人類救済学園 第陸話「講堂決戦」 ⅳ
【前回】
ⅳ.
輝きが薄れていく。
盧舎那はスタジアムの床に降りたち、そして。
「くッ……」
力尽きたように、膝からくずおれた。
「盧舎那くんッ!」
鳳凰丸が駆け寄る。
「すごい……すごいよ!」
その瞳は感動で、うるうるとしている。
「君は本当にすごいやつだ! 君は……!」
「ハッ……」
盧舎那はその顔を見て、力なく苦笑した。
「調子の、いいやつ……」
盧舎那が黄金の拳を振るった先。そこには巨大な穴があき、その向こうには夕焼けの空が広がっている。スタジアムの壁を吹き飛ばし、講堂の内部構造をも貫き、講堂の輝ける外壁すらも破壊して、貫通。
その光景は、盧舎那の本気がどれほど凄まじいのかを物語っていた。
その穴の近く。スタジアム中央と席を隔てる壁の上で、わなわなと震えているのは御影教王だ。
「おい、おい、おい……想定外……想定外の威力……! 危うく俺まで……退学……するところだったぞ……!」
「うんうん」
その隣でペストマスクがうなずいた。
「こんなのに巻き込まれたら、回復とか絶対、無理だったよ~」
保健委員長、九頭竜滝神峯だ。
「さてと……」
スタジアム中央では、鳳凰丸が真顔になり振りかえっていた。その視線の先には、床の上でもがく極楽真如がいる。真如の顔面は陥没し、赤い血で染まっていた。鳳凰丸は彼女を見て一転して微笑み、
「良かった……」
と、安堵したように呟く。
「ほんと盧舎那くんやり過ぎだし……。秘密を聞き出す前に極楽真如が退職しちゃった!? ……って、マジで焦ったよ」
鳳凰丸は真如へと歩み寄っていく。
「おのれぇ……おのれぇぃ……」
真如は顔を手で覆い呪詛を吐き続けながら、床の上をのたくっている。鳳凰丸はそんな真如を冷たく見おろした。
「あなたは敗れた。学園則にのっとり、これから学園の秘密について話してもらう……すべて」
そう言いかけた鳳凰丸の隣に、夢殿救世が並び立った。救世は盧舎那のあけた大穴を眺めながら、
「うむ。講堂の運行に支障なし」
と呟く。そして、鳳凰丸の目を見つめた。
「なあ、鳳凰丸」
「ん?」
と、鳳凰丸も、救世を見返した。
救世は、静かに問う。
「貴様。三十二名もの行方不明者の存在を、どうやって知った?」
「あれ?」
と、鳳凰丸はこたえる。
「言ってなかったっけ? 僕の権能って、言うなれば、風紀委員たちとの意識の同期なんだ」
鳳凰丸は思い出すように、遠くを見つめた。
「だから、僕が権能を獲得した瞬間……その一瞬で、僕はすべてを把握したんだ。童学瑠璃の記憶、彼女の罪悪感や恐怖。それらもすべて、僕のなかへと流れ込んできた……」
「だが、」
と、さえぎるように救世。
「その件に関して、言っておきたいことがあるぞ、鳳凰丸。貴様はある重大なことを見落としている」
「ん。どういうこと?」
鳳凰丸は小首をかしげて、下から覗きこむように救世の瞳を見つめた。救世はそのくりくりとした目を見つめ返し、フッ、と微笑んだ。
救世はこたえる。
「それはな、こういうことだ。鳳凰丸。三十二名を葬り去ったのは無畏庵宝厳。そして、共謀者は童学瑠璃。指示を出したのは、ここにいる極楽真如……ここまでは、大丈夫だな?」
うんうん、と鳳凰丸はうなずいた。
救世は続けた。
「だが、それでは聞こう。極楽真如の動機とは、いったいなんだ」
「ん。それはわかってるよ、救世くん。学園の秘密に近づいた者は退学させる、っていう話……」
救世は畳みかける。
「では、その学園の秘密とはなんだ、鳳凰丸」
「えっと。それは今から、コイツに聞けばいいんじゃないかなぁ?」
と、鳳凰丸は極楽真如を指さした。
救世は、口の端をあげて笑った。
「はは。その必要は、ないんだよ。鳳凰丸」
「……?」
首をかしげる鳳凰丸。視線をはずし、救世は極楽真如を見おろした。極楽真如は、ぶつぶつと呪詛を呟きながら顔をあげ、救世を睨み返した。
救世は、極楽真如に告げる。
「極楽真如。貴様は無畏庵宝厳を利用し、三十二名もの無関係な生徒を犠牲にした。愚かな教師だ」
静かだが、決然とした口調だった。
「……?」
鳳凰丸、そして盧舎那は不思議そうに救世を見つめた。救世は続ける。
「なぜ貴様が、そのようなことをしたのか……俺は知っているぞ。探していたのだろう?」
そう言って、懐から取りだした。
「……これを、貴様は探していた。そうだろう」
真如の眼が、大きく見開かれた。救世が手にしているもの……それは、古寂びた本だった。
鳳凰丸はきょとんとその本を見た。本には「閲覧禁止」「持出厳禁」「問題図書」といったラベルが貼られている。そしてタイトルにはこう書かれている……
『再帰する生徒たちと不動点の証明』
