軌道旋風ギャブリエル『楽園の地獄』第二話「君は、なぜ」
【前回】
たった一日で、すべては変わってしまった。のちに「楽園の地獄・第一幕」と呼ばれる絶望の一日が終わりを告げて、あらたな朝を迎えても、それでも、なお。
エクサゴナル共和国の首都パリスは、いまだ燃え続けていた。
テロがもたらした被害の全容は、ようとして知れない。エクサゴナル陸軍直属の消防旅団による救助活動も開始された。しかしそれは、遅々として進もうとしなかった。なぜなら。
『警告する! 首都は今、テロリストの脅威にさらされている! 戒厳令を破り出歩くものは、即刻射殺する!』
けたたましく鳴り響く、哨戒ドローンの警告音が瓦礫と化したパリスの街を覆っている。この状況のさなか、エクサゴナル政府が力を注いだのはより一層の治安維持だったのだ。
パリスは動揺している。生き残った人びとの心は千々に乱れている。不審。恨み。怒り。悲しみ。嘆き。そして、恐れ。
これで終わりではない。誰もがその予感に震えていた。パリスの空にたなびく黒煙は、その不吉を示す証しであるかのようだった。
カツン、カツン。
そしていま。救助の手がいまだおよばぬ貧民街で。カツン、カツン。静かなリズムが刻まれていく。ひとり歩む若者。カツン、カツン。誰もいない街のなかで、その手に持つ白杖だけが、静かな時を刻んでいる。
軌道旋風ギャブリエル
『楽園の地獄』
第二話
「君は、なぜ」
若者は盲目だった。
くせのある灰色の髪。くすんだモッズコート。繊細さすら感じさせる、芸術家のようなたたずまい。だがよく見ると、若者はドローンの目を逃れながら巧みに歩きつづけていることがわかるだろう。
若者の名はデミル。アルドリア連邦の切り札〈屍衆(かばねしゅう)〉がひとり。この若者こそが、パリスに未曾有の被害をもたらした張本人であるなどと、いったい誰が知ることだろう。
デミルの歩む先。建物の外壁が、道を挟んで向かいの家屋へと倒れかかり、まるでトンネルのような形をつくりだしている、その場所で。
「ねえ、どこ行くのさ」
トンネル状の瓦礫から、ひょこりと、少女が逆さまにぶらさがりながら顔を出した。ルウルウ。デミルと同じ屍衆の少女だ。ルウルウは少女らしい顔だちで、眉をしかめながら続けた。
「あのさあ、勝手に動くとさあ、ユヌスの爺様が怒るんだけど?」
デミルは……その言葉を無視するように、トンネル状の瓦礫のなかを無言で進んでいく。
「ねえ、ねえってば。デミル~。無視しないでよ~」
ルウルウは進むデミルの背後に、音もなく降り立った。まるでネコ科動物のような動きだ。デミルはなおも無視して、歩を早めていく。
「もう……なんなんだよ~!」
ルウルウは諦めたようにデミルの後ろについていく。
◆
同刻、パリス郊外。
『パリスを破壊したテロに関して、反政府組織〈エクサゴナル解放戦線〉が声明を出しました』
路地裏。表通りの明かりも遠く、薄暗く沈む陰りのなか。まるで溶け込むように、ひとりの老人が佇んでいた。ユヌス。屍衆の長だ。彼はいま、携帯端末のラジオに耳を傾けている。
『エクサゴナル解放戦線は声明のなかで「これは民衆の目覚めをうながす聖戦である。独裁からの解放の日は近い」などと主張をしています。一方、政府は解放戦線による犯行を否定し、アルドリア連邦工作員によるテロだと断定しました。本日正午にも、指導者マキシム閣下による会見が予定されています。国民全員の拝聴が望まれます。なお野党はこの被害を、政府による大義なきアルドリア侵攻がもたらした惨禍だとして……』
「期待以上の戦果だったよ」
ユヌスは片眉をあげ、声の主を見た。ユヌスの隣。佇む影がもうひとつ。ユヌスは呟くように影にこたえる。
「……ご満足いただけたようで、なにより」
