どこかのただの主婦

自分という存在を認められずに育ち、他者からの承認を求めてあれこれ手を出し忙しくしすぎた結果、うつ状態に。カウンセリングに通ううち、育ちの傷を自覚した主婦です。日々思うこと、カウンセリング経過のレポート、昔を振り返るなどなど。誰かに読んでもらうためのノートではないです、悪しからず。

どこかのただの主婦

自分という存在を認められずに育ち、他者からの承認を求めてあれこれ手を出し忙しくしすぎた結果、うつ状態に。カウンセリングに通ううち、育ちの傷を自覚した主婦です。日々思うこと、カウンセリング経過のレポート、昔を振り返るなどなど。誰かに読んでもらうためのノートではないです、悪しからず。

最近の記事

子どもの習い事~地獄絵図

久々に書きます。これまでとはちょっと異なる内容になりますが。 先日、ちょっとご縁があって、子ども向けの美術教室を見学する機会がありました。我が子が通うためではなく、先生がアシスタントを探しているとのことで私にお声がかかり。先生目線での見学です。 私の精神状態、実は最近ものすごく回復しまして、もうそろそろカウンセリングも卒業だろうなと予感しています。外側はきっと何も変わらないけど、中身がまるで別人になったかのような心持ちの今です。素直に生きることが楽しいです。どん底のときは

    • 元気に見える人が、本当に元気とは限らない。

      久々に書きます。 心理治療を始めてから一年が過ぎました。当初はこんなに長く通うことになるとは思っていませんでした。現在の状態もあまり良いとは言えず、相変わらず不安定で心から血が流れるような感覚は変わらないし、誰かの言葉に敏感に反応しては勝手に傷付き、ちょっと頑張るとぐったりしてしまうことも多々あります。 なんというか、次々と問題が湧いてくるんですよね… 新たな問題ではなくて、封じ込めていた痛みが問題として顕わになった、という感じです。それをどうしたらいいのかわからない状

      • ああ、やれやれ。

        成長や変化は直線的ではなくて螺旋状。ゆっくりと少しずつ。しかも少し戻ったり下の方に落っこちたりしながらなんだろう。変わりないものはない。私も。不登校中の息子だって。 30代も終わろうとする頃になって、親とのことでこんなにも苦しい思いをするとは思わなかった。 本当に壊れた心の真っ最中にはとにかく避けるしかなかったその存在が、少しずつ回復するにつれ、近づけるようにはなってきたと思う。 だけどやっぱり元に戻ろうとする親の圧力に、私の心は押されっぱなし。せっかく守ろうとしている

        • 長年かけて破壊された自尊心はなかなか治りきらない

          何もする気になれない一日。洗濯物を干しただけ。どうにか子どもたちに食べるものを用意しただけ。天気も良くて、近所の散歩くらい行けたら良かったのにな。 安定しない。そもそも私の日々って安定するものではないのかも。 大体こういう風になるのは親が距離を詰めてきたてきなのだ。わかってる。向こうは子離れ孫離れができない。どうせまた前みたいに戻れると思ってる。外から見える幸せをどんなに繕ったって、なかったことにはできないし、見えないところは腐り切ってるのに。本人たちはなんの問題もないと

          思考ぐーるぐる。なかなか楽になれない

          緊急事態宣言中です。しかしどこか前回と違う空気を感じるのは何故だろう?街中の様子が何も変わりません。ただ、飲食店の閉店時間が早まって夜が静かになった光景は、飲み屋ひしめく我が街の平常時とはだいぶ違っていて異常な気配を感じます。 飲食店ばかりに無理を強いている印象だけどどうなんでしょう?飲食店の皆さんは大変だよね、と夫に話しかけてみると、すかさず『でも保障がもらえるからね(大丈夫でしょ)』っていう、あーそういう返しだよね~そういうことじゃないでしょ仕事っていうのはさ…私は当事

          思考ぐーるぐる。なかなか楽になれない

          さようなら2020、こんにちは2021

          正月三が日が終わります。今はまだ新年で、なんとなく心も新たに切り替えていこう!という気分が持続してますが、段々と日常に戻って、また日々アワアワしながら、季節は過ぎていくんでしょうね。 昨年は本当に辛い一年でした。37年生きてきて、たぶん一番。 それまでは、辛いことには蓋をして、さっさと捨てて、他のことで頭と心を忙しくして、なかったことにして生きていこうっていうスタイルで生きてきましたので。その捨ててきたすべてに正面から向き合うように生きた一年、本当に苦しかった… 『あり

          さようなら2020、こんにちは2021

          私に関しては気にしなくていいよ、と言いたい。

          近頃の記事に貼ってるのは我が家から見える空模様です。天気が良いと、夜明けから日没更には月明かりまで本当に美しい。週間天気予報で晴れが並んでいると、それだけで嬉しくなります。 雨は苦手。体調が悪くなるし洗濯物が乾かない。そこで『今日は雨か、嫌だな~』と何気なく口にすると、『僕は雨好きだけどね』『雨も良いものだよ』とか『雨がないと作物が云々』とか。うっせーなそんなことは承知の上で言ってんだよ!と言いたくなるような返しが来ることがあります。これ、知らず知らずのうちにやってしまう相