鳳凰丸は、救世の横顔を見つめた。
「救世くん……?」
なにか、嫌な予感がした。
そしてその時──運命を告げる悲鳴が、スタジアム席から聞こえてきた。
「や、やめ……ろ……! やめろぉ!」
「え……?」
咄嗟に鳳凰丸は、そちらへと顔を向ける。同時。盧舎那もまた、その方角を見ていた。
スタジアム中央と、席とを隔てる壁の上。そこにふたりの人影があった。
ひとりは……腰を抜かし、後ずさるように逃げる御影教王。そしてもうひとり。教王に銃を突きつけ迫る、生徒会広報、蓮華三十三。
教王は後ずさりながら、懇願するように左手を前にかざす。
「ま、待て! 話せば……わかる……!」
三十三は表情を変えずに、淡々と返した。
「……問答無用」
乾いた銃声がスタジアムに鳴り響いた。教王の後頭部から脳漿が弾ける。その体はふらり、ふらりと前後に揺れる。そして、ドウ、とうつ伏せに倒れる。
御影教王は、退学した。
同時。
「やめて……冗談はやめてよォー!」
あらたな悲鳴の主は、九頭龍滝神峯だった。
「フフフン、フフンフーン……」
鼻唄まじりに巨大な鉄球を振り回す。神峯を追い詰めるように迫っている。それは、生徒会会計、銀沙向月だった。向月は一瞬ごとに、その姿を変えていく。華奢な少女、長身の少女、ボーイッシュな少女、筋骨隆々な少女……。
「ちょ、ちょっと待ってよ~、向月ちゃん……!」
叫ぶ神峯の脳天に、「フフフン、フフンフー」と唄いながら、痩せぎすの少女が、容赦のない鉄球を叩きこんだ。
肉が、潰れる音。
鳳凰丸も、盧舎那も。ただ呆然と、その光景を見つめていた。それはまったく現実感のない、虚構のような光景だった。
鳳凰丸の足元では、極楽真如が身じろぎをしていた。真如は救世の手に持つ本を指さす。その指は震えている。
「そ、それぇはぁ……」
体を起こす。手を伸ばしていく。
「それぇはぁ……!」
救世は嘲笑うように真如を見た。
「退学した三十二名は、とんだ濡れ衣だったな」
そして本を振り、冷たく笑った。
「これを持っていたのは、俺だったんだよ」
「返せぇ……か、返せぇ……! その本はぁ」
次の瞬間。
それは、鳳凰丸にとって生涯忘れられない瞬間となった。
闇が走った。
極楽真如の首が、くるくると宙を舞った。
鳳凰丸は、和刀を翻す救世を見た。
あ……。
鳳凰丸の中で何かがひび割れ、崩壊した。
鳳凰丸は悟った。
計画は、これで破綻した。
いや、それだけではない。
この学園での日々が。
そのなにもかも、すべてが──。
鳳凰丸は思い出す。
出会った時の、彼の眼差しを。
テラスの上で、突然歌いだしたその顔を。
丘の上で、一緒に過ごしたあの瞬間を。
そのすべてが。
夢殿救世の手によって。
その、すべてが……!
……極楽真如は退職した。
「あ、あ……」
鳳凰丸はうめいた。心臓が、早鐘のように打ち鳴らされていた。膝は、がくがくと震えている。視界は闇に包まれ、ぐるぐると回転していた。
理解しがたい状況だった。
理解したくはない状況だった。
救世は、そんな鳳凰丸を流し目で一瞥する。そして次の瞬間には、影のような残像をともなって盧舎那のもとへと移動していた。
「盧舎那……お前はやはり、凄いヤツだったよ」
「あ……?」
その心臓に、刀が突き立てられる。
盧舎那は、信じられぬ、という表情を浮かべた。
稀代の英雄。
教師すら破った男。
希望を一身に背負い、闘い続ける男。
優しい男。
そんな金堂盧舎那は……
実に呆気なく、退学していった。
「君は……君はぁ……!」
ふらふらと歩き、鳳凰丸は震える指で救世を指さす。目から、絶望とともに溢れだしたのは涙だった。言葉にならないうめきが、感情が、口からこぼれ出した。
「あ、あぁぁぁあぁぁ……君は……君はぁ! いったい、うぁあ……いったい、何を、やっているんだッ!」
救世はそんな鳳凰丸を見つめ、微笑む。
「貴様には、本当に感謝している……鳳凰丸」
そして和刀を回転させ、逆手に持った。
「何度も諦めた。絶対に無理だと思っていた」
スタジアム中から、生徒たちの悲鳴が聞こえてくる。鳳凰丸は理解した。蓮華三十三と、銀沙向月による、大虐殺がはじまっているのだ。
救世は。
「貴様のおかげで、俺はこうして、宿願を達成することができるんだ」
優しく笑っていた。
鳳凰丸は、絶叫した。
「お前……お前ぇぇッ!」
手をかかげ、叫ぶ!
「我が権能を執行する! ただちに夢殿救世を……逮捕しろォッ!」
「フッ……」
救世は笑った。
「遅いよ、鳳凰丸」
そして刀の柄を両手で持ち、振りあげ、床へと突き立てる。そこから。
闇が、溢れだした。
【第漆話に続く】
「人類救済学園」は月~金の19時半に更新していく予定です(予定)