人類救済学園 第玖話「許されざる者との死闘」 ⅴ
【前回】
ⅴ.
憎め。
憎め。憎め。憎め。憎め。
いっそのこと俺を憎め、鳳凰丸。
そして……!
救世は冷たく刀を構えた。
中宮は嘲笑う。
『おーおー、勇ましい。ふふふふふ! 夢殿救世ェ! あなたひとりで、このわたしに勝てるとでも?』
「貴様の闘いはずっと見ていた」
『へえ。言うねぇ~』
「そして俺の相手は……」
救世の目が見開かれる。
「貴様ではない」
その瞬間、緋色の閃光が回廊を貫き、絶叫が轟いた。
「救世ッ!」
そうだ、それでいい……。
救世は微笑み、叫び返す。
「鳳凰丸ッ!」
鳳凰丸は痛みすら忘れ、中宮の横を駆け抜けて、救世へと躍りかかった。
『おやおやおや……』
中宮はどこか嬉しげに嗤っていた。
鳳凰丸は泣くように叫ぶ。
「君は……君はぁ……ッ!」
救世へと戦鎚を振りおろす。戦鎚は緋色の輝きを放ち、まるで灼熱したかのようだった。救世は華麗に刀をかざし、それ受ける。
「…………」
救世は無言だった。そしてその姿が、戦鎚を受けた姿勢のまま、連続する影のような残像を発した。そして、横に滑るように移動していく。
「櫻くんまでも……! 君は! 君はッ!」
鳳凰丸は思い出す。
櫻の無邪気な笑顔を。そして、保健室で横たわっていた姿を。巻き込みたくはなかった。やはりついてこさせるべきではなかった。僕のせいだ。僕の……すべて僕の。
でも、だからこそ。
「君は……ッ!」
鳳凰丸は救世の残影を追うように身を捻り、回転し、戦鎚を振りおろす。救世はそれを刀で受ける。そして再び、残影のごとき横移動。
「おや」
と新任教師、六波羅蜜弁財は呟いていた。
「ほほぅ、なるほど、なるほど。やるねぇ。あの救世という生徒……」
そして一歩遅れて、中宮もそれに気がついた。
『……!?』
鳳凰丸は救世を追い、戦鎚を振りおろす。救世はそれを受け、そして残影を残して横移動。細部は違えど、その繰り返し。
そしてその繰り返しは……さながら演舞のごとく、華麗に、しかし苛烈に、中宮を中心とした円運動として、その速度を増しつつあった!
『これは……これは……ッ!』
闇が渦巻き、光が迸る。それは回転する。それは旋回する。それは闇の黒と、緋色の閃光とが描き出す、壮絶なる太極。
その渦巻く力のなかで、鳳凰丸は!
ドクン。救世の鼓動を感じた。
ドクン。鳳凰丸の鼓動が伝わっているのがわかる。
救世くん……君は……ッ!
鳳凰丸は、苛立ちとともに戦鎚を振るう。
ドクン。鼓動が響きあう。
戦鎚を振るう。
ドクン。鼓動が響きあう。
怒りを叩きつける。
ドクン。鼓動が響きあう。
ふたりはいつしか、闇、そして輝きの奔流のなかで見つめあっていた。救世は無言だった。それでも鳳凰丸は怒りをぶつけ続ける。退学していった皆の、悲痛な叫びを背負い、叩きつける。
救世はまるで……闇に刻まれた彫像だった。美しく冷たく、そして、心を閉ざし、響かない。
ふたりは通じあい、鼓動を合わせていった。そしてお互いをより深く理解しあっていく。
決して、理解できぬ。
それを、理解しあう。
より深く。より深く。より深く。
理解できぬという事実を。
壮絶な葛藤。
悲壮なる対立。
それがうみだす、壮大なる演舞。
そうか……救世くん。君はこうして鼓動を合わせるために。そのために櫻くんを退学させ、そして、僕の憎しみを煽った。ふたりの鼓動が合わさることで、きっと、半跏思惟中宮にも勝てるだろう。君は、そう考えた……。
ふざけるな。
ふざけるな……許せるものか。そんなバカげたことを、許してなるものか。
救世は、悲しげに鳳凰丸を見つめた。
そして救世は想う。
この学園は地獄だ。そして卒業ですら救いではない……貴様は何もわかっていないのだ、鳳凰丸。この学園を滅ぼさない限り、この苦しみは繰り返される……いっときの退学など、なんの意味もないのだ……些細な事象に囚われ、本質を見失い、大局を見失う。俺は、俺たちは。
果断なる滅びを、学園にもたらさなければならぬのだッ!
