メソポタミアのボート三人男 第八回/高野秀行
3-5上善水の如し 前篇
山田隊長は古今東西の偉人の逸話や名言とか諺の類いが好きだ。ダジャレと同じ頻度でポンポンと口にする。中でも隊長が愛して止まないのは──当然ではあるが──「水」「川」についての名言である。
あるとき川下りの最中、隊長に訊かれた。
「高野、上善水の如しってどういう意味か知っとるか?」
「最高の酒は水のように美味いって意味でしょ」
酒飲みの私にはそれしか思いつかない。銘酒「上善如水」を製造販売している新潟の酒蔵もそんなように説明していた記憶がある。しかし隊長は「ちがうわ!」と笑った。「老子の言葉や」。
「上善水の如し。水は万物を利して、しかも争わず、衆人の悪むところにおる。故に道に近し」
水は融通無碍に流れる。障害物に出会うと衝突せずに方向を変える。そして、隊長が常々言っているように、その土地の最も低いところを流れる。敬われるより嫌われる場所であることも多い。だからこそ老子が理想とする「道」に近い……ということらしい。うーむ、たしかに深い。
以来、「上善水の如し」は私たちの旅のテーマソングならぬ、「テーマ金言」となっている。だからこそ、奇跡の清流ムンズル川は川自体が「上善」であり老子の言う「道」のように思えた。なにしろトルコの衆人(政府やトルコ人、多数派であるイスラム・スンニーの信者)の悪むところにこんな素晴らしい川があるのだから。
アダキョイ村を発つと、その後、三日間かけて、ゆっくりこの川を下った。スタート地点のムンズル・ババから数えれば全部で四日間の舟旅となったわけだ。
二日目はしかし、なかなか川の美しさを味わう余裕がなかった。前にも言ったように、あまりにも川の水が冷たいからだ。出発早々、コースどりを間違えて、木に衝突し、あやうく転覆しそうになって肝を冷やした。転覆して流されてもすぐに川原や岸辺にたどり着けるとは限らない。また、水量がけっこうあるうえ、川を遮る倒木や岸から張り出しているヤナギの枝も多い。流された挙げ句それらにひっかかると、水圧で木に押しつけられて動けないまま低体温症により死んでしまう可能性がある。実際にそういう死亡事故が発生したことが日本でもあると隊長は言う。
緊張感に包まれたまま、パドルを操っていた。
ただ初日ほど水は冷たくない。初日は冷蔵庫に入れてキンキンに冷えた水並み、つまり五℃か六℃ぐらいだったが、今は一〇℃ぐらいありそうだ。下っていくと水量が増え、川幅十〜二十メートルのゆったりした流れになり、私の心持ちもゆるくほぐれてきた。両岸はヤナギの木に覆われ、ポプラが高く上に伸びている。
水は依然として抜群の透明度。ただ、残念なことに魚影が見えない。川原で休憩しているときに私がそう言うと、「いや、魚はたくさんおるやろ」と隊長は言う。「藻の下や岩陰には隠れているんやないか」
「いるんですかね……?」
「だってな」と言いながら隊長は石を拾って裏返し、「ほれ、見い」と差し出す。何か小さい虫がうごめいている。
「川虫や。これ、みんな、魚のエサやからな。これだけ川虫がおれば魚もおるやろ」
隊長はさらに観察を続ける。
「カワゲラ、トビケラ、カゲロウやヘビトンボの幼虫……日本にいる虫とだいたい一緒や」
なんと。ティグリス=ユーフラテス川に日本と同じような魚がいることは知っていたが、こんな石の裏の虫も同じなのか! そして、外国の川に来て、川底の石をひっくり返して虫を観察する隊長に驚いた。空の雲、夜空の星、草花や樹木、地層や岩石まで、森羅万象に目を配っているナチュラリストであると承知していたものの、虫の研究者でもないのに川虫を探して種までほぼ特定してしまうとは。