その影……赤いコートをまとった黒髪の女だった……は、奇妙な笑みに唇を歪ませていた。
「いやはや、燃えあがるパリス。じつにすさまじい光景だったね。まるで地獄のようだと思ったよ……。わたしは戦慄すら覚えた。この光景をうみだした君たち屍衆とは、いったいなんなんだろう、とね」
「…………」
ユヌスは沈黙している。
女は奇妙な笑みを浮かべたまま、饒舌に続けた。
「屍衆……。くく。アルドリアの伝説的な護国集団とは聞いていたが。正直、なんともバカげている……そう思っていたのだよ。護国の集団なんて、ナンセンスで時代錯誤な噂だとね。だからわたしは、君たちの存在すら疑っていた。プロパガンダご苦労さま、そんなことを思っていたわけさ。でも、君たちは実在した。そして噂以上の、想像を絶する力量の持ち主たちだった。わたしは感動したよ。君たち屍衆は、まさに超人集団と呼ぶにふさわしい……」
ユヌスは鼻を鳴らした。
「あなたがた、ガルトゥ人民国の支援あっての成果だ」
くくく、と女は含み笑いで反応した。ガルトゥ人民国。エクサゴナルとしのぎを削る、東方の覇権国家。女は、そのエージェントだった。
「ご老人は謙虚なことだ……でもいいだろう、君たちの実力は理解したよ。約束しようじゃないか。君たちへの支援は今後も継続する。そしてもうひとつ。君たちの望みどおり、エクサゴナル解放戦線とのパイプも、我われが繋いであげようじゃないか」
「けっこう」
ユヌスはうなずいた。女は……含み笑いをとめて、鋭い眼差しでユヌスを見つめた。
「……で、だ。ここから先は、お互い、腹をわって話そうじゃないか。わたしはね。本当のところを聞きたいのだね」
ユヌスは再び無言でうなずいた。
女はつづけた。
「単刀直入に聞こう。君たちに勝算は、実際あるのかい? いかに超人集団とは言え、相手は強大なる国家だ。単に、テロを続けるだけでは未来などあるまい。そもそも、君たちの望みは復讐だけではないはずだろう? エクサゴナルをアルドリアから撤退させる。それが望みではないのか? 違うかね、ご老人」
「無論」
ユヌスはうなずき、薄暗い闇を見つめながら淡々と語った。
「マキシムがいかに強気だろうと、人の心というものは脆いもの。〈楽園の地獄〉は比喩ではない。我われはエクサゴナルの魂が折れるまで、そしてエクサゴナルの民が絶望に沈むまで、決して手を緩めることはない。作戦はエスカレートし続ける。そして、エクサゴナルに地獄をもたらすのだ。……たとえ、どれほどの犠牲が出ようとも。音をあげた連中が、アルドリアから出ていくその時までな」
「くくく。そう、うまくいくといいがねえ」
女もまた薄闇を見つめながらつづける。
「あまり、マキシムを甘く見ない方がいいと思うんだが。わたしは」
「フン、甘く見るなど……」
ユヌスは顔をしかめた。そして、重々しく吐きだす。
「我らは、アルドリアに居たのだぞ。あの、地獄のようなアルドリアに。マキシムによってもたらされた、あの、地獄のなかに」
「ああ、そうだったな。すまないすまない。だがなあ、わたしが聞きたいのは、そういうことじゃあないんだよ」
ユヌスは片眉をあげ、女の奇妙な笑みを見た。女はつづけた。
「なあ……率直に尋ねたい。噂のアレは、使わんのかね」
「……アレ、とは?」
「くくくくく! しらばっくれるなよ、ご老人! わたしたちは知っているぞ。君たちが抱えている、最大のジョーカーを!」
女は一転、声を沈めた。
「コードネーム〈最強の人類〉」
ユヌスは驚いたように目を見開き、女を見つめた。
「……なぜ、それを?」
「いるのだろう? 君たち屍衆のなかに。〈最強の人類〉が」
ユヌスは見開いた目を細めた。沈思黙考するように顎に手をあてる。女はニヤニヤとその姿を眺めている。しばらくして、「ふはは……!」ユヌスは快活に笑いだした。それは、今日はじめて見せた老人の笑顔だった。
