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人類救済学園 第玖話「許されざる者との死闘」 ⅱ

前回

ⅱ.

 それはさながら、尋常ではない強靭さを持った有刺鉄線……そんな印象だった。進みでた鏡鹿苑の手から伸びる荊は中宮の腕に食いこむように絡みついていた。

 半跏思惟中宮は嗤っている。

『ふ、ふ、ふ!』

 鹿苑は唇をイラ立ちで歪め、右目を見開く。表情はそのままで、ギョロリ、と視線を動かす。床に這いつくばり、喘ぐ鳳凰丸を見た。倒れ、微動だにしない阿修羅、救世を見た。そして、二体の中宮によって袋叩きにされている九頭龍滝神峯を見た。

「クソ野郎」

 鹿苑の眉間にしわが寄り、直後、空間を荊が縦横に走り抜けた。

『ほう』

 中宮は愉快そうに呟く。

 神峯を殴りつけていた二体の中宮は、荊によっていともたやすく引き裂かれる。しかし床に倒れた神峯は……ぴくりとも動こうとはしなかった。

 中宮は口の端を歪めて嗤った。

『なるほど、なるほど! ふふ。この回廊中にすでに荊が張り巡らされている、というわけですね……油断ならない。実に油断がならない! ふふふ、わたしは常々思っていましたよ。あなたの実力は、生徒会役員のなかでも上位に位置する……なかなか侮れない相手だ、とね』

 その表情には奇妙な余裕がある。その腕に巻きつく荊が伸びていく。そして中宮の体を……櫻の体を、取り巻くように覆い始めた。

「……黙れや」

 と、鹿苑。その目は中宮を一切見ていない。

「とりあえず、てめえは始末するのは確定だ。図書委員長。だがなあ!」

 手をあげ、指さす。

「あたしが話しかけてんのは、てめえじゃねえ……」

 その指は鳳凰丸を指し示している。
 紅に染まったその瞳が、クワと見開かれる!

「あたしは説明しろッツッてんだよ! てめえだッ! 平等院鳳凰丸ッ!」

 鳳凰丸は床に伏せたままうつむき、そして歯を食いしばった。震える体を支え、腕で床を押さえ、『ほう?』と中宮が目を見開くその先で、膝に手をつき……ふらつきながらも立ちあがる。その顔には悲壮で、絶望的で、壮絶な覚悟が漲っていた。荒い呼吸とともに、鳳凰丸は言葉を吐きだす。

「……計画は……失敗した」

「あ゙あ゙!?」

「すべてだ……すべてが失敗し、すべてが失われた……盧舎那くんも、誰も彼も……みんな、退学してしまった。すまない。ぜんぶ僕の責任だ」

 鳳凰丸はうつむく。
 鹿苑は、黙ってその顔を見つめた。

「僕はどのような責めでも受けよう……どのような仕打ちでも甘んじよう。それだけのことはしたのだと自覚している。でも今は……、今だけは、少しだけ待って欲しい」

 鳳凰丸は、顔をあげた。

「今は! 決着をつけなければならない……この手で、ケリをつけなければならないんだッ!」

 鹿苑はどうでも良さそうに髪をかきあげた。

「あーそうかよ」

 そして、フン、と鼻から息を漏らす。

「じゃあ。まずはこの図書館引きこもり野郎をぶっ潰す……そういうことでいいんだな」

 鳳凰丸は無言でうなずいた。
 鹿苑は続けて尋ねた。

「で、その後はどうする気だ」

「僕は……」

 鳳凰丸は床に倒れる救世を見た。
 その目には湛えられているのは……悲しみ。

「僕は救世くんと決着をつける……彼と向かいあう。そうしなければならない。そうでないと、ダメなんだ……!」

「あー、そうかよ」

 鹿苑は、荊が伸びる手を前へと突きだした。
 白く美しい指が、闇のなかに浮かんだ。

「じゃあ、決まりだな」

 ギャハ、とその口が大きく開かれる。

「一個一個片付ける。あたしはその手伝いをする。そして最後には、てめえをボコる! ……それで、文句ねえだろ」

「ああ……!」

 鳳凰丸はうなずいた。それと同時。「ギャハハ!」鹿苑は伸ばした指を……まるで糸繰り人形を操るように、くいと動かした。

『!』

 中宮が弾かれたように顔をあげ、周囲を見渡す。直後、凄まじい鳴動。回廊全体が揺れ、きしみ、天井から破片がぱらぱらと落ちる。そして……

 それはまるで、巨大な、のたうつ蛇の群れだった。

 寄り集まり、巨大化した荊が、天井を、壁を、凄まじい速度で覆い尽くしていく。回廊を塞ぎ、「ギャハハ、もう逃げ場はねえッ!」四方八方からツタが伸び、空間全体を縦に、斜めに、横に、縦横無尽に覆い尽くしていく。