「よくこんなものまで観察しますね」と言うと、隊長は一言「観察は科学の基本だとアリストテレスも言っとる」
アリストテレス……。
返す言葉を失った私は、ばつの悪さを誤魔化すように「ヘビトンボってことはトンボもいるんですね。まだ成虫はお目にかかってないけど、時期が早いんですかね?」と言ったら、ヘビトンボならぬヤブヘビだった。
「トンボ、飛んでるやろ、見てないんか⁉」と逆に驚かれてしまった。
「『歯の痛い者にしか歯医者の看板は見えない』とヴィトゲンシュタインが言ってる通りやな」
う、しまった。また「歯医者の看板」を持ち出されてしまった。言語哲学者のヴィトゲンシュタインのこの名言というか箴言は隊長のお気に入りで、私はこれまで何度聞かされたかわからない。「興味がない人には目の前にあるものも認識できない」という意味だが、残念ながら隊長との活動においては常に私の注意力の散漫ぶりをあげつらうことに使用されている。ヴィトゲンシュタインもさぞ無念だろう。
流れがゆるやかになり、転覆の危険性も減ると極楽のような旅である。
背後にそびえる標高三〇〇〇メートル近い岩山が現実感を失わせる。空気が澄んでいるため、枯れた沢筋の一本一本が細かいところまでくっきり見える。
「火焔山みたいやな」と隊長。
天上世界があれば、こんな感じかと思う。現世とは思えない美しさ。でも人はそこかしこにいる。釣り竿を持っている人もいれば、望遠カメラを手にしている人もいる。牛や馬を連れた人もいる。誰も私たちを気にしないが、目が合えば軽く手を振って挨拶する。みんな、勝手なことをやって楽しみ、でもにこやか。水の中も外も澄み渡っている。水は冷たく、日差しは強い。こうして無限の川下りが続くなら天国だろう。いや、天国以上か。
私の頭の中には名言の代わりにジョン・レノンの『イマジン』が流れてきた。
昼頃、ムンズル川流域で唯一の町であるオヴァチョクに到着。橋のたもとで昼飯を広げていると、水遊びをしている少年たちやゴールデン・レトリーバーに似た人なつっこい大型犬が寄ってくるので、一緒に遊んだり写真を撮ったり。彼らが暴れると水しぶきがたつが、それが収まると水は澄み渡り、川底の石の一つ一つがくっきり見える。
「日本にもこんなきれいな川はないやろ。ヨーロッパやアフリカにもない。あるとしたら、世界でもパタゴニアくらいやないか?」
世界で最も多くの川を旅してきた人がそう言う。
もっともパタゴニアの川は氷河が溶けた水なので青く濁っており、こんなに透明ではないという。
とすれば、ムンズル川が世界一きれいな川ということになる。
一体どの基準で「きれいな川」と言うのかと注文をつけられそうだが、この川は透明度でも風景の美しさでも自然の豊かさでも人間社会の雰囲気のよさでも、どの基準をとっても「きれいな川」としか言いようがない。
体をすり寄せてくる大型犬をなでながら、パン、チーズ、オリーブとチャイのランチ。食べ物もこれだけであとはもう何もいらない。
オヴァチョク町から先は風景が変わった。川に張り出すヤナギの灌木がなくなり、多様な樹木がわりと整然と立ち並ぶ。隊長はパドルを漕ぎながら、あるいは休憩時に岸辺を散策しながら吟味する。
