ・ゲームを何度でも繰り返しおこなっていただきます。
なおここでいう続行不可能とは、余命が尽きる等、物理的にゲームを続行不可能となることを意味します』
「お?」
青年が片眉をつりあげた。
「え。それってつまり……」
美鈴がうめく。
光球は脈動した。
『はい。この審査をもって終了です。これが最終審査となります』
沈黙が流れた。
「ひ、ひ、ひ……!」
その沈黙を破ったのは吉郎の笑いだった。
「三人以上が続行不可能となるまで、ということは……つまりは四人、全員が脱落ってこともあり得るわけだなあ! ひ、ひ」
光球は続ける。
『最後に。
勝者による余命の清算について説明します。勝者は場に賭けられた余命すべてを、好きな形で清算する権利を得ます。
自身の余命に加算するもよし、他のプレイヤーに譲渡するもよし。次のゲームにそのまま持ち越して賭け続けることも、もちろん問題ございません』
「譲渡かあ……オールインして負けたプレイヤーですら、パワーバランスと交渉次第では、さらにゲームを続けられる可能性があるってわけね~」
と、美鈴。
光球はじじ、と震えた。
『さて。他にご不明な点などございますか?』
声を発する者はもはやいなかった。
『ございませんね。それでは、皆さまの余命を表示させていただきます』
光球から稲妻のような輝きがほとばしり、それは四方へと放たれていく。輝きはじじ、じじ、じじじ、と音を発しながら、四人の眼前、虚空に数字を描き出した。
美鈴の前には「78」。
青年の前には「65」。
吉郎の前には「20」。
そして……。
三太の前には「15」。
「は、は、あはははははッ!」
それを指差し、青年が狂ったように笑いだす。
残忍に歪んだ、嗜虐の笑みを浮かべながら。
三太は、静かに瞳を閉じた。
『皆さま、準備はよろしいですか?』
美鈴は冷たく微笑んだ。
『覚悟は、よろしいですか?』
吉郎はくしゃり、と笑った。
『ゲームをはじめてもよろしいですか?』
青年の目はギラついている。
『それでは……』
三太はゆっくりと、閉じていた目をあけた。
静かな水面のような眼差しだった。
『最終審査、アラヤスカ・ゲームを開始しますッ!』
ポン。
音とともに、美鈴の座る円環に光が灯る。
「あたしが最初ってわけね。……じゃあ」
美鈴はそう言いつつ三太を指差す。
「質問。お兄さんの思い浮かべた数字は10である。イエス、オア、ノー?」
三太は静かに答える。
「……ノーだ」
「あ~らそう。なるほど、ふふ……吉郎ちゃんが36パターンって言ってたけどさあ、質問でひとつ、決命数の宣言でひとつ、一回の手番だけでもふたつの数字が潰せちゃうわけよね。思ってたよりも、ゲームの決着は早いかも?」
「ひ、ひ……どういう意味だ?」
吉郎が問うた。
「あらぁ、わからない? お兄さんの思い浮かべた数字は10ではない。ということは、合計数が40である可能性は消えたってこと……」
そして吉郎と三太を交互に見つめ、くすくすと笑った。
「あたし慈悲深いからぁ……最初は様子見ってことで、賭ける余命は抑えてあげる。なので、あたしが賭ける余命は……10で!」
美鈴の眼前に浮かぶ「78」の数字が輝く。そして77、76、75……とカウントダウンをはじめた。同時、光球の表面にふたつの数字が浮かび上がった。ふたつの数字はともに1、2、3……と繰り上がっていく。
「やだー。せっかく前の勝負で十代の肉体を取り戻したのにぃ。またオバサンになっちゃうわぁ」
数字のカウントに合わせるように、かしましい声をあげる美鈴の姿は徐々に大人びて、少女から大人の女性へと変わっていった。
美鈴の余命は「68」。
光球には「10/10」。
そう表示されたところでカウントの動きは止まった。美鈴は自分の手をかざし、じっくりと眺める。
「これでだいたい、二十代前半ってとこかしら」
「あー、そういうのいいからさあ……早く、決命数を告げろよぉ」
いらだつように青年が突っ込む。
「はいはいはい、言いますよ。言いますとも。あたしの決命数は……そうね、うん。4にしとく!」
美鈴の座る円環の輝きが消え、ポン。
青年の円環に光が灯る。青年は笑った。
「あはは。こんな風に進むんだ? なあ念のため、いまはぼくの手番ってことでいいんだよねえ?」
光球が揺らいだ。
『その通りです。西園寺さまの手番でございます』