「スポンサー殿はなんでもご存知なのだな! たいしたものだ」
女は……高揚したように荒い息とともに吐きだす。
「ああ……。いま、君の反応を見て、わたしは確信を得たよ。最強の人類。それは実在するのだと。正直、半信半疑だったのだ。しかし昨日、わたしは君たちの実力を見た。そうであるなら、最強の人類もまた信じるに値すると考えた……そしていま、ついに確信が得られた……! ああ、ああ、最強の人類! どれほどのものなのか! 考えただけでも興奮が止まらん! 是非、見てみたいものだね。是が非でも、見てみたいものだ!」
「フン……スポンサー殿は最強の人類にご執心、というわけか」
「そうだとも。目下、最大の関心事と言ってもいい!」
「なるほど……だが、ダメだ」
「ぬ……?」
一転、女は怪訝そうに眉を寄せた。
「なんだって……? ダメとはどういう意味だ」
「アレは、使うわけにはいかんのだ」
「なぜ? なぁぜ? 意味がわからない! 戦力の逐次投入ほど、バカげたこともあるまい! やるからには最大の戦力でもって敵を叩くべし……戦術の基本ではないか。違うかね? マキシムを甘く見ないのであれば、なおさらそうだろう!」
ユヌスは……鼻を鳴らした。
「フン。知らぬからこそ、そんなことも言えるのだ。アレは、使ってはならぬ。使ってはならぬのだ……。アレは抜かずの宝刀。アレを抜いたが最後、誰にも止めることはできぬ……我ら、屍衆であってもな。ゆえに、アレは切り札中の切り札、抜かずにすませるべき刀……抜くときは、すべてが終ったときのみだ。その、覚悟ができたときのみなのだ……」
そこまで言って、ユヌスは女を見た。女の体は小刻みに震え、頬は紅潮している。興奮しているのだ。女はうめいた。
「……それほどか!」
ユヌスはこたえた。「ああ、それほどだ」それを聞いて、女は髪をかきあげるように額に手をあてる。はあ、と吐息を漏らし、そのまま上を向く。その顔は奇妙な笑みで歪んでいる。そんな女に、ユヌスは重たく告げた。
「……警告したぞ。あまり変な気は起こすなよ、スポンサー殿」
女は……ふぅと息を吐きだす。そして顔を下げた。
首を振りながらユヌスにこたえる。
「ああ、ああ。わかってる。わかっているとも。いささか興奮しすぎたようだね。ご忠告、痛みいる……君たちがそう言うのであれば、実際、そうなのだろうよ。危険、なのだろうな。自重するよ……少なくとも、今はね」
ユヌスは再びフン、と鼻を鳴らすと、距離を置くように一歩さがった。その顔に薄闇がかかり、表情を消した。
「では約束どおり、我らとエクサゴナル解放戦線との繋ぎを」
「ああ、頼まれたよ」
薄闇に紛れるようにして少しずつ、ユヌスの輪郭が消えていく。そして、その姿が完全に見えなくなるのと同時。路地裏にはユヌスの声が木霊していた。
「エクサゴナル解放戦線……きゃつらには、しっかりと矢面にたってもらう……我ら、屍衆のかわりに……かわりに……かわりに……」
路地裏に、吹くはずのない一陣の風が吹きこんだ。女は髪を押さえる。砂埃とともに、木霊は消えていく。女は呟いた。「忙しない老人だ」路地裏には、静けさと、ただ女だけが残された。
「く……」ひとり残された女は……「くくく……」笑いだしていた。その笑みは、ますます奇妙に、歪みを深めている。
「くくく! まあ、がんばりたまえよ。どう転ぼうが、君たちが失敗しようがすまいが、我らガルトゥにとっては益になるのだからね。だから、励むことだよご老人。君たち自身の、明日のためにね……」
◆
再び、パリス貧民街。
ルウルウは素っ頓狂な声をあげていた。「あれ、ここって!」そう言いながら、立ちどまったデミルの横に並び立つ。ふたりの眼前には、崩れかけたアパートメントがある。
