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絶叫杯参戦日記「めちゃくちゃおもしれーな、と思いながら書いてる」

【現在の進捗】
プロットらしきもの: 全10話分書ききり、絶賛肉づけ中
本文プロトタイプ:  2話目に突入

前回まで進捗として文字数を書いてましたが、なんだか文字数が目的みたいに見えてアホっぽいのであらためました。ゴールはそこじゃない! そして、ふふふ、徐々にスピード感がではじめている!

前回

めちゃくちゃおもしろい

というわけで文字数は書かないと言いつつ、プロットのボリュームだけで現時点で1万文字を超えました。自分で言うのもなんだけど「おいおい、これめちゃくちゃおもしれーな、マジで!」と思いながら書いている。1ヶ月で練ったにしては上出来なのではないでしょーか!

いろいろと詰め込み過ぎ感、登場人物大杉感もあるんだけど、結果、目まぐるしく展開が変わって読者を飽きさせない内容になっている……はず……。あとはシンプルに僕の描写力次第であり、いかにそれを小説として成立させるかだけなのである! 果たして6月末までに終わるのかなー。ちょっと心配。

それにしても書いていると、やっぱり「早く誰かに読ませたい!」ってなりますね。早く読んでもらいたい。

モルカーとマイリトルゴート

以下、絶叫杯とは全然関係ない話題。

昨日「PUI PUI モルカー」の見里朝希監督が大学院時代につくったという、「マイリトルゴート」を見た。

※ 視聴には会員登録が必要です。あとけっこうショッキングな内容なのでそういうのがダメな人は気をつけてください!

視聴直後の感想はこれなんですが、これって実は「モルカー」も一緒なんだよなー、なんて思っていて。たとえば「第3話 ネコ救出大作戦」なんかは題材としては「マイリトルゴート」と地続きで、でも、圧倒的にかわいらしくてイノセンスでポップで、ネコをネグレクトしていた飼い主も含めてその圧倒的かわいらしさの世界観に包み込まれていて、誰もがしんどみを感じずに視聴できてしまう。一方で、視聴者の中にちょっとしたひっかかりをうみだす効果があって、TwitterのTLとかを眺めていると「やはり人類は愚か」みたいな呟きが溢れている……。

これって凄いことですよね。これは凄い。「こうあるべき」みたいなメッセージ性はとかく今の時代、嫌われがちなんですが、洗練され、きっちりとエンタメとして昇華された物語はちゃんと届く。作り手の世界観はなんだかんだで受け手に届くわけです。これは凄いよなー。

ロック・ユー!

これも絶叫杯とは全然関係ない話。

昨日は逆噴射映画祭で「ロック・ユー!」も見たんですけど……。

めちゃくちゃおもしろかった!

とにかくテンポが良く、登場人物たちが生き生きとしていて、前向きで明るいメッセージに溢れている。悪役は正真正銘のクソ野郎なんだけど、彼もまた、試合時の目つきや佇まいに雰囲気、オーラがあり、とても良かった……。

約20年前の映画になるわけですが、ジェンダーの描き方などが「ああ、20年前なんだなあ」という感覚があった。前向きで、恋愛でもお互いにむかつくぐらいエゴを貫き、性差関係なく仲間たちと放屁をして笑いあう、それでいいのだと肯定する! そういう明るさが当時は求められていたんだ、という感慨がある。

それから20年がたち、今は一転バックラッシュと価値観の分断の時代が来ているわけで、たとえば、以前よりもより自由に緩やかに、自然に境界を行き来するような価値観がある一方で、「ロック・ユー!」の登場人物たちがロックする対象だったような感性や言説が「居直って何が悪いの、それも含めて表現の自由でしょ」みたいにそこかしこで大手を振っていたりもする、そんな時代だったりもする。

そうしてそういった居直りを公言する人物が「キャラクター性」でなんとなく共感を集めてしまったりもして、さっき「作り手の世界観はなんだかんだで人に届く」って書いたけど、逆に、現実の人間に対して戯画化された、フィクショナルなキャラクター性を見出してしまう、それがネットでミーム化し、簡単に共有されてしまう、という逆転現象も起きたりもする。荒唐無稽な言動でも「俺たちの代弁者」みたいに共感され、なんだか雑に許され、なんだか既成事実になってしまう、そんなことも起きたりもする。

そういった振り子のように揺れ動く様も含めて時代であり、人間なんだなあ、と思う。そしてだからこそ、何度でも「ロック・ユー!」みたいな前向きで明るい物語は必要とされるのだし、「僕だっていずれそういう物語をつくれるようになってみたいもんですよ!」……なんて思ったりもするのだった。

【つづく】

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