【ザ・ワールド・ザット・ゼイ・リヴ・イン・イズ・ディファレント】
「死ね! ニンジャスレイヤー=サン! 死ね! イヤーッ!」
「グワーッ!」
重金属酸性雨が降りしきるネオサイタマの摩天楼。白装束に身を包んだアマクダリセクトの恐るべきニンジャ、ライスパウンダーの正拳突きがニンジャスレイヤーを直撃した。その衝撃で吹き飛び、きりもみ回転しながら落ちていくニンジャスレイヤー。おお、なんということか。ネオン渦巻くネオサイタマ、そのビルの谷間の中へとニンジャスレイヤーは吸い込まれるように消えていく……。
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シュー……ガゴン。シュー……ガゴン。
早朝5時。オモチ工場の朝は早い。
「ヨイショ、ヨイショ」
ベルトコンベアから次々と吐き出される白くて温かいオモチ。モノコはそれを手でこね、平たい円形に成型して隣のベルトコンベアへと載せ替えていく。その隣のベルトコンベアでは別の若い女性が、少しだけ小さいオモチを同様に成型して、モノコが載せたオモチの上にさらに積んでいく。
「ふぅー……」モノコは額の汗を袖でぬぐった。しかし気を抜くわけにはいかない。ベルトコンベアからは次から次へとオモチが吐き出されてくるからだ。「みんなにとって大切なものなんだから。ちゃんと頑張らなくっちゃ」自分を励ますように言い聞かせる。
それはカガミモチと呼ばれる特別なオモチの製造工程であった。カガミモチは古事記の時代から続く神聖なる伝統である。オショガツの期間にだけトコノマなどの家の中で最も重要な場所に飾り、その年の無病息災をブッダと八百万の神々に祈る。カガミモチはネオサイタマ市民にとっては欠かすことのできない重要なアイテムなのだ。
しかしカガミモチの需要はオショガツの期間だけに限定されている。そのため製造工程の機械化は投資コストに見合わず、結果、人力に頼らざるを得ない。そしてそれは、モノコのような貧しく手に職を持たない女性にとって年末年始を過ごすための貴重な収入源となっていた。
「ヨイショ、ヨイショ……」
ひたすら同じ作業を繰り返していく。繰り返していくうちに、心の何かが摩耗していく。モノコはしばしば、まるで自分が機械にでもなったかのような錯覚に陥った。それを「これは大切なものだから」と自分に言い聞かせることで誤魔化す。ひたすら、それを繰り返していく。
「オツカレサマ! 今日のノルマはこれで終わりだよ!」
工場長のサクマがそう告げた時、時刻はすでに夕刻に差し掛かっていた。モノコはいつものようにタイムカードを打刻すると、急いで着替えを終えて帰り支度を整え、そしてお辞儀をして工場を出ていこうとした。
「オツカレサマデシタ!」
「ちょっと待って、モノコちゃん」サクマに呼び止められ、怪訝そうに立ち止まるモノコ。サクマはにっこりと微笑みながらタッパーを差し出した。「これ、持って帰りなよ」それを見て、疲れ果てていたモノコの顔がぱぁっと明るくなった。
「えっ、オモチ! 2個も……。えっ、本当にいいんですか……?」
「うん。明日でニューイヤーだからね。それに……弟さんも待っているんだろ? 二人でドーゾ」
いつもであれば疲労困憊して足を引きずるようにして帰る家路。今日のモノコは足取りも軽やかだった。重金属酸性雨避けのコートの下には温かいオモチが入ったタッパー。弟の喜ぶ顔を想うと、それだけで幸せな気持ちになれる。
さぁ、もうすぐ弟の待つ我が家だ。そう思った時だった。モノコは路地裏から聞こえてくる奇妙な物音に気が付いてしまった。
「スゥーッ……ハァーッ……スゥー……」
触らぬ神に祟りなし。ネオサイタマでは不用意な好奇心やお節介は命取りとなる。だから普段のモノコであれば気にせずその場を通り過ぎていったであろう。しかしその時は違った。モノコは触れてしまったのだ。コートの下の温かいオモチ、そのぬくもりに。
(……もしかしたら、誰かが困っているのかもしれない)
モノコは立ち止まり、そして恐る恐る路地裏を覗き込んだ。「スゥーッ……ハァーッ……」そこにはハンチング帽を目深にかぶり、トレンチコートを着た男が奇妙な呼吸を繰り返しながら、うつむき加減でだらりと両腕を降ろし、そして足を投げ出すようにして座っていた。
「あの……」
恐る恐る声をかける。男はちらりとモノコを一瞥したようにも見えたが、反応がない。モノコはそろそろと男に近づき……そして勇気を振り絞ってしゃがみ込み、男の顔を覗き込んだ。
「アイエ」
鋭い眼差し。その瞳には赤みがかった虹彩。ただならぬ雰囲気を感じたモノコは、腰を抜かしたようにして後ろに倒れこんだ。そしてそのまま後ろに後ずさって逃げようとした時、モノコは再び感じてしまった。懐にある温かいオモチ、そのぬくもりを。
「あの……大丈夫ですか」
なぜか、自然と声が出ていた。よく見ると男の顔は青ざめ、あきらかに疲弊し、そして消耗しきっているように見えた。
「あの……」
ごくり、と唾を飲み込んでから、モノコは懐のタッパーからオモチを一つ取り出した。そして力強い調子で言った。
「オモチ、食べませんかっ!」
男はモノコを見た。長い沈黙が流れた。モノコの目が泳ぎそうになる。(がんばれ、わたし)自分を鼓舞してグッとこらえる。
「……」男は黙ったままじっとオモチを見つめ続けた。そしてオモチを自分の手に受け取ると、静かに「ドーモ」と一言だけ言った。
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「ミチロ、ニューイヤーにはちょっと早いけど、今夜はオーゾニだよ!」
モノコの弟、ミチロの顔がぱあっと明るくなった。さっきまでは帰りが遅いとぐずっていたのに……その単純さは自分とそっくりだ。そう思いながらモノコの胸は温かいもので満たされた。
「あれ、ネエチャンのオーゾニにはオモチが入ってないよ?」
「ふふ。ネエチャンのはね、帰る途中で食べちゃったんだ」
「えー、なんだよそれ、クイシンボ!」
ふふふ、と笑いながらモノコは思う。このような幸せな瞬間がこれからも二人の間に訪れますように。ミチロにとってニューイヤーが良い一年になりますように……。
モノコはふと、窓の外を見た。そこには髑髏めいた満月。その前を、赤黒の影と白い何かが交錯した。そしてどこからともなく「サヨナラ」と叫ぶ声が聞こえた気がした。
【ザ・ワールド・ザット・ゼイ・リヴ・イン・イズ・ディファレント】終わり