「ここって、セレンが殺された場所……?」
「そうだ」
デミルはうなずいた。そして、カツン。白杖で地面をたたく。大地が……小刻みに震え始めた。ルウルウはデミルの顔を覗きこむ。
「いまのって、もしかして?」
「そうだ」
そうこたえるのと同時。大地の震えは大きくなり……やがて、鳴動をはじめた。ルウルウは目を丸くする。デミルは誰かにささやくようにつぶやいている。
「ここに来るまでに仕込んでおいた……セレン。君のために」
轟音。アパートメントを支える大地が抜け落ちていく。
「すごい! デミルの魔法はすごい!」
ルウルウが笑い、目を輝かせる。もうもうと砂煙が立ち上がった。その砂煙を吹き飛ばすように、続いて、猛烈な突風が吹き荒れる。「うわ」ルウルウは驚き、デミルの腕をつかんだ。突風の正体。それは破壊されたパリスで燃え盛る、炎によって生じた局地的な旋風だった。
「まさかこの風も……」デミルは淡々とこたえる。「ああ。俺の計算どおりだ」ルウルウはその横顔を見つめた。「デミルは、やっぱりすごいね……」ルウルウは、デミルの魔法が大好きだった。
デミルの魔法……それはデミルの超感覚、そしてあらゆる運動の帰結と相互作用とを見極める超計算能力、そのふたつが合わさることで可能となる、人為的な物理現象の連鎖である。それこそがデミルの魔法……パリスに未曾有の被害をもたらした力の正体だった。
「ルウルウ。お前には見えるだろう」
そう言いながら、デミルは白杖をかかげた。その示す先。人ひとり分ほどの広さでアパートメントの区画がすっぽりと、崩落することなく残されていた。それはまるで、小さな塔のようだった。そして。
「あ……!」ルウルウが驚きの声をあげる。その塔の上。残された床に横たわる、少女の姿があった。美しい少女だった。「セレンだ……」
セレン。屍衆のひとり。〈楽園の地獄〉開始前に、何者かによって殺された……デミルの、幼なじみ。
「……」
デミルは無言のまま跳躍した。残された柱を蹴りわたり、上へ上へと。そして立った。「……セレン。迎えにきたよ」もう動くことのない、幼なじみのかたわらに。
デミルはしゃがむ。セレンの手をとる。その手はもはや硬直していて、冷たい。デミルはセレンの手を両手で包みこむ。そして、己の顔へと寄せていく……まるで、祈りを捧げるように。いや、それは実際、祈りのようでもあった。深く、深く。デミルは己の超感覚に身を委ねていく。深く。いつもよりも、もっと深く。祈るように。
感じる。
君の吐息。君の生きた痕跡。
君の、陽だまりに咲く花のような香り。
戦争前、君はいつも笑っていたね。
見える。
少しずつ俺には……。
君の死の瞬間。
君になにが起きたのか。
君がどのように殺されたのか。
俺には……。
俺には少しずつ。
俺には少しずつ、見えてしまう。
なぜ……。
なぜだ……。
なぜ……。
なぜなんだ……。
デミルはセレンの手を強く握りしめていた。
音もなく、その背後にルウルウが降り立った。
「デミル……」
デミルの震える肩に手をおこうとして、ルウルウは引っこめる。そして、悲しげにデミルの背を見つめた。「なぜ……」デミルの口からは、嗚咽が漏れている。「なぜだ……」セレンの体に、ぽたりと涙が落ちた。「こんなこと……」デミルは見ていた。その超感覚によって。セレンの死の瞬間を。「信じられない……」そしてそのとき、起きていたであろう出来事を。「なぜ……なぜだ……!」デミルはうめく。
「君は、なぜ……!」
その時であった!
「「!?」」
周囲にうごめく気配。デミルとルウルウは弾かれたように顔をあげた。そして考える前にルウルウは動く。デミルの体、セレンの遺体を担ぎあげ、少女は高く跳ぶ!