「ナラやクヌギといったブナ科の木が増えたな。白樺の類いもある。標高はさして変わらんのに、オヴァチョクの上流とは生態系が明らかにちがうな。盆地になっていて気温が高いとか雨が多いとか何か理由があるんやろうな」
水量はさらに増し、水温もまた若干上がった。残念ながら水の透明度は一段下がった。ペットボトルやビニールの切れ端といったプラごみもちらほら目につくようになった。オヴァチョクは町であるだけに新しい住宅地がどんどん造成されているからやむをえない。
それでも高く波立つ瀬(急流)をどんぶらこと越え、透明な水の下に小石が敷きつめられているのを眺める独占感は何ものにも代えがたい。
午後三時には目的地のギュネイコナックという村に到着。焼け付くような日差しを浴びて斜面を登ったら、スイス在住のデルシム出身者が経営するロッジがあり、この日はここに泊まることにした。
まだ、日が暮れるまで時間がたっぷりある。暇なので一緒に遊んでくれないかとアダキョイ村で世話になったちょんまげ髪の若者シャヒンに電話したら、親切なことに彼は私たちを早めの夕食に招いてくれた。野良犬作戦また成功! というか、私たちはまるっきり野良犬である。彼の家までレザンの車で訪ねたら、そこはオヴァチョクの町の近く、岩山が間近に見える絶景スポットであった。
木陰にテーブルを出し、巨大なカンガル犬の仔犬と戯れ、インゲンや菜の花の煮込みといった家庭料理をいただく。質素だけど美味しい。ここでも近所のおじさんやシャヒンのお母さんがふつうに同席し、自由な感じだ。
デルシムはPKKとの戦闘で危険というイメージが広まっているようだが、意外にそれでもいいのかもと思ってしまう。もし安全で平和とわかったらトルコ全土及び世界中の人々が押し寄せ、このかぼそい清流はあっという間に大観光地と化し、ゴミだらけの濁流となりそうだ。
トルコ人が恐れて来ないのはわかるにしても、デルシム以外のクルドの人たちがまだ来ていないのは不思議だ。今はこんなにのどかな桃源郷なのだし、もともとデルシムはクルド人全体にとって特別に意味のある土地なのだ。シャヒンにそう話すと、「デルシムの人はデルシムの人と結婚することがすごく多いから、そのせいかも」と言う。たとえ外国に住んでいても同じデルシム出身者をパートナーに選び、他の地域のクルド人とは結婚しないのだという。だから情報がデルシムの人の中で回るだけで、外に出にくいということか。
「そう、デルシムは素晴らしいよ」と真面目な顔でレザンがうなずく。
「同じアレヴィーでも、(トゥンジェリ県に隣接する)ビュンゲル県やエラズー県の人とここの人はちがう。ここの女性は性格がいちばんいい。俺はここの人と結婚したい」
レザン、デルシムがいいのはそれだけか……。
3-6上善水の如し 後篇
三日目の朝も冷涼にして爽快。
屋外のテーブルで、ナンとレンズ豆のスープ、サラダという朝食をとったあと、ロッジのオーナーと少し立ち話をする。
彼はスイスのバーゼル在住で三十七年向こうに住んでいるという。まずツーリストとして行き、その後、働いていたら労働ビザも出た。昔はそういうことも可能だったという。
スイスはここに似てるんじゃないか?と聞くと「そう、特に山が」との答え。だからかどうかわからないが、スイスにはデルシム出身者がとても多いそうだ。
彼はスイスで旅行業と店をやっており、春から夏にかけてこちらに戻ってくる。このホテル経営は趣味と小遣い稼ぎのようだ。今は彼のようにシーズンだけデルシムに戻り、帰省とビジネスを兼ねた生活を送る人が増えているという。