『おやおやおや!』

 と、中宮は嗤った。鳳凰丸の頬を冷たい汗が伝っていく。鏡鹿苑。彼女は闘う前から敵を圧倒するのだ。必ずそのための算段を踏んでから臨むのだ。鳳凰丸はその美しい少女を見て思った。

 やはり君は……鏡鹿苑、君は凄いやつだ!

 鹿苑は中宮に言い放つ。

「てめえが速さをウリにしてんのはわかってンだ。だがなぁ、てめえはすでに詰んでいる……」

 その目が酷薄に細まり、鹿苑は、その手を握り潰す!

「……退学しろ」

 刹那。

 中宮の、いや、櫻の体に巻きついていた荊が膨らみ、縮み、締めあげ、ギシギシと音をたてた。そして爆発するような炸裂音ともに、その体を押し潰した!

 ……かに見えた。

「!?」

 その時、回廊の闇は消えていた。鳳凰丸、そして鹿苑の視界は覆い尽くされていた……輝きによって。それは紫の輝き。嗤い、嘲笑う、紫の、呪いのような輝きだった。

『ふふふ……ふ、あははは!』

 中宮の嗤いが木霊する。

『詰ぅんだぁ? わたしがぁ? どォこがだよッ! クソボケッ! ふふふ!』

「チィッ!」

 鹿苑は身をひるがえす。その背後。視界にうつったのは……嘲笑う中宮の顔だった。直後、鹿苑の体は吹き飛び、「グゥッ!」自ら展開させた荊のなかへと突っ込んでいった。

 紫の輝きのなか、中宮は悠然と歩く。生い茂る荊を彼は、『ふふふ』まるで透過するように通過していく。

『速さがウリ? 違う、違う。思考の速度! 思考の速度なんだよッ! 思考する速度でわたしは動くのさ! お前らとは、次元が違ぁう!』

「中宮ッ!」

 そこに鳳凰丸が荊を切り裂きながら、戦鎚を振りあげ躍りかかった。中宮はため息をついた。

『おやめなさいって』

「!?」

 気がつくと、中宮はすでに鳳凰丸の背後にいた。衝撃。鳳凰丸は再び床へと叩きつけられる。中宮は微笑んだ。

『焦らない、焦らない。焦らないでくださいよ、鳳凰丸。もうすぐなんだから。ふふふ! もうすぐふたりの栄光の時が来るんだから!』

 紫の輝きのなかで、中宮は……櫻の肉体は腕を広げ、天を仰いだ。

『栄光。そう、栄光なんです。この学園はなんのために存在する? それを理解しなければ。凡人どもは、その本質から目をそらすから愚かなのだ……あぁ、そう、それは学園則にもうたわれている! 学園則第一章、第一条! 人類救済学園は、人類の救済に資する人材を育むために存在する! ふふふ! それが本質なのですよ、みなさん。それがすべてなのですよ、この学園の。それさえ理解できれば、その先に待ち受ける栄光だって、すぐに理解できようものでしょうに!』

「なん……だと……」

 鳳凰丸は床に這いつくばりながら、うめいた。中宮はその手に本をかかげている。それは救世の持っていた本……『再帰する生徒たちと不動点の証明』。

 中宮は恍惚の表情で続けた。

『不動点。ああ、偉大なる不動点! その超克へと向けて我らは進むのだ! パラドキシカルな安定を超えて、それは素晴らしい……ああ、認知と認識を超えた彼岸へと! そう……あの言葉の向こうへと』

 中宮は感きわまったように絶叫した。

『生まれ生まれ生まれ生まれて、生の始めに暗く! 死に死に死に死んで、死の終りに冥しぃッ!』

 その言葉を聞いた瞬間、ドクン、と鳳凰丸の心臓が跳ねた。

 生まれ生まれ生まれ生まれて
 生の始めに暗く

 死に死に死に死んで
 死の終りに冥し。

 意識が遠のいていく感覚がした。その言葉は、どこか鳳凰丸の、もっとも深いところに結びついている……そう感じた。

 なんだ……?