直後。それはまるで、青天にとどろく霹靂のように。ふたりがいた塔が、すさまじい音声(おんじょう)とともに崩れ去った。銃火器による十字砲火。
「なんなの、なんなの!?」
うめきながら、着地。ルウルウはデミルとセレンを担いだまま、周囲を見る。そして「……!」目を見はった。ふたりを取り囲むように、瓦礫の山から現れたのは異形の集団だった。
「完ッ全に囲まれてる!?」
「バカな。気配など、どこにもなかったはずだ……」
異様な集団だった。全身を覆う、甲冑を思わせる褐色の装束。そのフォルムは、どこか野獣のようだった。そして……「デミル、こいつら……!」その特徴的な姿によって、ルウルウは気がつくことができた。
「こいつらシヤン・ドゥ・ギャハルドゥだ! マキシム直属の番犬部隊ッ!」
問答無用! 番犬たちは一斉に手をかざす。その手には爪のような奇妙な火器が装備されている。そして、その爪から射出されるのは……当然のように銃弾の嵐だ!
「くそ……くそッ!」
雷鳴のごとき轟音のなか。
ルウルウは……再び跳んだ!
◆
同刻。パリス中枢。〈指導者〉公邸。
あの災厄にも関わらず、公邸は無傷。そしてその主、マキシム・デュカンはいま、ソファーに腰かけてゆったりとくつろいでいる。
金色の短髪。白く透き通るような肌。貴公子然とした佇まいに不釣り合いなほど鋭い眼差し。
室内には美しい調度が並んでいる。家族を失い苦しむ人々、その嘆きが充満する外界とは、隔絶した洗練の世界がそこにはあった。
マキシムの美しい手がゆったりと頭上へとかかげられていく。そして……パチン。指を鳴らした。それを合図に、音響システムが荘厳なるクラシックを奏で始める。
開幕は雷鳴のごときドラムロール。マキシムは微笑み、立ちあがる。そしてドラムロールに合わせるように、ゆっくりとその右腕をあげていく。
「破壊とは、はじまり」
直後、稲妻のような劇的な旋律。マキシムのかかげられた腕が打ち振られた。
「パリスの破壊、ここからはじまるのだ」
壮大な交響曲に合わせるように……マキシムは腕を広げる。まるで指揮者のように腕を振るう。マキシムは恍惚と呟く。
「世界は変わる。この、マキシム・デュカンによって」
そして一拍の静寂。地の底から響くようなドラムが開始され、少しずつ、その勢いは増していく。マキシムもまた、リズミカルに両腕をかかげていく。誰もいない部屋のなか、マキシムは語りかけるように呟き続ける。
「生け贄が必要なのだよ。変わりゆく世界のためには……」
ジャーン! 打楽器の勢いが頂点に達した瞬間、交響曲は最大の盛り上がりを見せつける。「生け贄、生け贄、生け贄!」その熱狂にあわせ、マキシムもまた狂ったように腕を振るいつづける。
「生け贄! テロリストの血! 大地へと降り注ぐ! 新たなる世界の、愚かなる生け贄!」
ジャン、ジャン、ジャン!
◆
そして再びパリス貧民街!
それはまるで、マキシムの熱狂が乗り移ったかのような交響曲、銃弾の嵐だった。そのなかを、デミルとセレンを担いで、ルウルウが疾走していく!
「くそ、くそ、こいつら!」
ルウルウの身体能力は常人をはるかに超越している。だから、ふたりを担いだままのスピードであっても、ついてこられる人間などあり得ない……あり得なかった。しかし。
「こいつら、あたしのスピードでも引き離せない……! それに」
跳ぶ。宙で身を捻る。着地。急速反転。番犬どもの一角へと逆に迫る。しかし、番犬どもは素早く反応する。ルウルウにあわせるように、背後に跳躍、再び距離をあける。
「こいつら、間合いを保って、じわじわとなぶり殺しにするつもりだ……!」
叫びながら、再び跳ぶ。一ヶ所にとどまれば銃火の餌食となる。しかし、このまま動き続けていても、いずれは……。
「ルウルウ」デミルだ。
「なぁによッ?」ルウルウは叫ぶようにこたえる。
「二時の方向へ走れ」
「あいよーッ!」
ルウルウは走る! 番犬どもは包囲を保ちつつ、その疾走に追随する。「んん……」ルウルウは眉根を寄せた。前方。アリ地獄のような、すり鉢状の瓦礫地帯。
「その底へ降りろ」
「あいよーッ!」
「底に降りたら二秒後、四時の方向に回転」
「あいよーッ!」
ルウルウは底に降りた。そしてきっかり二秒後、四時の方向へと回転。銃弾が殺到する。刹那、デミルはその盲いた目を見開いた。その手に持つ白杖を一閃! 二閃! 三閃! チュン! ヂュン! チュン! かん高い音ともに、銃弾が弾かれる。デミルは叫ぶ!