青年……西園寺は鼻を鳴らすと「じゃあ、質問だけど」と中指を突き上げるように三太を指差した。
「あんた、耄碌しちゃってぼくの名前すら覚えてない。そうだろ? イエス? ノー?」
チッ。貴重な質問を無駄に使うな……美鈴が不愉快そうに舌打ちをした。三太は静かに答える。
「イエスだ」
「あッははは、やっぱりね!」
西園寺の眼光はギラギラと、さらなる残忍さを深めつつあった。「なあ、爺さんたち……」なめまわすように三太、吉郎を見つめ、
「ぼくは殺すぞ。あんたらを、容赦なく」
そして告げた。
「ぼくが賭ける余命は……20だッ!」
その瞬間、場の空気が変わった。吉郎の余命は20。三太は15。ふたりに残された選択肢はオールイン、つまり余命の全賭けしかなくなった。空気がよどみ、死の気配が一気にあふれだす。
西園寺の前に浮かぶ数が65、64、63と急激にカウントダウンされていく。西園寺から若者らしさが消えうせて、その姿は壮年へと変貌を遂げる。
そして西園寺の余命は「45」。
光球の表示は「20/30」となった。
「ひ、ひ、ひ……光る球……」
吉郎は呟く。
「なるほど……光る球に表示されたふたつの数は……20はあんたが賭けた数……30は美鈴女史が賭けた数に、あんたが賭けた数を足したもの……つまり直前に賭けられた余命数と、場に賭けられた余命の総数を示している……」
西園寺は、耳元まで裂けんばかり笑みを浮かべた。
「はッ、バァカが。余裕か? それとも現実逃避? ま、せいぜいあがいてみなよ、おじーちゃんたち! あんたらこのターンで終わりだけど! あッはは!」
「決命数……」
「はあ?」
「早く決命数を告げて、先に進めろ」
皺だらけの顔に、落ち窪んだ眼窩。
見つめているのは三太の静かな眼差しだった。
西園寺は鼻を鳴らした。
「死にぞこないのくせに死に急ぎか? いいよ、言ってやる。ぼくの決命数は……そうだな、5だ」
ポン。西園寺の円環から光が消え、吉郎の円環に明かりが灯った。
「ひ、ひ」
詰んでいる。
吉郎も三太も、すでに詰んでいる……客観的に見れば間違いなくそうだった。ふたりは余命をオールインしなければならない。しかしオールインしたところで、生きながらえるのはこのターンのみ。正解できなければ、すべてが終わる。
だが絶体絶命の窮地にあって……。
三雲吉郎は、凪のように静かだった。
「俺の手番だな」
その顔には穏やかな笑みすら浮かんでいる。
取り乱すことなく、その眼差しはじっと三太を見つめていた。
「俺の質問は……赤城三太、あんたにだ」
三太もまた吉郎を見つめ返す。不思議な感覚だった。モヤがかかり、もうろうとしていた頭のなかに、なにかが甦ろうとしているのを感じた。
──老いろ。躊躇なく、老いろ。
脳内でふたたび言葉が木霊する。
吉郎は問う。
「赤城三太。いまが、その時か」
怪訝な空気が流れた。
一瞬の静寂。そして、
「はあ……? なんだそりゃ」
西園寺が眉をしかめて呟いていた。
あまりにも奇妙な質問だった。
意味がわからないにもほどがある。
吉郎は、もう一度問うた。
「赤城三太。いまが、その時か」
──老いろ。老いろ。躊躇なく老いろ。
三太は吉郎の顔をじっと見つめた。胸の奥。なにかが熱くこみあげてくる。そしてチリチリと、脳のなかに浮かび上がってくる情景があった。それは、懐かしさをともなっていた。
夕暮れの野山が見える。
幼き日。
笑い、遊び、ともに山野を駈けた友がいた。
その顔……その顔は。
三太は吉郎の顔をじっと見つめた。
吉郎は、いま一度問うた。
「赤城三太。いまが、その時か」
三太は、確信とともに答えた。
「そうだ。いまが、その時だ」
それが、正しい答えだ。
「ひ、ひ、ひ……」
吉郎は嬉しそうに笑い……。
直後、一転して真顔となった。
──老いろ。躊躇なく、老いろ。
吉郎は立ち上がる。
「ひひ、俺の賭ける余命は当然オールイン……俺の決命数は……」
クワとその目が見開かれた。
「……40だ!」
40。
「……は?」
「なにそれ」
40。それはすでにあり得ないと判明している数字だ。西園寺と美鈴が疑問の声をあげるのと同時。ポン。吉郎の円環の光が消え、三太の円環に明かりが灯った。
光球の表示は「20/50」。吉郎の余命が「0」を刻み、吉郎の体は文字通り萎んでいく。明かりの消えた円環のなか、
