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特別連載『梟の咆哮』/福田和代(1)

【作品紹介ページ】

【前回】

『――なるほど。十條君は、〈狗〉の長の息子だったのか』
 パソコンの画面に映る榊教授が、謎が解けたと言わんばかりにうなずいた。
 仮住まいのマンションに帰宅した史奈が、真っ先に連絡したのは父親である榊教授だ。深夜だが、睡眠という習慣のない〈梟〉には、夜だから遠慮するという考えがない。
『残念だが、部外者の出る幕ではないな。〈狗〉の長にも考えがあるだろう』
 史奈は、父親の顔をまじまじと見つめた。
「――まさか、このまま十條さんを見捨てるつもりではないですよね」
 これが一般人なら話は単純だ。警察に通報すれば、長は逮捕・監禁罪に問われて、十條は解放される。
 だが、忍びの一族には不文律がある。忍びと忍びの諍いに、公権力の力は借りない。情報収集のためなら、〈梟〉だって敵地への不法侵入も辞さない。〈狗〉も同じ忍びだ。十條の監禁は違法行為だが、警察に通報したりはしない。それがおきてであり、闇の世界に生きる忍びのきょうでもある。
『機会を作って〈狗〉の長と話してみたいが――考えてもみなさい、史奈。私たちが里を下りるとき、お義母かあさんが君を里に置いていけと命じたことは知っているだろう。もし私たちが断り、無理に君を連れて行こうとしていたら、何が起きたと思う?』
 ため息まじりの言葉に、史奈も教授が言わんとすることを理解した。
「――血を見るまでおさまらない武力闘争」
『わが娘ながら、実にシンプルな言葉で的確に描写してくれるね』
 教授が苦笑している。
『だが、そういうことだ。お義母さんには彼女なりの理由があった。今度のことも、〈狗〉の長には事情があるのだろう。史奈の怒りも正しいが、〈狗〉の問題に口を出すなという、彼らの言い分にも耳を傾けるべきだ』
「でも、あんなふうに人間の自由を奪うなんて――」
『私だって、十條君には研究を続けてもらいたいんだよ』
 教授が、今すぐ〈梟〉を集めて〈狗〉の本拠地に乗り込むと言わないのは、史奈にも予想できた。教授はどちらかといえば、円満な解決を好むタイプだ。
 今夜は史奈ひとりで乗り込んだから、向こうも手荒な真似まねはしなかった。必要とあらば、遠慮なく武器を持ち出すやつらだ。杉尾だって、ハイパー・ウラマの続きみたいで、半分は面白がっていたのかもしれない。
 ――だが。
 暗がりに顔をそむけていた十條の様子が目に浮かぶ。
 教授の言う「機会を作って」がいつになるのか見当もつかない。それまで十條を放置していいものだろうか。心細いだろう。見捨てられた気にならないか。それでなくとも、自暴自棄になりがちな男なのだ。
『座敷牢に、カミソリを持ち込めないのは当然だよ。十條君は昔、自傷行為に走ったことがあるそうだ』
 考え込んでいる史奈をどう思ったのか、教授が言葉を続けた。史奈は初めて聞いた。
『罰ではないと思うよ。〈狗〉の長は、息子を案じているのだろう。――ともかく、〈狗〉の長には、十條君の研究を説明して、わかってもらう必要があるね。それが〈狗〉にとって悪い内容でないとわかれば、彼らの態度も変わるだろう。一般の人に十條君の研究を理解してもらうのは難しいけどね。時間をかけよう、史奈。まだしばらくは丹後にいるのだろう?』
「この地域の水を集めるまでは、しばらく滞在するつもりですが――」
『それなら、その間に〈狗〉の長と話す機会を作りたいね。その時には、私もそちらに行くよ。〈梟〉の〈ツキ〉は君だが、十條君は私の教え子なんだから』
 教授の提案はもっともだった。つきあいの長さ、深さから言っても、教授のほうが史奈よりずっと十條を心配しているはずなのだ。
「承知しました。〈狗〉と連絡を取る方法を考えておきます」
『史奈が送ってくれた水、調べてみたよ。残念だが、今のところは里の井戸と同じ成分を含む水は見つかってはいないけどね』
 史奈は、近隣の名水と呼ばれる天然水をペットボトルなどにみ、教授のいる東京に送って、成分を分析してもらっている。
 これまでに、近くにある「切畑きりはたの名水」や、兵庫県豊岡とよおか市まで足を伸ばして「福寿ふくじゅの水」など、名高い湧水を汲んでみた。この地方に限らず、この国には美味おいしい湧水がいくつも存在する。
「次の休みには少し遠出して、水を汲んでくるつもりです」
『そうか、頼んだよ。くれぐれも無理をしないようにね』
 はい、と頷き、通話を切った史奈は、吐息を漏らした。

