同性パートナーは見ないだろう懐かしい笑顔
先週、母が救急車で運ばれた。
カミングアウトしてから20年。同性パートナーに会うことを望まない母の人生など、どうでもいいけど、と思う矢先の出来事だった。
上の兄も、ずっと僕に差別的で、急に深夜に電話をかけてきて、母の容態で相談を求められた時は、「都合のいいときだけ利用すんなよ」と思った。
上の兄「母が苦しそうなんだけど、明日ついてやってくれるか。無理だったら大丈夫。」
無理だったら大丈夫――。まさか、少しは負い目があるのか。
上の兄は、次の日に職場のリストラ面談があるらしく(後日リストラは免れたらしいが)、明日の母について背負え切れない状況らしかった。
知らねえよ。
胸が痛い。知らねえよ・・・。
私「パートナーに相談済で、OKです」
と返事をして、「パートナーがいてこその自分だからな」と釘をさした。
だって、僕が生きていられるのは、パートナーのお陰だから。
あんたらは、僕の一番の家族(パートナー)が入院しても、きっと見舞にも来ないだろうが。なのに。
しかし、それを言っても話は進まない。
スイッチ。
心を停止する。
(うん、これはボランティアだ)
一週間後――。
胆嚢の手術が終わって、母の退院が決まった。
もう頭の中は、数日のゴタゴタから感情の優先度が崩壊してバグってて、「退院の日は、母が心配だから実家で一泊して僕フォローするよ」と、自ら兄達に提案していた。
誰も言ってないのに、なぜ自ら提案する。(自分ツッコミ)
実家に戻ると、病み上がりのはずの母は帰省した僕に6~7時間ぶっ通しで喋ってきた。
元気すぎて笑える。
懐かしい。
母や兄達と喋って楽しく笑うこの感じ。
そうだ。
実家で生活していた時も「ノンケ」を演じて、常に気をはっていた。
このリズムで笑いを挟めば、踏み込まれないで済むみたいなものができていて、慣れたゲームみたいに。
そんな笑顔で――
(もう、とうにカミングアウトしてんだけどなぁ?)
なつかしい。
翌日、母からのお土産を一杯に背負って実家を出た。
母はボコさんの好み(フルーツとか揚げ物)をよく渡す。拒絶してんだかしてないんだか。
こういう生殺しも、時に、どっと疲れる。
帰りに、認知症の父のいるグループホームに寄った。
母は病み上がりなので、はじめて僕1人で。
父「あーあyあyあ」
私「息子のゆきだよ。淋しくなかった?」
父「あーあyあyもんな」
私「今度ね、友達と出雲に旅行にいくんだよ」
父「あーyか」
友達と、か。
認知症の父にすら忖度して、同性パートナーを友達と形容してしまった。情けない。
部屋は父とマンツーマンだし、別にいいのに。
地元は、どうも調子が狂う。
家路につく。
ドアを開けると、ボコさん(同性パートナー)が何を感じ取ったのか、
「心配するなぁぁ!ずっとゆきさんの味方だぞおお!」と。
ぎゅっと、ハグされた。
地元を出たあとすぐ指輪をつけた手を伸ばし、笑顔でぎゅっと抱きしめ返した。
ありがとう・・・。
心のスイッチオン!
やっと、帰ってきたよ。
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