『ベーシックインカムの祈り』(井上真偽/著)をオススメ!
2024年1月1日、新たな年の幕開けに、期待と夢を膨らませていた矢先、唐突に事件は起きました。能登半島地震――、皆が祝い事ムードに包まれている中、あまりに無防備なタイミングだったかと思います。その衝撃が心に沁み付いていたこともあって、帰省先の書店を覗いた際、「巨大地震発生」と記載された帯が強い引力をもって目に留まりました。昨年SNSを中心に話題沸騰となった、井上真偽先生の『アリアドネの声』が引力の正体です。今回ご紹介する作品とは別の為、深くは触れませんが、緻密な近未来の設定と世界観、「どんでん返し」必至のミステリ要素、心を打つ感動の展開に、夢中で読み進めました。年明けから不穏な事件が続き、世間にはどこか沈んだ雰囲気が漂う中で、私は井上先生の作品から確かな「希望」を受け取りました。
前置きが少々長くなりましたが、今回ご紹介させていただくのは、同じく井上先生の『ベーシックインカムの祈り』です。本作は近未来を舞台とした5編のSFミステリ短編集になります。
作中のエピソードはそれぞれ、AI、遺伝子工学、VR、人間強化を題材としており、表題作が5つ目の物語としてラストを飾る構成です。「ベーシックインカム」という単語の意味は、作中の説明を引用すると、「国民の一人一人に、最低限の生活ができるレベルのお金を一律無条件に給付しよう、という社会保障制度」のことです。
これだけ聞くと、社会派小説や、高度な経済学・科学知識を要するハードル高めのSF小説のような印象を受けるかもしれません。しかし本作は、科学の進歩や倫理的な問題を取り扱いつつも、基本は叙述トリックを交えた、完璧なバランスの上で成り立っているミステリ作品でもあるのです。各編の予想外な結末に、皆さんは毎回驚かされることでしょう。
全5編の内、特に印象深かったエピソードは「言の葉の子ら」です。というのも、私は小・中・高の教員免許を持っていて、本気で教職を志していた身としては、多種多様な子どもの思考に寄り添うこと、少ない語彙から多くを察することが如何に難しいかを学んでいます。人が人に何かを教え込む、それも他所様の子に多大な影響を与えるなど、「教育」ほど傲慢で責任の重い行為は無いと感じていた時もありました。そういう意味で、本エピソードの結末は1つの答えであり、皮肉的ではあれど、より多くの人間が救われる形なのかと心を揺さぶられました。
個人的に、SFというものはガジェットや設定等、ある種の魅力的な世界観、特徴的な未来予想図を提示さえしてくれれば、ある程度の満足感を得られるジャンルだと考えています。しかし、ともすれば無機質過ぎるというか、単純な思考実験を覗き見ているだけのような気がして、寂しさを感じることも時にあります。
対して本作は、未来の時代、今の「当たり前」から更に発展した環境下で、人間の心がどのように揺らぐのかを、丁寧に活き活きと描いています。勿論人の暗い側面が炙り出されている瞬間もありますが、それ以上に、技術革新の中でも尚輝く人の優しさ、善性のようなものがフォーカスされている印象です。
作中のとある人物の台詞に「人類史上類を見ない大テクノロジー革命の嵐が、今の社会常識や価値観・道徳観に、どう影響を及ぼすか。君はその『人間の変わりよう』を、描きたかったんだ」というものがあります。
私は、この部分に井上先生の思いが集約されているように感じました。
本作は単行本から文庫化の際に、タイトルが変更されています。「の祈り」という部分が加わっていますが、ここにも井上先生の優しさ、人類愛が表れているように感じます。
未来は明るい、なんて月並みな言い方なのかもしれませんが、科学の発展を支えてきた多くの人間達は、その「祈り」こそを原動力に、人類をより良い方向へ進歩させてきたのではないでしょうか。
『アリアドネの声』から「希望」を感じ取った方は、本作からも多くの光を受け取ることが出来ることでしょう。
今年は去年より、更に良い年になる。来年、再来年以降もまたそう信じさせてくれる、そんな1冊です。是非読んでみてください。
本の詳しい内容はこちらから→『ベーシックインカムの祈り』
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?