
人類救済学園 第漆話「地に堕ちて」 ⅱ
【前回】
ⅱ.
夕闇のなか。大地へと降りそそぐいくつもの影。櫻坊は息を呑んでいた。落ちていく、人類救済学園の全校生徒たち。美しく、そしておぞましい光景だった。
その胸元でアミュレットが明滅し、呟いた。
『やはり行き着く先は悲劇……櫻さん、あなたが保健室にいたのは幸いでした。そうでなければ、あの悲劇から逃れることはできなかった』
あの日……鏡鹿苑と鳳凰丸が校内暴力を繰り広げたあの日、保健室で眠る櫻の枕元で、鳳凰丸はアミュレットを叩き壊した……そのはずだった。しかし、櫻の胸元ではいま再び、呪いのようなアミュレットが輝いていた。
アミュレットは芝居がかって嘆く。
『あぁ……たいていの友情は見せかけであり、たいていの恋は愚かさでしかない……だからわたしは平等院さんに言ったのです、夢殿救世はおやめなさい、と』
櫻の顔は蒼白だった。すべての終わりを告げる光景だった。
櫻は泣き出しそうな声で叫んだ。
「なんで! なにが! ああ、このままじゃ……このままじゃ……!」
『……安心なさい』
アミュレットは瞬く。
それは……半跏思惟中宮は、力強く、確信をこめて断言した。
『今すぐ、わたしの言う通りに動くのです。そうすれば、少なくとも彼だけは……平等院鳳凰丸だけは、貴方によって救われることでしょう……』
◆
「う……ああ……」
鳳凰丸はまっさかさまに落ちていた。
漆黒に染まった講堂が遠ざかっていく。
輝かしい未来を見ていたのだ。輝かしい未来だけを見ていた。今日この日に、輝かしい未来が生まれるはずだった。だが今、鳳凰丸の目にうつるのは、輝かしき光景ではなかった。くるくると回り、過ぎ去っていく視界。そして、繰り返し脳裏に浮かぶ地獄のような記憶。空を切り裂く音、落下する速度……。
すべてが、終焉を示していた。
もう終わりなのか。
なにもかもが、これで終わりなのか。
僕は……。
僕は……。
嫌だ……。
嫌だ……!
鳳凰丸は目を見開いた。そして手をかざし、己の権能を行使しようとして……
「くッ……」
ためらうように顔をしかめ、開いたその手を閉じた。
その時だった。
── いいんちょう。
その脳裏で、
── いいんちょう。
── 委員長。
── 委員長!
次々と、声が木霊した。励ますような声音だった。
「みん、な……?」
それは、風紀委員たちの声だった。
── ためらっている場合ですか?
── 委員長、それでいいんですよ。やってしまっていいんですよ。
── やっぱり委員長は甘いよなー。
── 早く決断してください!
── そうですよ、今さら水くさい。私たちは何があろうと……あなたのために。あなたのためであれば!
「みんな……?」
── 本当に、今さらですよ。あの日……あの嵐の日に、僕たちの魂に轟いたあなたの呼びかけ。
── あなたは権能を使い、私たちに訴えかけた。その時から、私たちは……。
── そうだ! 俺たちは夢を見たんだ。あなたが示した、輝かしい学園生活という夢、幸せな卒業という夢を。だから俺たちは!
── だからこそ私たちは、拒否するあなたを説得して、あなたの肉体的損傷すら引き受けた。あなたを失うわけにはいかない。あなたのために、あなたが見せてくれた夢のために!
── だから。
── 今さらなんだよ。情けないツラするなよ。
── 諦めないでください。俺たちを使い潰してでも、あなたの夢を、実現してくださいよ!
「ああ、ダメだ、そんな……そんなことはできない……」
── 大丈夫。みんな、あなたを信じています。
── そうそう。きっと、あなたならなんとかする。なんとかしてくれる。
── ははは、そうだよね。
── 根拠はない。けど、俺たちは信じている。あなたならこんな状況だって逆転してくれる。あなたならきっと、退学してしまった生徒ですら、再び復学させて、卒業まで導いてくれる……そんな気持ちにさせられる。きっと、あなたなら……。
── だから僕たちのことは心配しないで。むしろ、僕たちは安心して……。
「おい……何をしているんだ……ッ」
── あなたが決断できないなら、俺たちが。
── あなたのために、僕たちが。
「……! 何をしているんだ! やめろ……やめろ!」
鳳凰丸は見た。落下していく白い制服の生徒たち。彼らは次々と、姿勢を制御し、角度を変え、落下速度をあげて。鳳凰丸を追い抜いていく。そして、その下方へと落ちていった。
── 私たちが、あなたを受けとめるクッションになってみせる。
── どんとこい!
「ああああああ……やめろッ! やめてくれ! 安国さん……大山くん……弥谷くん、岩船くん、神呪寺さん……あぁ、そんな。そんな! みんな……みんな!」
鳳凰丸の脳裏に、次々と光景が浮かんだ。それは、風紀委員たちが見ている光景。大地に打ちつけられる、暗転。そこに再び、折り重なるように落ちる、暗転。大地は血に染まり、風紀委員たちは積み重なっていく、暗転……。
鳳凰丸は髪をつかみ、絶叫した。
「嫌だァ! 僕は……僕はッ!」
次の瞬間、鳳凰丸は、風紀委員たちのつくりだした肉の山へと落ちていた。
「…………!」
血が吹き上げ、全身が血で染まる。
想像を絶する痛みが全身を貫いていく。
鳳凰丸の全身、体中の骨という骨が砕け散る。
……あ。
そのまま鳳凰丸は、大きく跳ねた。ぼろ布のように宙を舞う。
その下で、風紀委員たちは光となって、退学していく。
放物線を描き、跳ねた鳳凰丸は……薄れゆく意識のなかで、風紀員たちの光に包まれながら、見ていた。
制御不可能な速度で、再び大地が近づいてくる。
激突する。
このままでは……
結局、僕は、退学する……
すまない……
すまない、みんな……
鳳凰丸は、目を閉じた。
風を切る音。
大地が間近に迫る予感。
もう、すべてが終わった──。
そう思った。
しかし大地に落ちた衝撃は……訪れなかった。
そのかわりに、ふわり、と柔らかく、優しい感触が鳳凰丸を包み込んだ。その体を抱きとめてくれた、誰かがいた。
え……?
鳳凰丸はかろうじて残されていた力で、ゆっくりと目を開けていく。その瞳を、凛とした眼差しが見つめ返す。
「き……みは……」
南円堂阿修羅。
彼女の美しい髪が、なびいている。
◆
校庭を見通すことができる大木の上。
女はその先端にしゃがんで手に顎をのせ、ニヤニヤと鳳凰丸たちを見つめていた。その笑みは、悲劇的な光景とはあまりにも不釣り合いなものだった。
ぼさぼさの髪。大きな丸縁のメガネ。白地にストライプのパンツに白いブラウス、紫の紐ネクタイ。そして、医師のような白衣を纏っている。
明らかに生徒ではない。
女はニヤニヤとした笑みを浮かべたまま、呟く。
「あれが平等院鳳凰丸かぁ……なかなか、有望そうな生徒じゃないか」
【ⅲに続く】
「人類救済学園」は月~金の19時半に更新していく予定です(予定)
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