「跳べ、できるだけ高く、弧を描くように!」
「ああもう、人づかいが荒いッ! でも、でも、あいよーッ!」
叫びながらルウルウは大きく跳んだ。同時。チュン、カン、チュン、カン。連鎖するような跳弾の音。そして!
「「!?」」
番犬たちは顔をあげた。ズン、という不吉な音。そして鳴動。「やった!」ルウルウが勝利を確信して叫んだ。番犬どもの頭上から、すり鉢を押し潰さんばかりの、瓦礫の雪崩が降り注いだ。
「さすがだよ、デミル! 魔法!」
喝采を叫び、ルウルウは大ジャンプからの着地を決めた。すり鉢の外だ。「いや、まだだ」とデミル。ルウルウは反転し、「え~」と不満げにその目をすがめた。
「あ、ほんとだ」
崩れ落ちた瓦礫の地面が、カタ、カタと揺れ……直後、吹き飛ぶように弾き飛ばされた。立ちこめる砂塵。その向こうに、瓦礫から這い出す番犬どもの姿が見える。
「ん~、しぶといねえ」
「こいつら……」
デミルは呟いた。
「理解した。心音も、体温も、呼吸もない」
「へへっ。そんなこと、もうどうでもいいよ~」
ルウルウは獰猛な笑みを浮かべていた。バチバチと、番犬どもの装束が火花を散らしている。その動きは、あきらかな異常をきたしている。
「すっかりボロボロだね~」
肩に担いでいたデミルを降ろし、セレンの遺体を渡す。そして、バキバキと指を鳴らした。もはや、担いで逃げるまでもない。ルウルウは裂けんばかりに口をあけて笑うと、
「……ぶッ殺す」
直後、正面にいた番犬の首が飛んだ。躍りかかったルウルウの指先が、その首を握りつぶしている。ルウルウは残った胴体を蹴る。反動で跳躍。宙で身を捻り、その隣の番犬へと襲いかかる……。
「ん」
それは、ルウルウの動体視力だったからこそ視認できたに違いない。宙で身を捻る瞬間。ルウルウは、空に奇妙なものを見いだしていた。
なんだあれ……。
空にたなびく黒煙のなかに、鮮明に浮かびあがる赤い閃光。ルウルウは刹那の間に、不吉な予感とともに考える。
あれって……いったい?
あれはいったい、なんだ……?
着地と同時。その爪で番犬を切り裂く。だが、ルウルウは再び空を見あげてしまう。戦闘時にあるまじき行為。だがそれは、ルウルウだけではなかった。番犬どももまた、動きを止めて空を見あげている。
「なんだ……?」
目の見えぬデミルだけが、なにが起きているのかを理解できずにいた。ただ理解できたのは、番犬どもが空を見あげながら動揺しているということだけだった。
「なにが……起きている?」
ルウルウがその声にこたえた。
「デミル……なんか変だよ」
ルウルウの瞳は、魅いられたように空を見つめつづけている。
「赤いんだよ」
「……?」
「空をバーッと」
ルウルウは不安とともに叫んでいた。
「赤い光が貫いているんだよ!」
それは神々しくも、畏怖を抱かせるような光景だった。
黒煙たなびく空。それを貫くように。
落ちてくる、ひとすじの赤い閃光がある。
ルウルウは知らない。その輝きは遠く、衛星軌道から降りてきたのだということを。デミルは知らない。その輝きこそが、自分たちの運命を変え、吹き飛ばしてしまうであろう巨大なる旋風なのだということを。
彼らはいずれ知ることになる。
赤い閃光の名を。
その名は軌道旋風。
軌道旋風、ギャブリエル。
【第三話に続く】
軌道旋風ギャブリエル『楽園の地獄』
第三話「空から来た女」
この続きは2022年1月31日発売の「無数の銃弾:VOL.4」で読めます。
VOL.5発売のタイミングでこちらの内容もnote上で公開予定です。