ホテルを出て荷物を担いで丘を下り、川へ戻る。ボートを組み立て、出発準備。
隊長は「マスにニイハオしてくる」と出かけた。なんでも前日、岸辺でマスが何匹も泳いでいる場所があったのだという。「ニイハオする」は隊長の口癖で、およそ人間でも鳥でも魚でも隊長は挨拶するのが好きだ。「お、元気そうやな!」などと本当に声を出して話しかける。
しばらくすると隊長は戻ってきた。「いなかった。いじめられて海へ行ったかな」と意味ありげな一言。無知な弟子に一くさり教えてやろうと待ち構えているのだ。
でもそう言われたら「何の話ですか?」と訊くしかない。果たして物知りのナチュラリストは解説を始めた。
曰く、日本の川の魚の八割は産卵のために海に戻るという。でも中には同じ種類なのに川に留まる個体と海へ行く個体に分かれる。ヤマメはずっと川に留まるが、海に出るとサクラマスになる。あるいは英語でも「トラウト(マス)」と「サーモン(サケ)」を区別するが、やはり同じ魚で、川に留まればトラウト、海に出てから戻るとサーモンと呼ばれる。どちらも海に出た方がずっと大きくなる。しかし、どうして同じ種で故郷に留まる個体と離れる個体があるのかは謎らしい。
一昔前は「いじめられた弱い魚が海へ行き、大きくなって戻ってくる」と研究者の間でもまことしやかに言われていた。ただ、魚の間でイジメがあったかどうか認定しようがないし、仮に認定できたとしてもその個体が海へ行ったかどうかまで知りようがないという理由から、今では笑い話になっているとのことだ。
「魚はわからんけど、ここの人たちはそうやな。いじめられて外へ出て、トルコの他の人たちよりずっと大きくなって戻ってくるんやから」
岩山が彼方に遠ざかり、川は森の中へ入っていく。適度な瀬があり、波にざぶんざぶんと揺られ、楽しい川下りが続く。心なしか、水は若干きれいになっている気がする。そう言うと隊長は「ひと瀬落つれば金の水」とまたしても聞き慣れない諺で応じる。
なんでも農大探検部の同期で、一緒に南米の川を旅した「マツ」という人がいるという。マツさんは、今でも焼畑農業を行っていることで有名な宮崎県椎葉村の出身で、「おれんとこの村ではこう言うんだ」と、オリノコ川やアマゾン川でよくこの諺を口にしていたそうだ。
「ひと瀬落つれば金の水」とは「瀬を一つ乗り越えれば水が浄化される」という意味だ。汚れが川底に落ち、水がきれいになる。底にたまった汚れはやがて微生物によって分解される──と隊長は説明する。
金言や諺というのは知恵のアーカイブなのだな、と自然科学の知識にも文学的素養にも乏しい私は今更のように感心する。
一時間半ほど川旅を楽しんでいたら、三日目の終点に到着してしまった。これより下流は激流になり、私たちの力量と装備ではとても下れそうにないのだ。
でも岸に上がりたくなかった。ムンズル川に身を任せていると、なんだか美味い酒を飲んでいるような気持ちになる。心地よい酔いが五臓六腑に広がり、このままずっと飲み続けていたくなる。「上善如水」の酒蔵の説明をもじるなら「最高の川は酒のように美味い」のである。
だが上陸したくない理由はそれだけではなかった。
木漏れ日が光の水玉模様を作る素敵な岸辺から上陸できると思っていたのに、近づくと光の水玉模様が真っ黒くて太った男を浮かび上がらせていたからだ。レザンは例によって王様のように悠々と水パイプを吹かしていた。せっかくこちらが最高の気分に浸っているのに、どうして最後にゲジゲジ眉毛王の前に参上しなければならないのか?