 史奈が大学に休学届を提出し、警備のアルバイトも辞めて東京をったのは、新競技ハイパー・ウラマに端を発する騒動がなんとか落ち着いた、九月の終わりだった。
 ――〈狗〉の里は、丹後にある。
 その言葉が、わずかな手がかりだ。
 史奈の父、榊教授の弟子にあたる研究者、十條彰は、〈狗〉の一族に生まれた。
〈梟〉とよく似た排他的な性格を持つ血族で、人間離れした鋭い嗅覚と、満月の夜に発症する多毛症のため、外部の人間とはなるべく接触を控えて生きてきた忍びの一族だ。
 十條が、一族の長の葬儀に参列すると言って故郷に向かい、消息を絶ってはや数か月。
(なにも君が捜しに行くことはない)
 榊教授は、ひとり娘が丹後に向かうことに難色を示したが、最後は史奈が押し切った。もちろん、丹後に来たのは、十條を捜すためだけではない。
 ――〈梟〉の一族は、どこから来たのか。
 史奈がかねてより心の中で温めてきた、一族のルーツを訪ねる旅だ。
 睡眠を必要としない、一族の特殊な体質。不安定な遺伝子を持つために、時おり発生する〈シラカミ〉と呼ばれる奇病――。
〈梟〉の歴史を遡ると、戦国時代にはすでに眠らない一族として忍び働きをしていたことが伝わっている。それよりはるか昔に、その体質を獲得していたようだ。
 一族はいったいいつ、どこでこの特殊な体質を持つようになったのか。史奈が興味を抱いているのはそれだ。
 丹後に着くと、今後のために合宿形式のドライビングスクールに申し込んだ。運転免許があると便利だ。合宿なら最短二週間で免許が取得できるとの触れ込みだったし、その間の宿を確保しつつ、夜は調査の時間も取れる。
 史奈は、ドライビングスクールで丹後生まれの若い女性、望月もちづき美夏みかと仲良くなり、彼女の紹介で合宿終了後の短期アルバイト先と部屋を確保した。スクール代は貯金から捻出したが、車を買うつもりだったので、アルバイトは願ったりかなったりだ。
(そのくらいの費用、私が出すのに)
 榊教授の渋面が想像できて、史奈はかすかに笑った。史奈がひとりで何でもやろうとすることに、教授は折り合いがつけられないようだ。両親が研究のため里を下りたとき、史奈は五歳だった。十一年後に再会したものの、教授の中で娘はまだ幼い子どものままなのかもしれない。
 ――もう二十歳なのに。
 大人だと史奈自身は思うけれど、背伸びしているように教授は感じるのだろうか。
 だが、〈梟〉の里にいたころ、祖母の桐子から教わったのは、この世に自分だけ生き残っても暮らしていけるためのすべだった。野菜を育て、魚を捕り、料理をして、道具の手入れをする。そのうえで、戦うための鍛錬をする。
 すべてがサバイバルだ。
 史奈が、できることなら何でもひとりで対応しようとするのは当然だった。
 二週間の合宿期間に、まずは十條が通った高校を調べた。大学に入学する際、十條が提出した高校の内申書から担任の名前はわかったものの、これだけ個人情報の取り扱いが厳しい時代に、教師がかんたんに元生徒の住所など明かすはずもない。
 深夜の高校に忍び込み、十年前の卒業生の記録を探すのはさほど難しくなかった。十條の住所も書かれていた。だが残念なことに、それはワンルームマンションのものだった。実家が遠いため、高校の近くにマンションを借りて通学していたらしい。
 そのワンルームマンションは住人の入れ替わりが激しく、十数年前に三年間だけ住んでいた十條という青年を知る者は誰もいなかった。
 十條の捜索は振り出しに戻ったが、二週間の免許合宿は滞りなく終了した。運転免許を手に入れた史奈は、きょうたん大宮おおみや駅から徒歩圏内にある単身者用マンションに、一時的に住まわせてもらうことになった。
