親孝行・子孝行の最終形とは
突然ですが、皆さんは親孝行できていますか?
先日、私の両親は結婚60周年を迎えました。
50周年の金婚式を迎えることがとてつもなくすごいことだと思っていたのですが、気が付けば60周年。
そして、親不孝なことに、私をはじめ私の兄も姉もそのことに気が付いていなかったのです。
たまたま結婚60周年の2日前に父と電話で話した義姉によってそのことが発覚し、滑り込みの形で両親を祝うことができたのですが、自分の親孝行レベルはかなり低いほうだと自覚しています。
親孝行とは
誕生日や記念日には、必ずお祝いの言葉とプレゼントを送る。
これも一つの親孝行の形です。
言葉やプレゼントはもちろんうれしいけれど、親の気持ちにすれば
「子どもたちが気にかけてくれている」
ということが、何より重要なことでしょう。
人は忘れられるのが一番つらい。
さりとて「お祝いしてよね」と自分からいうのは違う。
だから、最低でも「記念日」にお祝いの言葉を掛ける、プレゼントを渡す、というのは分かりやすい孝行だと思います。
本当の親孝行とは
そういう私も、一応3人の子どもがいるので「孝行される側」でもあるはず。
完璧ではなかったにせよ、それなりに子育ては頑張ったつもりです。
精いっぱい愛したし、今も子どもたちは何より大切な存在です。
そんな「親」としての立場から、子どもたちに何をしてもらったらうれしいか考えてみました。
誕生日や母の日に「ありがとう」「おめでとう」という言葉をもらえるのはもちろんうれしい(くれない時もあります)。
でも、一番うれしいことはそれではなくて、
子どもたちが毎日楽しそうに生きていること。
それに尽きるのです。
私が親にすべきことは
ということは、「娘」である私が「両親」に対してできる最大の親孝行は、
私が幸せに、そして元気に毎日生きていること。
であるはず。
父は87歳、母は84歳になりました。
ありがたいことに二人は相応に年は取っているものの、二人で生活できています。
そんな両親にできることは、私が幸せであることなんだと、当たり前のことに思い至ります。
ここ数年、離婚だなんだと心配をかけ続けた私。孝行娘とは程遠い。
私が子どもたちにすべきことは
そしてもう一歩踏み込んで、私が親として子どもたちにできることを考えてみました。
私が両親に望むことが、私が子どもたちに対してあるべき姿ということになります。
そして、私が両親に望むのは「毎日元気で機嫌よく暮らしてくれていること」なのです。
そうであるなら、私が両親のために、子供たちのためにすべきことは
「自分が全力で機嫌よく生きること」
これに尽きるのでした。
人はだれしも誰かの子であったり、誰かの親であったり、誰かの妻だったり夫だったり、親友だったり。
自分の近くにいる大切な人のために、自分が出来ることの最終形はこれ。
当たり前のことに、改めて気がついた朝でした。