人類救済学園 第弐話「校内暴力」 ⅰ
【前回】
ⅰ.
暗い空をするどく雷光が貫いて、悲鳴のような亀裂を描きだした。窓を揺らす風。雨は激しく打ちつけている。
人類救済学園はいま、嵐のなかにあった。
これから訪れる不吉を予感させる光景だった。なにかが起きようとしている。高揚とともに柔らかく、少年は吐息をもらした。
窓辺に、たった独り。学園のはずれ、古城のごとき図書館の一室で。紫の長衣を身に着けて、軽くウェーブのかかった銀髪を揺らしながら。その長身を震わせ湧き上がってくるのは、ゾクゾクとした昂りだ。
「なんて、素晴らしいのだろう……」
嵐を受けいれるように、少年は腕を広げた。そしてゆっくりと、左手を胸に、右手を暗い空へと向ける。天を仰ぐ。「ああ……」その開かれた口からは、朗々とした言葉が紡ぎだされていく。
『裸の哀れなる者たち! どこにいるにせよ、打ちつける無慈悲な嵐に耐え、頭には被るものもなく、すきっ腹を抱え、穴だらけのボロをまとっているそなた達は、この日々をいかにして凌いでいるのか? ああ、わたしはこのようなことですら、今の今まで気づくこともできなかった! 驕り高ぶる者どもよ、これを薬とするがいい。貧しき者たちの苦しみを、自らとくと味わってみるがいい。さすれば貴様らも、余分なものを彼らに施し、天の正義を示さずにはおられまい!』
雷光。照らしだされた少年の姿は、まるで舞台で演ずる俳優のようだ。台詞はシェイクスピアのリア王。その作家の名も、そしてその悲劇の名も、学園広しといえども知り得るのはこの少年のみだろう。「ああ……」という嘆息とともに、彼の脳裏に新たな記憶が閃いていく。
「そうか、この予感……新しい風紀委員長、平等院鳳凰丸、か」
確かめるようにその名を繰り返す。
「……びょーどーいん、ほーおーまる」
少年はくつくつと笑った。
少年は、この図書館の主だった。
図書委員長、半跏思惟中宮(はんかしゆい・ちゅうぐう)。
「ふふ。ふふふふ。『いままではその前口上、これからが、あなたと私の出番です』……ああ、是非とも会ってみたいね。この、牢獄のような場所を抜け出して、君に……」
雷光がその笑みを照らし出す。
「まるでこの嵐(テンペスト)のような君に」
それは恍惚とした笑みだった。
「わたしは、会いに行きたい」
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人類救済学園
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第弐話「校内暴力」
一夜明けて嵐は過ぎ去った。しかし人類救済学園は大荒れだった。
「な、なにこれ……」
登校した生徒たちは、一様に戸惑いをみせていた。校庭、出入り口、階段、廊下……学園の要所要所に「彼ら」が威圧的に居並んでいたからだ。
白い詰め襟の、風紀委員たち。
「新風紀委員長、平等院鳳凰丸からの布告である! 明後日開催されることとなった〈緊急生徒総会〉までの間、学園は生徒会副会長を筆頭とした臨時体制のもとで管理されることになった! 以降、学園の治安維持は全面的に風紀委員が担うこととなり、学園則および学園活動は一部制限される! 緊急生徒総会開催要旨を含めた詳細は、布告文を確認すべし!」
そして生徒たちは知る。
生徒会長、金堂盧舎那の逮捕という衝撃のニュースを。
「は……? これってつまり……クーデター?」
すべてが、一変していたのだ。
「あー、あー……、このようにしてぇ、生徒会役員ってぇやつはぁ、代々、次の世代へとぉ、受け継がれてぇいくわけだぁね……一部の例外はぁ……役員が途中退学してぇ、断絶が生じた場合でありぃ……」
うす暗い教室のなかに、立体映像が投影されている。映し出されているのは、輝かしき生徒会史だった。腰の曲がった老婆がポインターでそれを指し示しながら、ゆったりとした口調でしゃべりつづけている。この老婆は、人類救済学園の教師。
その名も、極楽真如(ごくらく・まじょ)だ。
授業をうける生徒たちの表情は一様に暗い。なにかを恐れるようにその目は泳いでいる。生徒たちが畏れ、伺うその視線の先には……頬杖をつき、「むー」と、くちびるを尖らせて、思案顔の鳳凰丸だ。
彼もまた、授業に参加しているのだ。教室の外からは怒声、悲鳴、なにかが壊される音が聞こえてくる。そのたびに、生徒たちは表情をひきつらせ、萎縮したように肩をすぼめていく。
「むー。むむむ……」
