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人類救済学園 第壱話「嵐を呼ぶ少年」 intro + ⅰ

intro.

 それは禍々しくて、静かで、美しい光景だったに違いない。

 無人の校舎。誰もいない校庭。遠き山に日は落ちて。血のような赤と、黒とが濃淡を描く夕闇の空。

 その空には、漆黒のしずくにも似た構造物が浮かんでいる。そしてその底からは、ぱたぱた、ぱたぱたと。いくつもの影が、こぼれ落ちていくのが見えたことだろう。

 あふれだした涙のように。赤と黒に染まった空のなかを、影は静かに、大地へと降りそそいでいく。

 人だ。

 くるり、くるくると回り落ちる。音もなく。漆黒のしずくの底から、したたるように影となって、落ちていく。夕闇のなかを、いくつも、いくつも、いくつも。いくつもの。

 少年たち。
 少女たち。
 人類救済学園の、全校生徒たちが。

 みな、涙のように。
 震えるような景色のなかを。
 落ちていく。

 降りそそぐ彼らは、みな、大地へと打ちつけられていくことだろう。そして、みな、退学していくのだろう──風切る音のなか、自らも落下しながら、白い詰め襟を着た少年はそんなことを考えていた。

 その胸を満たすのは、慚愧と後悔の念、そして、裏切りへの悲しみだった。なぜ、なぜこうなってしまったのだろう。みなを救うはずだった。すべてが希望に満ちるはずだった。しかしもたらされたのは、最低で最悪の結末だった。

 彼の顔を思い浮かべる。信じ、頼りにしていた彼の顔を。なぜ。なぜだ。なぜ、なぜ君は僕を裏切った。なぜ君は……。

 絶望の瞬間が迫っていた。大地まで、あとわずかだった。もう助かるすべはないだろう。少年は目をつむった。その脳裏に浮かぶのは、あの日のことだ。

 目覚めた。彼と出会った。そして人類救済学園で歩みはじめた。あの、はじまりの日のことを──。

ⅰ.

 それは原初の記憶。根源。はじまりのすべて。

 彼はただ、震えていた。寒いわけでなく、冷たいわけでもなく。色も、光も、形もない世界のなかで。重さも、熱も、時の流れも、上下も左右も、名も、言葉も、なにもかも、すべて。なにもない世界のなかで、彼自身、なにものでもなかった。

 色を持たず、形を持たず、時も経ず、名も、言葉も、なにもかも、すべて持たず。なににも縛られず、解き放たれていて、完全に自由。

 彼は、そのような自由のなかで震えていた。震え、震え、震え、やがてもがき、やがてあがき、なにかを掴もうとして手を伸ばし、なにかを叫ぼうとして口を動かし、己に手があるのか、口があるのか、それすらもわからないまま、もがき続け、あがき続け。

 その果てで、彼は言葉と出会った。

 生まれ生まれ生まれ生まれて
 生の始めに暗く

 死に死に死に死んで
 死の終りに冥し。

 言葉は、彼を飲みこんでいった。そこには闇があり、重さがあり、痛みがあった。彼は落ちていった。きりきりと回転し、引きのばされ、叩きつけられ、落下していく感覚のなかで、彼はたしかに、己を呼ぶ、誰かの声を聞いたのだった。

 お前は……。

 もうろうとしながら、その声を反芻する。

 僕は……。

 お前は……。
 僕は……。

 鳳凰丸。

 お前は……。
 僕は……。

 平等院鳳凰丸。

 お前は……。
 僕は……。

 びょーどういん、ほうおうまる。

 お前は……。
 僕は……。

 僕は、平等院鳳凰丸。

 光が、見えた。
 そして彼は、目を覚ました。

「やあ、目覚めたな」 



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人類救済学園
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第壱話「嵐を呼ぶ少年」


