見出し画像

人類救済学園 第漆話「地に堕ちて」 ⅲ

前回

ⅲ.

「なぜ……君が……ここに……」

 阿修羅の目を見つめながら、鳳凰丸はかろうじて口を動かした。その声音は弱々しい。あきらかに退学寸前だった。

 阿修羅は横抱きにしたその体を、そっと優しく抱えこんだ。

「櫻という一年が教えてくれた。だから……」

 阿修羅はささやくように言った。

「柄にもなく、すっ飛んできたんだ」

 その艶やかな髪がゆるやかに風になびき、その肩に下げた竹刀袋がカタカタと揺れた。鳳凰丸は力を振り絞る。

「櫻……くん……は……」

「彼は……他にもやることがあると言っていた。君を救うために。それが終われば、すぐに合流するだろう……だから、もう喋るな」

 そう阿修羅が告げたのと同時だった。学園全体が薄闇に包まれた。阿修羅は顔をあげ、見た。闇が講堂を飲みこんでいる。

 学園を象徴する輝きが、失われたのだ。

 そして、聞こえてきた。荘厳で不気味な、パイプオルガンを思わせる音色だった。それは畏怖を感じさせつつ、同時に、生理的な嫌悪感をも抱かせる音色だった。

 学園中に響くその音を伴いながら……黒い勾玉のように歪んだ講堂が、下降をはじめた。その巨大質量が空から落ちてくる。空気がひずみ、そして、風が吹き荒れた。

「まずいな……」

 と、阿修羅が見つめる先。校舎の頂点、鳳凰丸と阿修羅が出会ったあの円塔に、講堂が触れた。直後、火花のような超自然の輝きを放ちながら、円塔は崩れ去っていく……呆気なく。まるで、学園のこれからを暗示するかのような光景だった。

 講堂はそのまま下降を続ける。巨大な校舎が押し潰されていく。閃光と、爆発的な粉塵を巻きあげながら、潰され、砕け、連鎖するように……校舎は、崩壊を繰り返す。

 阿修羅はその光景を見ながら、何かに気がついたように目をすがめた。

 轟音とともに、雪崩のような粉塵がふたりを包みこんでいった。それはまるで砂嵐だ。激しい粒子の衝突が雷のような閃光を生み出し、崩壊した校舎の上、鎮座する講堂のシルエットを浮かびあがらせた。

「完全に、学園は終わりだな」

 と、阿修羅は呟く。
 そして、静かに息を吐いた。

「…………」

 朦朧とした感覚のなかで、鳳凰丸は感じていた。阿修羅はまるで、波ひとつない水面のように静かだった。佇まい、眼差し、体温……それらすべてが絶対的な落ち着きの中にあった。

 静かに吐く息は、阿修羅独特の調律だ。闘いを前に、絶対的な静けさへと己を導くための……。

 阿修羅は気づいていた。講堂が校舎を粉砕する瞬間。講堂から飛び降り、崩壊する瓦礫を駆け降り、粉塵のなかを疾風のごとく走り抜け、迫る。ふたつの人影があったことに。

 そして、阿修羅は振り返りもせず背後に向かって言った。

「……なんのようだ。蓮華三十三、銀沙向月」

 その背後……四十メートルほどの距離で、生徒会広報、蓮華三十三は感心したように目を見開いた。

「へえ。スゴいね……驚いた。この距離で気がつくんだ? さすがは数々の伝説を残す、体育委員長様だ。凄まじい超感覚……実に恐れいったよ」

 阿修羅は静かに返した。

「わたしは、なんのようだ、と言った」

 三十三は笑い、拳銃を構えた。粉塵吹き荒れるなかに、さわやかな花の香りが漂った。

「友情とは呪いだ。呪いとは執着だ……ふふふ。我らが副会長殿は、君が抱きかかえている、その風紀委員長くんにご執心なのさ」

 阿修羅は振りかえる。

「……だから?」

 三十三は口の端をあげた。

「引き渡してもらいたい」

「なぜ?」

 三十三は肩をすくめ、ニヒルな笑みを浮かべる。

「あのさあ……君ってやつは、話が通じないタイプなのかな? できれば、穏便にすませたいんだけどね。こちらとしても、噂の体育委員長様とは、ことを構えたくないからね……」

