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人類救済学園 第漆話「地に堕ちて」 ⅰ

前回

ⅰ.

 救世の刀から溢れだした闇。
 それは、冷ややかな闇だった。

「……!」

 鳳凰丸は戦鎚を床に叩きつけ、突き刺した。咄嗟の行動だった。闇は渦を巻き、広がり……鳳凰丸の視界は、闇に覆われていく。冷たかった。まるで荒れ狂う真冬の濁流だった。凍てつく闇がその身を包みこみ、押し流さんとしているのだ。

「うう……あぁ……!」

 鳳凰丸は戦鎚にしがみつく。闇の濁流が、次々と生徒たちをも飲みこんでいくのが見えた。渦巻き、ごうごうと凄まじい音をたて、「そんな……」スタジアムの壁も、「そんな……」床も、「そんな……!」闇に飲まれ、同化するように溶けだしていく。

「あ、あぁぁあ……そんな……そんな……!」

 戦鎚にしがみつき、鳳凰丸は喘いだ。スタジアムの中央がすり鉢状に落ちくぼみ、そこに、大きな穴が開いた。講堂の底が、溶解したのだ。

 涙でにじんだ目が、その穴の向こうを捉えた。

「なんで……」

 鮮やかな夕焼け。

「こんなことに……ッ!」

 その向こうへと、生徒たちは落ちていく。悲鳴をあげながら。闇に飲まれ、闇とともに。次々と、鮮やかな夕焼けの中へと……落ちていく。

 床の溶けだす範囲は広がっている。すり鉢の穴も大きくなっていく。そして、

「嫌だ……そんな……僕は……!」

 鳳凰丸が喘いだ、その時だった。

「あ……!?」

 戦鎚が、抜けた。

 鳳凰丸は流された。重く昏い流れのなかへ。

「嫌だ……嫌だ……!」

 もがき、あがく。流される。闇の濁流の上へと、必死に手を伸ばし続ける。あがき続ける。

「こんな終わり方は……嫌だ……嫌なんだ!」

 必死に伸ばし続けた手。
 それを、誰かが掴んだ。

「え……?」

 それは、優しい声だった。

「やはり貴様は眩しいな……鳳凰丸」

 救世だ。

 身をかがめ、鳳凰丸の腕をとった救世は、浮かぶように闇の上に佇んでいた。その足元だけがまるで静かな水面のようで、救世を中心に波紋が広がっていた。救世は輝かしいものでも見るように、その目を細めた。

「貴様のその必死さ、健気さ、一生懸命さ……何があろうと諦めない精神。その全てが」

 救世は、優しく微笑んだ。

「……愛おしい」

 鳳凰丸は、呆然とその顔を見つめた。
 救世は続けた。

「俺にとって……貴様とともに歩んだこの数日間は、決して忘れられぬ、かけがえのないものとなった」

 だから……。

 そう言いながら、救世はより身をかがめて、顔を近づけた。

「俺とともに来い、鳳凰丸」

 鳳凰丸は喘いだ。

「君は何を……君はいったい、何を言っているんだ……」

「貴様にも見せてやる。俺の目的。俺の宿願……」

 救世は優しい手つきで、鳳凰丸の頬に手を這わせた。

「この学園の滅びだ。その瞬間を、俺と貴様、ふたりだけで見届けよう」

 鳳凰丸はその優しく微笑む顔を、唖然と見つめた。そして、頬に触れる手の感触に、底知れぬ怒りと嫌悪を覚えた。

「ざけるな……」

 救世は首をかしげた。

「ふざけるなッ!」

 鳳凰丸はその手に……噛みついた。

「ウ……ッ!?」

 救世はうめき、手を放す。鳳凰丸は……時がゆっくりと流れていく感覚の中で、驚き、目を見開く救世の顔を見つめた。

 何も、理解できない。
 君のことが、君の言っていることが。
 君のやったことが。やっていることが。

 僕には、何も理解できない……。

 そして鳳凰丸は、闇に飲みこまれていった。

 鳳凰丸ッ!

 どこか遠くから、救世の叫びが聞こえた。そんな気がした。鳳凰丸は、流され、ぐるぐると回り、何かにぶつかりながら、やがて、広大な夕闇の空へと落ちていった。 

 それは禍々しくて、静かで、美しい光景だったに違いない。

 無人の校舎。誰もいない校庭。遠き山に日は落ちて。血のような赤と、黒とが濃淡を描く夕闇の空。

 その空には、漆黒のしずくにも似た構造物が浮かんでいる。そしてその底からは、ぱたぱた、ぱたぱたと。いくつもの影が、こぼれ落ちていくのが見えたことだろう。

 あふれだした涙のように。赤と黒に染まった空のなかを、影は静かに、大地へと降りそそいでいく。

 人だ。

 くるり、くるくると回り落ちる。音もなく。漆黒のしずくの底から、したたるように影となって、落ちていく。夕闇のなかを、いくつも、いくつも、いくつも。いくつもの。

 少年たち。
 少女たち。
 人類救済学園の、全校生徒たちが。

 みな、涙のように。
 震えるような景色のなかを。
 落ちていく。

 降りそそぐ彼らは、みな、大地へと打ちつけられていくことだろう。そして、みな、退学していくのだろう──風切る音のなか、自らも落下しながら、鳳凰丸はそんなことを考えていた。

 その胸を満たすのは、慚愧と後悔の念、そして、裏切りへの悲しみだった。なぜ、なぜこうなってしまったのだろう。みなを救うはずだった。すべてが希望に満ちるはずだった。しかしもたらされたのは、最低で最悪の結末だった。

 救世の顔を思い浮かべる。信じ、頼りにしていた彼の顔を。なぜ。なぜだ。なぜ、なぜ君は僕を裏切った。なぜ君は……。

 絶望の瞬間が迫っていた。大地まで、あとわずかだった。もう助かるすべはないだろう。鳳凰丸は目を閉じた。

「救世……くん……」

 その瞳から夕闇の空へと、涙がこぼれて散っていった。

ⅱに続く

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