しかし、私たちの仲間を無視するわけにはいかない。清らかな流れに別れを告げてボートを岸に引き揚げると、レザンは「余は満足じゃ」ふうの微笑みを浮かべながら言った。
「やあ、タカノとヤマダ、気分はどうだ?」煙をぶはーっと吐きながら。
だいたい、レザンにはときどき私たちのボートを動画で撮影してほしいと頼んでいたのだが、どうも真剣にやっている気配がない。この日も、途中の橋の上から一回撮影しただけだという。あとは昼寝をしたりカフェでお茶を飲んだりしていたにちがいない。
「まあ、ええやないか」決して人を責めない隊長は言う。「『小人閑居して不善をなす(器の小さい人間は暇になるとろくなことはしない)』というけど、レザンは不善はしてなさそうやからな」
たしかにそうだ。だいたい、彼は決して暇を持て余しているわけではない。
レザンはマメである。どこに行っても、ホテルやカフェのスタッフ(特に若い女性)と仲良くなり、「ワンにおいでよ」とせっせと粉をかけている。半分は個人的な楽しみで、半分はビジネスになるかもと期待してのことだ。こうして、いかにストレスを減らして、気持ちよく仕事するかがトルコ人/クルド人にとって大事なことなのだろう。
「トルコ(クルド)には絶対、従業員を酷使する企業なんて生まれないよな」とつくづく思う。上がいくら強制しても、各人が自分の好きなようにしか働かないからだ。
隊長に教えてもらった孫子の言葉を思い出す。
「最上の兵の形は水に象る。水の行くは高きを避けて下におもむく。兵の形は実を避けて虚をうつ。水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝を制す。故に水に常形なく、兵に常勢なし」
(最良の兵(軍隊)の形は水のように変幻自在であるべきだ。難しいところは避け、容易い方へ行く。兵は相手が待ち構えている正面から戦いを挑まず、相手の隙を突く。地理や状況に応じて形を変え、敵の様子を見て勝利を得る。水には常に決まった形はなく、兵の態勢はいつも同じではない)
レザンはまさに孫子の兵法に則っているのではないか。彼は難しい任務にトライすることはせず、やりやすいことしかやらない。私たちの期待には応えず、不意に姿を現してショックを与えるのが得意だ。機会があれば私たちより女性に声をかけることを優先する。相手に脈がないとわかると深追いはせず、チャンスがあるとわかればぐいぐい迫る。常に出たとこ勝負というか、流れに身を任せている……。
最終日(四日目)はムンズル川の下流部を下った。オヴァチョクの下の急流は避けて、町から十キロほどのところから出発。難所ではないものの、けっこう傾斜があり、川は谷へ向かって一直線に落ちているような錯覚を感じる。転覆した場合に避難できるような浅瀬や川原も少ない。失敗するとどこまでも流されそうで、けっこう怖い。
初っ端から瀬の波でびしょ濡れになるが、水温はわりと高く、助かる。ただ、石は泥にまみれ、水は上流ほどきれいではない。かといって、もちろん汚くはない。現在の四万十川レベルだろう。
瀬があるたびにいちいち止まり、慎重にルートを確認する。
左岸には至るところにキャンプサイトやピクニックサイトが見える。まだ朝なので人は少なく、もっぱら軍の装甲車と兵士が私たちを凝視していた。
一時間半後、あっさりと中間地点を通過。川の流れが速いせいだ。
時間に余裕があるので、ボートを岸に上げて、数日前、地元の店で買った奇妙な仕掛けで釣りを試みた。投網のような長さ三メートルほどの網を糸に結んだもの。この網を投げては手で糸をたぐる。もし魚がいれば、網にひっかかるという、「投げる刺し網」なのだ。この川沿いではこれで魚をとろうとしている人の姿をよく見かける。
網を投げて糸を巻く作業をくり返したが、魚がかかる気配もない。投網のように錘がついていないから、パッと広がらず、網はやる気のないナメクジのように川面にべちゃっと落ち、あとはただ流されていく。なんとも間が抜けている。
「こんなもんで魚がかかるんですかね?」
「地元の人があれだけたくさん使ってるんだから、かかるときはかかるんやないか?」と隊長は答えるが、結局、謎のままだった。
最後のパートを下ってゴールであるトゥンジェリの町に到着した。ちょうど美女のグループが岸辺からこちらに手を振っていたので接近しようとしたのだが、水の流れに乗り損ねてニイハオできなかった。代わりに目の前に出現したのはゲジゲジ眉毛の黒い男だった。
われらがレザン王はファンシーなレストランのテラス席にどっかり腰を下ろしていた。別の女性グループと一緒にゆったりコーラを飲みながら、私たちに手を振っている。あー、なんて楽しそうなんだ……。
上善水の如きムンズル川。悪戦苦闘を続けてきた我らメソポタミアの間抜けなボート三人男も、この川では本当に楽しく過ごさせてもらった。あとは私たちがあまりに楽しそうなので衆人、つまり読者のみなさんに憎まれないことを祈るばかりである。