          私に関しては気にしなくていいよ、と言いたい。

          受け止め続けるだけの日々は結構苦しい。

          不登校の息子(小学3年生)とは本当の意味で四六時中一緒にいます。 怖がりなので、トイレやお風呂には基本付き添い。分離不安も大きく、留守番等も難しい。お喋りなので、ひたすら受け答え。学校のトラウマから、否定されることや笑われることには過剰反応する。だから私は受容の姿勢を保つよう常に努力。一緒に寝ることを望むので、『子どもが寝静まった夜にほっと一息』とかもなく。こんな毎日、無意識下であっても常にどこか緊張感がある気がする。だいぶ慣れてきたと言っても、やっぱりかなりのストレスを感

          受け止め続けるだけの日々は結構苦しい。

          不登校について、とりとめもなく

          息子の不登校も長くなってきた。このまま今年度は一度も行かずに終わるだろう。毎日息子と過ごす日々。不思議なもので、段々とその暮らしが【我が家の普通】と呼べるものになってくる。最近当初より穏やかに過ごしている自分がいる。心の治療のお陰なのか、単純に慣れただけなのか、その両方かもしれない。 学校に行くことがいちばん良いだなんて思わないけど、社会のシステムでそれがスタンダードとなってる以上、やはり復帰することをひとつの指標としているのが我が家の考え(かと言って無理強いはしない)。

          不登校について、とりとめもなく

          自死について~雑記

          新聞を購読していない、テレビも見なくなった、SNSも辞めた今、ぼんやりしていると世間の情報を全く取り入れられない。 三浦春馬さんや竹内結子さんの自死は知っていたけど、その間女優の芦名星さんまでも自死していたとは知らなかった。好きな女優さんだった。9月中頃とのこと、そのときはまだ私Twitterだけは開いていたはずだけど、なんで一ミリも知らなかったんだろう。 自死に走ってしまう気持ち、わかる。 報道ではあれこれ原因や理由について詮索するばかりだけど、どれもピンとこない。た

          自死について~雑記

          準備して、出掛けて。

          すっかり世間から外れて閉じ籠りの日々ですが、先日久しぶりに『仕事のための勉強会』のような場へ出向きました。 とある技術を持っているため、単発で一日のみ働く。毎年この日だけは働くことが確定しているという一日。一大イベントと呼べるような日です(ヒント→祝日)。 精神的に辛くなって思うように動けなくなって以来、それまで励んでいた活動や人間関係を極限まで整理して手を引きました。そんな中でも、この仕事は手放さないようにしようと決めていました。 まだまだエネルギーの湧かない日々、手

          準備して、出掛けて。

          優しい世の中を作ろうとアクションを起こす人たちについて思うこと等々

          穏やかな天候が続いていますが、なんだかなァ~という日々です。 心が病む前の私は様々な活動に勤しんでいました。子どもの学校行事や習い事の送迎等家庭の用事、イベントの主催など趣味のような仕事のようなこと、安定収入のためのパートタイマー。友人とのお茶やランチなどの遊びに誘われればどうにか時間を空けて。気になる講座があるとなれば聴講に飛んでいく。一日に何個も予定を詰め込んで、手帳は真っ黒でした。また、家が汚くなると落ち着かない性質(たち)なので、家事も結構頑張っていたと思います。

          優しい世の中を作ろうとアクションを起こす人たちについて思うこと等々

          鬱症状がぶり返してる感じ。もう今はただただ『死んでないだけ』の生き方でもう良しとすることにした。休むことが大事というけど子どもたちを生かすためには休んでいられないのが現状なのだ。家族であれ、公的サポートであれ、他者を頼るには精神的にも金銭的にもハードルの高いのが現実。

          鬱症状がぶり返してる感じ。もう今はただただ『死んでないだけ』の生き方でもう良しとすることにした。休むことが大事というけど子どもたちを生かすためには休んでいられないのが現状なのだ。家族であれ、公的サポートであれ、他者を頼るには精神的にも金銭的にもハードルの高いのが現実。

          辛く、苦しい

          息子が学校に行かなくなって、私自身はどういう気持ちで学校に通っていたんだっけ?と思い返してみたら、出し切ったと思っていた過去の辛く苦しく寂しい記憶と気持ちがまた蘇ってきてしまいました。外に出したとしても消えてなくなるわけではなくて、一生抱えていくしかないものなのでしょう。カウンセリング通院は今も継続中。先月頃はとても気分よく過ごしていて、卒業できそうかな~なんて楽観的に今後のことを捉えていたけど、まだまだ手強いですね。 平行して読んでいた本が私自身の育ちに関わるような内容だ

          YouTuberさん、頼りにしてます…

          こんにちは。 我が家の息子(9歳)、相変わらず学校に行かない毎日です。 不登校に対する世間の眼差しは、私が子どもだった頃よりは温かなものになってきているのだろうな~と感じますが、それでも社会との繋がりが断たれている感覚は拭い去れません。私は誰よりも近くで息子を見守りながら、この先のことを楽観的に捉えられる日もあれば、反対に絶望感に苛まれる日もあり、なるべくそんな心の揺れを表に出しすぎないようにすることに精一杯という状態です。 さて不登校になった子どもがゲームや動画に多く

          YouTuberさん、頼りにしてます…

          物心ついてから今までどうしても『生まれてきてよかった』と思えない。刹那的な喜びはあっても持続しない。この際生まれてきてよかったと思えなくてもいいけど生きてることに対して『こんなもんか、続けていこう』程度に捉えたい。それもできないから、いっそのこと死にたいって思ってしまう。はあ。

          物心ついてから今までどうしても『生まれてきてよかった』と思えない。刹那的な喜びはあっても持続しない。この際生まれてきてよかったと思えなくてもいいけど生きてることに対して『こんなもんか、続けていこう』程度に捉えたい。それもできないから、いっそのこと死にたいって思ってしまう。はあ。