いま、学園のいたるところで小競りあいが発生していた。学園はさながら紛争地帯だ。特に美化委員を中心とした生徒たちによる、風紀委員襲撃事件が頻発している。幾人もの生徒たちが保健室に搬送された。あるいは、風紀牢獄へと連行されていく。そして……。
「あー、うー……、つまりぃ、役員の途中交代は例外的であるからしてぇ……あーん?」
真如が眉根をあげた、その瞬間だった。ガラッ! けたたましい音とともに、教室の引き戸が開かれ、
「二年、鰐淵智春(わにぶち・ともはる)! 美化委員ッ!」
と、赤い詰め襟の生徒が絶叫した。
「平等院鳳凰丸ッ! 退学せいやァッ!」
怒声とともに赤詰め襟の生徒……鰐淵が投てきしたのは、ギラリと輝く物体だった。金属製のチリとりである! 空中で旋回し、教室の中空で弧を描いたその先端は鋭利に砥がれ、ギロチンじみた殺意の光を放っている。刹那、教室中の視線は一点へと注がれた。
鳳凰丸。
鰐淵が投てきするのと同時。鳳凰丸は、頬杖をついたまま目線すら動かさず、ふぅ、と退屈そうにため息をついた。そして一方の手を優雅に伸ばす。「!」鰐淵が目を見開いた。
美しい。それはまるで、花を摘みとるような、無造作で華麗な所作だった。飛来したチリとりの柄をつかむ。スナップをきかせる。投げ返す。
「ヒッ!?」鰐淵の顔面真横。投げ返されたチリとりが突き刺さった。鳳凰丸は頬杖をついたまま、チッチッと指揮するように人指し指を動かす。
「警護が甘いなあ……連行」
直後、鰐淵は風紀委員たちに羽交い締めにされる。「ウオォ……」引きずられながら鰐淵は叫ぶ。
「姐さんはなあ……鏡さんはなあ、てめえの退学をお望みだァ、鳳凰丸ーッ!」
「ははは」
鳳凰丸は表情を変えずに笑っている。
乾いた笑いだった。
「鰐淵智春くんか、憶えたよ。君、覚悟しとけよ」
教室中が静まりかえった。生徒たちは青白い顔で畏怖するように鳳凰丸を見た。顔をしかめ、極楽真如もまた鳳凰丸を見つめている。
「うー、あー……鳳凰丸生徒?」
「はい」
「授業ぉ、続けても……いいのかね?」
「ああ……」
鳳凰丸は微笑み、頷く。そして、うながすように手を差しだした。
「どうぞ。続けて」
キーンコーン、カーンコーン……
やがて授業は終わり、鳳凰丸は「じゃあね」と極楽真如に手を振りながら、にこやかに廊下へと出ていく。ザン、ザン、ザンとその背後に、風紀委員たちがつきしたがう。
彼らを引き連れ、鳳凰丸は颯爽と廊下を闊歩する。生徒たちが恐れをなすように道をゆずり、あるいは踵をかえして逃げだしていく……。
「ん~?」
鳳凰丸は目をすがめた。誰もが鳳凰丸を避けるなか、その進路上に立ちふさがる人影があった。
「……おやおや?」
極楽真如だった。不気味な笑みを浮かべ、こちらをじっと見つめている……。
「んー」
鳳凰丸は小首をかしげた。「はて、おかしいな」と呟き、振りかえる。その視線の先にはもときた教室がある。「むむ?」その教室の扉をあけ……もうひとりの極楽真如が出てきた。
「むむむ?」
もう一度前を見る。極楽真如がいる。「むむむむ!」振り返る。もうひとり、極楽真如がいる。そしてその鳳凰丸の右隣から……
「転入生とはぁ、災いのぉ……兆しぃ!」
「おっとぉ?」
さらにもうひとり。極楽真如だった。真如は鳳凰丸の右隣を通りすぎ、前へと向かって歩いていく。
「転入生ぃ、現れる時ぃ……!」
今度は左背後。教室を出たばかりの真如だ。鳳凰丸を追い抜くように、この真如もまたまっすぐに歩いていく。右の真如、左の真如、ふたりの真如が同時に声を発した。
「「学園はぁ、災厄にぃ……見舞われるであろうぅ!」」
二人の真如は、目の前にいる真如に並び立つ。三人の真如が、まるで託宣のように同時に告げた。
「「「ゆえにぃ……鳳凰丸生徒ォ……」」」
三人の姿が重なりあっていく。
そして真如は、ひとりだけの真如となるのだ。
「警告ずるぞぇ……くれぐれもぉ、生徒としてのぉ、本分をぉ、忘れるでないぞぉ……さもなくばぁ……」
鳳凰丸は鼻で笑った。
「さもなくば?」
「想像をぉ、絶するぅ、恐ろしい事態がぁ……」真如の骨と皮だけの指が、鳳凰丸に突きつけられた。
「学園にぃ、訪れるでぇ、あろうぅ」
極楽真如。彼女は人類救済学園に棲む……たったひとりの教師なのだ。
「ははは」
鳳凰丸はあごに人指し指をあてながら、冷たく、見くだすような笑みを浮かべた。
「いやはや。お気遣いどーもです」
【ⅱに続く】
「人類救済学園」は月~金の19時半に更新していく予定です(予定)