 三十三の隣で、少女が……生徒会会計、銀沙向月が口を開いた。口を動かすたびにその姿は変わっていく。眼鏡をかけた少女、太った少女、ボーイッシュな少女……

「もうさぁ、どうでもいいんじゃなーい? だってさ」

 と、鳳凰丸を指さした。

「どう考えても、もうすぐ退学でしょアレ」

 蛇のような少女の姿で、向月は満面の笑みを浮かべた。

「だったらさぁ、気を使う必要ないっしょ!」

 ふふ、と三十三は笑う。

「それも、一理ある」

 そして思案するように顎に指を当てた。

「……体育委員長が拒むなら、我々は本気で殺らねばならない。そうなると、風紀委員長は巻き込まれ、今の彼の状態から推測するに退学は必至と言えよう。そもそも……この学園を滅ぼすのは既定路線であり、いずれ皆、退学することは決まっている。これから何が起ころうと、それは些細な誤差に過ぎない……」

 阿修羅に抱かれた鳳凰丸を見て、三十三は笑みを止め、素面で呟いた。

「……つまりは、すべて無意味」

 向月が嬉しそうに言った。

「じゃあ、ヤっちゃう?」

 三十三は再び笑みを浮かべた。

「ああ、そうしようか」

 そう言いながら、三十三は花が咲き乱れる己のガーリーヘアを、まるで見栄を切るように大きく回した。それは、攻撃への予備動作である。

「いっそのこと、ここで退学してもらおう」

 それ以上ふたりに会話はいらなかった。阿吽の呼吸。その瞬間、阿修羅を鳳凰丸もろとも退学させる……それは決定事項となった!

「あはは!」

 向月は大きく笑い、鎖つき鉄球をブンブンと振り回し、上空へと……投げた。

 同時。回した三十三の頭から、色とりどりの花びらが散っていった。それは花吹雪と化し、吹き荒れる粉塵のなかで渦を巻き、阿修羅と鳳凰丸を取り囲む。まるで、花びらの結界だった。

 三十三はニヒルに笑う!

「さあ、仕上げといこうか」

 その手に持つ黄金の花ガラ拳銃が火を吹いた。連射、連射、連射。その連射は物理的な法則すら無視した神業だった。尋常ではないスピードと回数で、弾丸が射出され続ける!

「ははは……」

 三十三の乾いた笑いとともに、発射された銃弾はキラキラと煌めく軌跡を残し、花びらの結界に衝突。次々と跳弾と化していく。速度をあげ、阿修羅たちの周囲を飛び交い、全空間を色とりどりの輝きで染めあげる。それは恐るべき全面飽和攻撃である! それこそは、代々の生徒会広報が磨きあげてきた秘技である!

 その名も……

 百 花 繚 乱 (ピストルディスコ)!

 さらに。

「フフフン、フフフフーン」

 向月は鼻唄を奏でる。投げ上げた鉄球は上空で回転し、それはまるで、彼女自身の姿のように一瞬ごとに姿を変えていく。いびつに歪み、トゲを伸ばし、膨らみ……鉄球は落下にともない、その体積を倍、倍、倍、倍! と、巨大化させていく。

 その技は、対象を悉く鏖殺する凄惨なものだ。その技は、対象の硬度を無視してすべてを押し潰すものだ。その技のあとに残されるのは、血と肉と骨と、臓物。ただそれだけだ。

 その、おぞましき技の名は……

 鉄 球 地 獄 変 !

 ふたりの攻撃の前に、三百六十度、逃げ場はなかった。それはまさに、絶対絶命の死地である!