「ひ……ひ……」
吉郎は、力無くくずおれた。
三太は……それを見つめながらゆっくりと立ち上がった。いまだ記憶は定かではない。だが、いまなにを言うべきか、それだけは……。
はっきりとわかる。
まるでエンジンを激しくふかしたかのように、心臓がドクンドクンと、早く、力強く脈打っていた。命の前借りじみた、いっときの、かりそめの躍動。
老いた体に刹那の力が宿る。
やらなければならない。
いまが、その時なのだから。
そのしわがれた声に張りが。
その目には光が。
その周囲には陽炎にも似た影が躍ったかのように見えた。
「俺は質問しない。賭ける余命はオールイン。そして……」
三太は、手を前にかかげて叫んだ。
「アラヤスカだッ!」
瞬間、光球がまばゆい輝きを放った。
四人は光に包まれた。
光のなか、光球は告げた。
『正解です。三雲吉郎さまの決命数40は、合計値13を上回っています。よってこのゲーム……』
光が集束していく。
それはまるで、スポットライトのように三太を照らしだしていく。
『勝者は、赤城三太さまです』
光球がそう告げるのと同時。
三太は倒れ、地面に突っ伏した。
三太の余命は「0」。
光球の表示は「20/65」。
「チッ、チッチ……こいつらグルかよ……」
西園寺はいらだちを隠せず、執拗に舌打ちを繰り返している。
「お兄さん、余命65を獲得か……吉郎ちゃんに少し譲渡したとしても、それなりの数字だわね。そもそもこうやってコンビ組まれると、なかなかの脅威なのだわ。こわい、こわいわあ」
美鈴はけらけらと笑っている。
『三太さま。獲得した余命65の清算方法をお決めください』
三太の瞳からは色と光が消え失せていた。生と死の狭間のなかで、三太は息も絶え絶えにこたえていく。
「まず……俺に……余命を1だけ、戻せ……」
西園寺と美鈴が怪訝そうに眉を寄せた。三太の余命表示が「1」となり、その目に、わずかばかりの光が戻った。
「ひ……ひ……」
地に倒れたまま、吉郎は色のない瞳で三太を見つめている。三太もまた吉郎を見つめ返す。
「ひ、ひひ……」
吉郎は……弱々しく微笑んだ。
三太は清算を続けた。
「残りの余命を……西園寺に40、嶺岸美鈴に24……譲渡する……」
「は?」
「なに?」
『承りました。これにて、余命の清算は終了です』
その瞬間、西園寺と美鈴の体が光に包まれた。
それは生命の煌めきだった。
他者の命を奪い、己の糧とする。
さんぜんと輝く、アラヤスカの光。
犠牲によってはじめて成立する、不老の輝きだ。
「ひ……ひひ……」
その輝きに照らされながら、吉郎の体は乾き、ぼろぼろと、土くれのように崩壊を始めた。
「ひひ……なあ、三太……」
「……なんだ、吉郎」
ふたりは地に伏したまま、ただ互いだけを見つめていた。ふたりだけの時間がそこにはあった。
「俺は……お前の役に、立てたかなぁ……」
「ああ……お前は役に立ったよ……十分すぎるほど、俺の役に」
三太は精いっぱいの微笑みを浮かべた。
「ひひ……」
吉郎も笑った。
まるで、幼子のような笑顔だった。
「な、なんだよこれえええ!」
「いや、そんな、こんなのってそんなーーッ!」
西園寺と美鈴の絶望が響き渡る。ふたりは輝きに包まれながら、その姿をどんどんと変えていく。若者に……少年に、少女に……。
「なんで! 止めろ! 止めろぉ……ばぶ」
赤子に……そして、その先へと。
ふたりは、沈黙した。
ひゅっ。
三太は空気が抜けるような音を聞いた。
吉郎が息を吐く音だった。
「お前の、役に立てて……俺は、本当に……」
吉郎はぱくぱくと口を動かす。それはかすかな呟きだった。三太にだけは、その声は届いていた。
風が吹いた。
優しく浜を洗う潮風だった。
吉郎は散った。
波間の向こうへと、散り散りになりながら。
吉郎は、音もなく消えていった。
『……おめでとうございます』
三太は地に伏したまま、その声を聞いた。
『おめでとうございます』
かすむ目で見上げる。そこには光球が浮かんでいる。光球はどこか嬉しげに、パタパタと震えているように見えた。
『おめでとうございます、赤城三太さま』
光球はふたたびそれだけを告げると、ゆっくりと、空に向かって上昇していく。高く、遠くへと。三太の他には、もうここには誰もいなかった。あたりは静寂に包まれている。ただ聞こえるのは潮騒の音だけであり、三太は、独りになっていた。