鳳凰丸は……首を振った。
違う。
それは違う。
絶対に間違っている。
鳳凰丸は見つめる。
南円堂阿修羅。
床の上、倒れ伏す彼女の胸が、荒々しい呼吸で上下していた。彼女はまだ在学している。鳳凰丸は彼女独特の、呼吸による調律を思い出す。彼女は、まだ抗っているのだ。退学寸前の状態でも己の呼吸を調律し、闘っているのだ。彼女はきっと、まだ諦めていない。生命をつなごうとしている。断固として退学に抗おうとしている。
そして、鏡鹿苑を見た。
床の上いっぱいに、彼女の血が溢れている。彼女は倒れたまま、鳳凰丸を見つめていた。目があう。鹿苑は努めて大きく……凶悪な笑みを浮かべる。そして、その目は告げていた。
情けねえつらしてんじゃねえよ。
てめえが、ガツンとぶちかますんだよ。
鳳凰丸の瞳が、カッと見開かれた。
ならば、諦めるわけにはいかない。
鳳凰丸の内側で、熱く、静けさが滾っていた。思えば、すべては鳳凰丸がはじめたことだったのだ。救世でもなく、中宮でもなく。この事態を招いたすべてのきっかけは、鳳凰丸だったのだ。救世と中宮、彼らを狂わせ、巻きこんだのは、ある意味では鳳凰丸自身だ。
──ならば。
鳳凰丸は叫ぶ。
「僕だ。この地獄のような状況をつくりだしたのは、僕自身。許すべきでない相手、許されざる者、それは他の誰でもない、僕だ! だから僕は、罪を背負い、全うしなければならない。あがなうことすら不可能な大罪人として……その責務を全うしなければならない! 許されざる者として、この死闘を制し。そして!」
風紀委員の、皆の言葉を思い出す。
── 根拠はない。けど、俺たちは信じている。あなたならこんな状況だって逆転してくれる。あなたならきっと、退学してしまった生徒ですら、再び復学させて、卒業まで導いてくれる……そんな気持ちにさせられる。きっと、あなたなら……。
鳳凰丸は、戦鎚を握りしめる。
「そして僕は、決して諦めない。退学してしまった皆も含めて、皆で、希望のある卒業を迎えることを。決して諦めはしないッ!」
鳳凰丸の瞳が、焔のような輝きを放った。
鹿苑は、安心したように笑っていた。
よくぞ言った。
その目は、そう告げていた。
そして救世は……フッ、と笑う。
救世は呟いていた。
「鳳凰丸……貴様はやはり、眩しいな」
ドクン。鳳凰丸は救世の鼓動を感じた。
ドクン。鳳凰丸の鼓動が救世へと伝わっていく。
そして──
鳳凰丸は輝きのなかにいた。光が瞬いていた。その光はやがて、鮮烈なる閃きとなって浮かびあがる……今日、二度目の閃きだった。
救世と鳳凰丸。
ふたりは、同時に動き出した。
救世は和刀を振りあげる。
鳳凰丸は駆けだしている。
『なんだよ……なんなんだよッ!』
中宮は狂ったように叫ぶ。その視線の先で、救世の振りあげた刀を中心に、闇が渦巻いていた。
救世は言った。
「黒天」
刀から溢れた闇が中宮を取り囲む。それはまるで、月を覆う夜の雲。
『こ……れ……は……』
闇に覆われた中宮の動きが緩慢となる。闇で覆った相手の時間の流れを、刹那、鈍化させる……それが黒天。
そして。
闇は一瞬で流れ去っていく。だがその流れゆく闇を貫くように、走り抜ける閃光があった。それはまるで、雨無き夜の嵐のなかの、ひとすじの雷光。
鳳凰丸は叫んでいた。
「雲耀ッ!」
それは時が弛緩した相手に向けて放たれる、雷撃のごとき一撃だった。それこそがふたりの葛藤がうみだした絶技。
黒 天 雲 耀 !