 その渦中で。

 阿修羅は静かだった。
 阿修羅は鳳凰丸に尋ねる。

「彼らは君の敵……そういう理解でいいのか」

 その表情は、この死の領域において微塵の揺らぎもない。

「…………」

 鳳凰丸は……その体には、もはや口を動かす力すら残されていなかった。しかし、阿修羅は微笑む。

「そうか、わかった」

 その瞬間の鳳凰丸の呼吸、体温、心音。その変化だけで、彼女には十分だった。

「少しだけ、我慢してくれ」

 鳳凰丸の体が宙を舞った。それは優しい、抱擁のような投げであり、鳳凰丸は加速すら感じないまま空中でくるくると回転した。

 ああ……。

 と、鳳凰丸は思った。優しい回転だった。鳳凰丸はその回転に身を委ねた。そして、見た。

 阿修羅は肩にかけた竹刀袋から竹刀を取り出す。そして、その体が一瞬、ノイズのように揺らいだ。それだけで十分だった。

 直後。

 それらはすべて、同時多発的に発生した。

 空から迫る巨大鉄球が盛大に砕け散り、爆散する。

 結界にガラスのようなヒビが生じ、粒子状に崩壊。

 打ち上げられた花火のように、銀沙向月が遥か上空へとカッ飛び、消えた。

 またたきする暇すらない、まさに刹那の出来事だった。揺らいだその瞬間。彼女は、そのすべてを実行していた。

 鳳凰丸は落下しながら、ぼんやりと思った。

 そうか、これが体育委員長。

 これが、南円堂阿修羅なのだ。

 阿修羅は握っていた手を広げた。その手から、パラパラと銃弾が落ちていく。竹刀袋に竹刀を納め、肩にかける。そして彼女は微笑んだ。腕を差し出し、鳳凰丸を優しく受けとめる。

 その正面、約四十メートル先。

「あ、あ……」

 三十三は震え、うめいていた。

「う……あ……?」

 三十三は己の右腕を見た。手首が不自然に折れ曲がっている。そこから、ぽとり、と拳銃が落ちた。その顔は蒼白で、冷たい汗とニヒルな笑みを浮かべながら、震えていた。

「はは……気をつけろ、副会長……」

 三十三は、驚愕と感心とが入りまじった目で阿修羅を見つめた。阿修羅の凛とした眼差しが、その目を見つめ返す。

「こいつは盲点だった……こいつは、噂どころの話じゃない……こいつは……こいつは、本当に……」

 その全身から血が吹き出す。
 三十三は、壮絶な笑みを浮かべた。

「はは……こいつは、南円堂阿修羅は、本当に……ヤバい」

 蓮華三十三は退学した。

 講堂が、再び浮上していく。

 瓦礫が崩れ、粉塵が舞いあがる。荘厳なる音が響き渡る。薄闇のなか、巨大な漆黒の勾玉は空を滑るように移動していく。そのあとに残されたのは、莫大な瓦礫の山だった。

 その瓦礫の山の一角が……動く。そこから、無数の荊のツタが生じていく。荊はまるで生きているように蠢き、瓦礫を吹き飛ばす。

「クソ……」

 荊の中心から白魚のような美しい手が伸び、瓦礫を掴んだ。

「クソが……ッ!」

 その手の持ち主……美化委員長、鏡鹿苑は毒づき、瓦礫をよじ登り、風紀牢獄の中から抜け出していく。「クソが!」なにが起きたのか、まるで理解できていなかった。「クソが!」しかし、尋常な状況じゃないことだけは確かだった。

「クソがッ!」

 鏡は瓦礫の上に立ち、あたりを見渡した。
 イラ立ったように爪を噛む。

「いったい、何が起きていやがる……ッ!」

第捌話に続く


「人類救済学園」は月~金の19時半に更新していく予定です(予定)

きっと励みになります。