 重さ、ゆらぐ空気の感触、輝きがチカチカと、ぼんやりと視界はひらけていく。匂い、冷たさ、温かさ、静けさ、人の気配。そして。

 肉体だ。肉体がある。

 鳳凰丸は口を開き、嘔吐のように息を吐いた。空になった肺に空気が流れこんできて、どくんどくん、鼓動で体が弾んでいく。

 少しずつ目の焦点があってくる。白く、ほのかに輝く床が見えた。形があり、色があった。床を覗きこむように手をつき、四つん這いになっている己がいた。

 もう一度息を吐く。息を吸う。呼吸ができる。いや、呼吸は、しなければならない。

 手のひらをつうじて、ひんやりとした冷たさが伝わってくる。床には黒い文様が刻まれていて、彼を取り囲むように円を描いている。

「大事ないか、転入生」

 顔をあげる。見おろす視線がそこにはあった。思わず目を見開く。雄々しく、勇壮で、冷たく美しい光。凄まじい。凄まじい眼差し。息を呑む。苛烈で、鮮烈で、強烈な……それはまるで、獅子の目だった。

「ふふ、戸惑っているな」

 眼差しの主は笑みを浮かべた。

「まあ、当然ではあるが」

 そう言いながら少年は──金の刺繍で縁取られた、豪奢な詰め襟の黒服に身を包んだ、十代半ばほどの少年だった──目元まで伸ばした黒髪をかきあげ、「フン……」と鼻で笑った。そして、ゆったりとした所作で壁を指さす。鳳凰丸もつられるように壁を見る。

 壁は鏡で覆われている。その鏡の向こうから、もう一人の少年がこちらを見つめている。鳳凰丸は確かめるように顔を触った。「これ、僕なのか」「そういうことだ」黒髪の少年は応じた。

 鏡の向こうの自分は白い詰め襟の制服を着ている。こちらを見つめる眼差しには影があり、肌は白磁のように滑らかで、髪は緋色に染まっている。髪がゆるやかに波打つ様はさながら燃えあがる炎のようで、思わず「……なるほどね」と呟いていた。

「立てるか?」

 黒髪の少年が手を差し出す。

「いや、大丈夫」

 手を振ってこたえる。膝に手をつきながら立ちあがる。重さの感覚に、一瞬、吐き気にも似た不愉快さが浮かんでくる。それを、首を振って打ち消していく。

 深く吸って、深く吐く。少しずつ感覚に馴れていく。顔をあげ、黒髪の少年に向かいあう。そうしなければならない。そう、感じたからだ。

「ふむ」

 黒髪の少年はあごに手をあて、「見当識に異常なし」と呟いた。「では……」

 少年は左の口の端をあげると、尊大に腕を広げてみせた。

「ここはどこで、己がなにものなのか。言ってみせろ」

 その言葉にうながされるように、鳳凰丸は目を閉じた。そして、言葉を反芻していく。

 僕は、鳳凰丸。
 びょーどういん、ほうおうまる。
 僕は、平等院鳳凰丸。

 チカチカと、頭のなかで光が瞬いていた。まばゆい星ぼしが生まれ、消えていくように。そのひとつひとつがまるで鮮明な、ひとつの世界のように満ち満ちていって、浮かび、消え、それはどんどんと彼に刻みこまれていく。

 記憶だ。

 なにも驚きはしなかった。そうなることが当然だと感じていた。閃き、輝き、光が次々と花ひらいていくと、次第に、ここはどこで、己がなにものであるのかを、彼はどんどんと思い出していく。

 静かに目をあけた。黒髪の少年がうながす。

「どうだ?」

 確信に満ちた声音でこたえる。

「ここは、人類救済学園。そして、」

 優雅な所作で、己の胸に手をあてた。

「僕の名は平等院鳳凰丸。学年は二年」

 鳳凰丸は、己の眼差しに力強い光が宿るのを感じていた。静かな高揚とともに、口から言葉がこぼれだしていく。

「僕は、この学園の風紀委員長だ」

「……よかろう」

 黒髪の少年はうなずいた。

「貴様は平等院鳳凰丸。そしてたしかに、我が学園の風紀委員長だ。俺にも今、その記憶が閃いたぞ」

 黒髪の少年はうなずき、ふふん、と鼻で笑うと、挑発するように言った。

「では、この俺はなにものだ。言ってみろ」

「君は……」

 静かに、淀みなくこたえる。

「君は、夢殿救世(ゆめどの・くぜ)。僕と同じ二年。そしてこの学園の、生徒会副会長だ」

 ほう、と黒髪の少年……夢殿救世は目をみはった。

「見事」

 救世の手がパンパンと乾いた音を奏でる。

「人類救済学園へようこそ、平等院鳳凰丸。貴様は無事、本学園への転入を果たしたぞ」

ⅱに続く

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