 心臓の鼓動。
 暗くなる視界。
 遠のく感覚。

 どこか遠くへ……ここではないどこかへ。
 己の存在が消え去り、どこか遠くへと。
 過ぎ去っていく感覚……。

「おい……ッ!」

 鳳凰丸は……

「おいッ!」

 遠くへと……

「おぉいッ!」

 過ぎ去っていく……

「しっかりしろやッ、クソボケェッ!」

 叱責と同時。鳳凰丸の体が持ちあがり、宙を舞った。そして、ズン、という衝撃。床に叩きつけられたのだ。さらには顔面に、強烈な蹴り。

「……ッ」

 火花が散る。そして、目が覚める。見あげるとそこには……鏡鹿苑が立っている。鳳凰丸の体には荊が巻きついていた。それが鳳凰丸を持ちあげ、ここまで瞬時に運んできたのだ。荊がするするとほどけていくなか、鹿苑は鳳凰丸を見おろし、眉間にシワ寄せて言った。

「ダセェ……てめえ、ダセェよ。まがりなりにも、あたしに勝ったやつが! そんなクソダセェつらしてんじゃねえよ!」

「は……」

 見あげながら、鳳凰丸は

「ははは……」

 思わず笑っていた。

「君はいつもそうやって、僕を見おろすんだね……」

 言葉がこぼれ出る。

「パンツ、見えてるよ」

「ハッ!」

 鹿苑もまた笑っていた。

「覗くんじゃねえよ、クソが」

 そして鳳凰丸に肩を貸す。鳳凰丸は、ふらつきながらも立ちあがる。肩を貸す鹿苑もまた、ふらついている。その腹から、血が滲み出ているのが見えた。ふたりはふらつきながらも、しっかと、中宮を見据える。

 中宮は……

『なんなんだよ……ッ』

 怒りに顔を歪めていた。

『なんなんだぁ、このアマ……』

 鹿苑を指さし、叫ぶ。

『わたしの鳳凰丸に、ベタベタ触ってンじゃねーよ、このッ! メス豚がァッ!』

「はは……」

 鳳凰丸は戦鎚をかまえ、苦笑した。

「いまだかつてないほど、絶体絶命だ」

 しかし、隣に鹿苑がいる……ただそれだけで、なぜか心強かった。なんとかなるんじゃないか。そんな気がしてくる。それだけ、彼女は頼もしかった。

「ギャハッ!」

 鹿苑は口を大きく開き、嗤う。その体を、ずるずると音をたて、強固な荊が覆っていく。それは荊のドレスだ。鹿苑は凶悪な輝きをその目に湛えながら、鳳凰丸に言った。

「一か八か……考えがある」

 そして鳳凰丸を見つめ、口が裂けんばかりの笑みを浮かべる。

「てめえ。あたしに呼吸を……合わせろ!」

 その隣を、

「うんうん、なかなかいい生徒たちだね。素晴らしい」

 女はうなずき、通り過ぎていく。女はそのまま、地獄のように荊が張り巡らされた中を、ゆったりと歩いていった。

 その姿を、鳳凰丸も、鹿苑も、そして中宮ですら、認識できてはいない。

「よっこらせっと」

 そう言いながら女は中宮の背後、荊の上に腰かける。ぼさぼさの髪。大きな丸縁のメガネ。白地にストライプのパンツ、白いブラウス、紫の紐ネクタイ。そして、医師のような白衣。女はニヤニヤと笑い、三人を見つめた。

「栄光の時、栄光の時ねぇ……。まあたしかに、ある意味ではその通りだね。んふふ。この闘いの勝者には、間違いのない真の栄光が訪れるであろう!」

 手の上にあごをのせ、んふふふ、と笑う。

「だから最後まで見届けてあげようじゃない。君たち、有望なる生徒諸君の未来を! この新任教師、六波羅蜜弁財(ろくはらみつ・べんざい)がねぇ」

ⅲに続く

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