闇がまるで、突風によって散り散りとなった雲のように、その雷撃の進行にあわせて流れ、散り、消えていく。鳳凰丸の雷撃は、今まさに中宮を捉えようとしている。決着は、秒にも満たぬ刹那においてつくだろう。だから中宮は……笑った。鳳凰丸は……目を見開いた。
「!?」
闇が完全に晴れていく。そしてそこに立っていたのは、中宮だった。その胸元、アミュレットぎりぎり手前のところで、静止しているのは鳳凰丸の戦鎚。鳳凰丸は奥歯を噛みしめ、うめく。
「お前は……ッ!」
中宮は……神峯の顔は微笑んだ。
『キミは、やっぱり優しいね』
その手は手刀を形作り、そして、神峯の喉元に突きつけられていた。
『キミなら、九頭龍滝さんを見捨てられない。そう、信じていたよ……』
「お前……ッ!」
その時──
「ギャハッ!」
その笑いは野卑と気高さ、ふたつを兼ねそろえた女王の笑いだった。鏡鹿苑は床に突っ伏して、血を吐き続けながら笑っていた。
「そんなこったろうと思っていたぜ、クソ引きこもり野郎……だからよォ」
中宮の……神峯の顔が訝しげに歪み、そして、己の胸元を見おろす。
『バカな……』
その胸元には。
『バカな……』
無数の荊がまとわりつき!
『バカなッ!』
アミュレットを粉々に砕いた!
『バカなァーーーッ!』
紫の輝きが散っていく。ゆっくりと、九頭龍滝神峯の体は倒れていく。
紫の煌めき。
『ああ……ああ……』
その煌めきのなかで。中宮の意識は薄れていく。中宮は見ていた。見つめていた。輝かしい日々を。かつての日々を。振りかえり、微笑むキミの姿を。隣にいるキミを。一緒に駆けたキミを。ともに未来を語りあったキミを。
入学と卒業。入学と卒業。永劫にも思える繰り返しのなかで、いつしか、記憶は混濁してしまった。だから、思い浮かべるキミの姿は……その表情は……どんな顔をしていたのかすらも、もはや定かではなかった。
寂しく。中宮は呟いた。
『明日、また明日、また明日と、時はゆっくりとした足取りで、この世界の最後に辿りつく……すべて昨日という日は、愚か者どものつまらぬ死への道を照らしてきた……消えろ、消えろ、はかない灯火。人の一生など、歩いていく影法師。あわれな三文役者だ……』
そして紫の輝きは消え去っていったのだった。
永遠に──。
「そんな……」
鳳凰丸は震える足で、一歩、二歩と進んだ。
「鏡……鹿苑……」
鳳凰丸は鹿苑を見ていた。見つめていた。
鹿苑は……笑っている。
「ギャハ、情けねえつら……もしかして、泣いてやがんのかあ、てめえ……ギャハハ……」
それはどこか満足げで、穏やかな笑顔だった。
「ああ……そんな……君までッ!」
「……ギャハ」
鏡鹿苑は笑い……退学していった。
「人類救済学園」は月~金の19時半に更新していく予定です(予定)