「行か……なければ……」
三太は気力を振り絞り、砂の上を這いはじめた。自分は何者で、どこにいるのか。いまはいつなのか。すべてがまだらで、おぼろだった。
行かなければならない。
三太を突き動かしているのは、ただその想いだけだ。
ずる、ずると這っていく。老いた体はすりきれ、ボロボロとなり、砂浜に残されていくのは鮮やかな血の跡。
女ものの衣服のそばを通りすぎる。その衣服のなかでは胎児のような成れの果てが蠢いている。だがもはや、三太がそれに気づくことはない。
三太は進む。少しずつ、少しずつ。
やがて這いずる先に音もなく、巨大な門が現れる。
静かに門扉は開いてゆく。
その中には深い闇が広がっている。
三太は吸い込まれるように、その中へと入っていく。
歌が聞こえる。
きぃよぉしー、こーのよーるー
ほーしーはー、ひーかーりー
闇のなか、這いずる視界に、ちか、ちかと光景が浮かびあがる。
それはまるで走馬灯だった。
それはもはや戻ってくることのない過去の残影だった。
取り戻すことのできない平凡な日々の名残りだった。
クリスマスのあの日。
祝祭の雰囲気に溢れる三太の故郷。
その光景が浮かびあがる。
皆が笑顔だった。
彼女もまた、溢れんばかりの笑顔で笑っていた。
なあ吉郎、隣街で食材を買ってこようぜ……。
そう誘ったのはたしか三太の方だった。
そしてふたりは村を離れた。
だから、ふたりだけが生き残った。
クリスマスのあの日……。
それは、聖なる冬至の日。
一年に一度、次元の扉が開く日。
アラヤスカが、地上の命を収穫する日。
すーくいぃの、みぃーこぉはー
まぁぶねぇの、なーかぁにー
ねーむぅりぃ、たぁもぉーおー
いぃいーと、やぁあすぅーくー
三太はいつしか這うのをやめ、立ち上がっていた。前方に輝きが見える。三太はそれに向かって歩んでいく。
両の足で一歩、一歩と進むごとに、血が、肉が蘇る。鼓動が若々しく脈打ちはじめる。歩みがどんどんと早く、力強くなっていく。
受け入れられているのだ。
アラヤスカに。
不老の民の一員として。
三太はいまや、すべてを思い出していた。
自分が何者で、どこにいて、いまはいつなのか。
すべては明確だった。
自問自答する。
ここに来るまでに、俺は、どれほどの人たちを犠牲にしてきたのだろう。入国審査の秘密を探るために、俺は、いったいどれだけの人間を使い潰してきたというのだろう。
その犠牲の上にいま、三太は歩みを進めている。余命のやりとりの法則を熟知し、若返りのリスクを理解し……だから、躊躇なく老いた。余命を蓄えるのではなく、老いを蓄える戦略を選択した。だから、勝利できた。
三太は呟く。
吉郎よ、さらば。
愛しい人よ、さらば。
平凡な日々よ、さらば。
人としての生よ、さらば。
光が近づいてくる。
光の先には都市が見える。
三太は光をくぐる……。
視界が開けた。
風がそよぎ、それは神聖な空気を感じさせた。
夜だった。
空には宝石を散りばめたような輝きが広がり、その下に、煌めきに彩られた巨大な都市があった。
今宵、その都市に充満しているのは祝祭だった。
命を収奪する喜び。
それが満ち満ちた、アラヤスカの聖なる夜。
三太は都市を見つめ、微笑みを浮かべた。三太がこの地ではじめようとしていること、それは、復讐劇などという高尚なものではない。もっと身も蓋もなく卑近な……欲望にまみれた、簒奪だ。
今宵、この聖なる夜から。すべてを根こそぎにし、傲慢なる不老の者たちを跪かせ、泣き叫ばせ、心を折り、絶望させ、粉々にする、徹底的で、圧倒的で、容赦のない、嵐のような簒奪……それが、はじまるのだ。
三太は呟いた。
「メリークリスマス」
【了】
桃之字さん主催パルプアドベントカレンダー。今年も盛りあがりましたね。力作ばかりでどれを読んでも本当におもしろい! 作品は上の総合目次から見れますので、興味ある方は、是非、確認してみてください。
今回、僕は最終日オオトリ担当ということで、落とすことなく責任を果たすことができ、ひとまずはホッとしています。本当はこの作品ともう一本、明るい話も書きたかったんですけど、物理的時間的に難しく……無念! でもこの作品がなんとか書き上がり、今は満足な気持ちでいっぱいです。
それでは皆さま、よい年末年始をお過ごしください!