(伯母さんが相続したマンションで、あたしも住んでるんだけど、少し前から隣が空いてるんよ。こっちに住むのは二か月くらいなんでしょう? 伯母さんに頼んだら、史奈なら短期でも貸してくれると思うよ)
 ホテルを取ると高くつくし、賃貸だと契約期間が最短で二年という物件が多い。どうしたものかと迷っていたところだったから、美夏の申し出はありがたかった。
 彼女は美容師の卵で、美容室で働きながら専門学校に通って国家資格を取ろうとしているそうだ。
(知り合いがアルバイトを募集してるんだけど、しばらくどうかな?)
 美夏が紹介してくれたアルバイト先は、「丹後王国『食のみやこ』」という、道の駅のアンテナショップだ。週に四日、一日に八時間、地域の特産品や土産物などの商品を補充し、レジを打っている。
 東京を離れ、地方に来て、史奈はようやく人心地がついた。里の襲撃事件以来、自分がどれだけ都会の雑踏で疲弊していたのか、ここに来てようやく実感できたようだ。
〈狗〉の手がかりを得たのも、アルバイト先だった。アンテナショップの売り場に卵のパックを並べていて、生産者の名前と写真に目が吸い寄せられたのだ。
 近ごろ流行の「私がつくりました」という生産者のシールが、パックに貼られていたのだった。杉尾則之という名前に、見覚えがあった。二センチ四方くらいの小さなモノクロの写真も、笑顔をつくっているがどこか不敵な表情が目を引いた。
 ――あいつだ。
 ハイパー・ウラマで対戦した〈狗〉の三人のうち、ぼさぼさの黄色い髪をした男だ。
 その卵は、杉尾養鶏場が出荷しており、付属の工場で作っている煮卵も美味しいのだと一緒に働いているパートさんが教えてくれた。
 あとは、杉尾養鶏場から卵が届く日を狙って車で尾行し、彼らの本拠地を探し出したのだ。なにしろ、彼ら〈狗〉は人間離れした嗅覚を持ち、史奈たち〈梟〉を嗅ぎ分けてしまうので、見つからないようにするのもひと苦労だった。
 十條が監禁されている古民家も、養鶏場から数キロ離れた森の中で見つけた。
 史奈が東京から丹後に来て、ひと月半。ようやく、〈狗〉の本拠地に肉薄できた。
 昔は知らず、現代社会では〈狗〉も定職がないと生活が厳しいのだろう。そして社会と接点を持てば、誰かに見つかる可能性も出てくる。
 ハイパー・ウラマに出場した〈狗〉たちは、最初から悪役に徹していて、いかにもアウトローな雰囲気を醸し出していた。だが、彼らの暮らしぶりを知って、話せばわかる相手なのではないか――と期待をかけたのは早計だったようだ。
 ――早く〈狗〉の長と話す場を持たなくては。
 史奈が知っている十條彰はもの静かで、どちらかと言えば陰鬱な性格の男だった。彼が早まったことをする前に、なんとか救出できないかと気ばかり焦る。

   (第2話に続く)

プロフィール
福田和代(ふくだ・かずよ)
1967年兵庫県生まれ。神戸大学工学部卒業後、システムエンジニアとなる。2007年『ヴィズ・ゼロ』でデビュー。大型新人として一躍脚光を浴びる。著書に『TOKYO BLACKOUT』『オーディンの鴉』『迎撃せよ』『怪物』『緑衣のメトセラ』『堕天使たちの夜会』『黄金の代償』『バベル』『ディープフェイク』など多数。

『梟の咆哮』は2025年2月20日発売予定!
梟シリーズは集英社文庫より好評発売中!

第一巻『梟の一族』

第二巻『梟の胎動』

第三巻『梟の好敵手』

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