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特別連載『梟の咆哮』/福田和代(6)

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『冗談でしょ? あの〈狗〉に協力するの? あの無礼で下品な森山に?』
 容子の声が尖っている。
「やめてよ容子ちゃん、しかたないじゃない。協力したら、十條さんの今後について話し合う場を用意してくれるって言うんだから」
 スマホの小さな画面でも、彼女の不機嫌は充分伝わる。眉間に皺を寄せた容子が、唇を「へ」の字に歪めた。
『何言ってるの、史ちゃん! 十條さんって、史ちゃんより八つも年上の、いい大人なのよ。家族の問題なんだから、放っておけばいいじゃない。どうして史ちゃんが、十條さんのためにそこまでしなきゃいけないの』
「そりゃそうだけど――」
 容子は、教授と同じことを言う。
 もちろん、十條彰は立派な大人だし、史奈に助けを求めてきたわけでもない。彼が監禁されているのは〈狗〉内部の問題で、それに〈梟〉が口を出すのは間違っている――そう言われれば、その通りかもしれない。
 ――だが。
「満月の夜に、十條さんが〈狗〉の姿になったのを、しのさんと一緒に偶然見てしまったことがあって。その後もふつうに接していたら、あらたまって十條さんからお礼を言われたの。当たり前の態度を取っていただけなのに――あの時から、何かあったらできる限りのことはしようと思っていたの」
 やれやれと言いたげに容子が頭を振った。
『――史ちゃん、そういうのって史ちゃんが優しいからだとは思うけど、史ちゃんが責任を持つのは〈梟〉だけでいいのよ』
 容子の言葉はもっともだが、クールすぎる。少なくとも十條は、家族とまでは言わなくとも、友人には違いない。友人をあんな環境に捨ておくなんてできなかった。
 日本料理の店を出た後、森山疾風は史奈の部屋で作戦会議の続きをしようと誘ったが、それは断った。女性ひとりの部屋に上げるのはさすがに嫌だったし、さっそく今夜から調査を始めたかったからだ。
 天蓮リゾートの調査には、容子の手を借りたかった。彼女の調査能力の高さは、ハイパー・ウラマの背後関係を暴いた際に実証されている。
 そんなわけで、翌日の集合場所を決めると、仲間にバイクで迎えに来てもらうという森山と別れたのだ。史奈は車でマンションまで帰り、すぐ容子に連絡を取った。もうじき日付が変わるというころだった。
「そんなわけで容子ちゃん、卒論を書いてる最中に申し訳ないんだけど――」
 容子がため息をついた。
『卒論はもう書き上げた。指導教官のOKが出たら、合流しようと思っていたところ。やめたほうがいいと言っても、史ちゃんのことだから、ひとりで調査するんでしょう』
 彼女はスマホでビデオ通話をしながら、パソコンを立ち上げたようだ。史奈も手元のパソコンをいつでも見られる状態にしている。
「こっちに来てくれるの? ありがとう」
『まずは天蓮リゾートの基本情報ね。詳細なホームページがあるし――でも、まだ丹後のリゾート計画のことは載ってない』
「会社のホームページは私も見てみたの。天蓮リゾートの社長もこっちに来ている。この小金沢という人」
「社長あいさつ」のページには、小金沢社長の顔写真も掲載されている。写真のほうが、実物よりも上品で穏やかな印象だ。
『天蓮リゾートと小金沢社長の評判を検索すると、ネットでは毀誉きよ褒貶ほうへんってところね。経営者としての手腕を持ち上げる人がいるかと思えば、偽善者認定する人もいるし。ネットの評価なんて、当てにはならないけどね』
 ふたりで各種のSNSを検索し、天蓮リゾートの広報アカウントや社員のアカウントなどを探してみた。小金沢社長ら経営陣は、ネットでは情報発信していない。広報アカウントも、ホテルやリゾート施設からのお知らせなど一般的なものがほとんどだ。ホテルの内装やリゾート地の景観が美しく見栄みばえがするからか、広報アカウントのフォロワーは多い。
「森山さんから小金沢社長の経歴を聞いて、ちょっと不思議に感じたの。いっきに十四軒ものホテルを建てた資金って、どこから出たんだろう。倒産しかけている温泉宿の経営者に、そんなお金を貸す銀行なんてある?」
『そうね。お金の動きは、いつだって手がかりになるものね』
 容子はしばらくキーボードをたたいていたが、首をかしげた。
『天蓮リゾートの資金調達について情報がないか調べてみたけど、昔の話すぎてわからないね。現在の天蓮リゾートになら銀行だって喜んでお金を貸すだろうけど、問題は三十年前だもんね』
「うん――」
 ネットには、最近の情報ならあふれんばかりに掲載されているが、昔の情報はあるとは限らない。特に、一般にインターネットが普及する前の情報量は少ない。
『三十年前の件はあらためて調べましょう。ところで、ちょっと妙なものを見つけた』
 容子が写真投稿サイトを開いて見せた。
『この人、月に何回も天蓮リゾートの施設がある場所を巡ってる。社員かどうかはわからないけど、今ちょうど丹後に来ているみたい』
「リゾート開発計画に関わってる可能性があるということ?」
 イチオクという名前のアカウントだ。
 美しい景色や旅先の珍しい食べ物を紹介する投稿が多く、フォロワーは天蓮リゾートの広報アカウントより多い。時おり友人知人との飲み会の写真を投稿しており、中には俳優やアスリートなど著名人も交じっている。
 昨日の夜、『籠神社にお参りしました!』という短いキャプションとともに、鳥居の写真を投稿している。写真にはすでに、たくさんの「いいね」がついていた。
 史奈が籠神社を参拝したのも昨日だ。
 祖父を名乗った男性の顔が脳裏をよぎる。
「容子ちゃん――まだ話してなかったけど」
 籠神社の境内で不審な男性に会ったこと、相手が榊恭治と名乗り、死んだはずの祖父だと言ったことなどを話すと、容子の表情がけわしくなった。榊教授も、昨日の今日でまだ容子に話していなかったようだ。
『そんな大事なこと、早く言ってよ。史奈のおじいさんは亡くなったと私も思ってた。だけど、誰に聞いたわけでもないから、ただの思い込みだったのかもしれない』
「あの人が本当に祖父――榊恭治かどうかは怪しいと思う。父さんも、亡くなったと聞いていたみたいだし。だけど、榊恭治と名乗る男と私、それにこのアカウント――イチオクが、三人とも昨日、籠神社にいたのは偶然とは思えない」
『榊恭治と名乗った男が、イチオクと同一人物だということもありえるね。あるいはふたりは知り合いで、一緒に丹後へ来たのかもしれないし』
 容子が考え込むように言った。
「なら、丹後のリゾート計画に、『榊恭治』が絡んでいる可能性もあるってこと?」
 そう呟いて、史奈はハッとした。
「天蓮リゾートの予定地には、〈狗〉の里が含まれていた。〈狗〉の里は私も侵入したから知っているけど、山深い場所にあって、交通の便が悪いの。リゾート地のイメージからは遠いから、どうしてあんな場所を選んだのかと不思議に思っていたけど――」
『そこが〈狗〉の本拠地だと知る者が、何かの意図があって、リゾート計画に含めるように勧めた?』
 だとしたら、まるでその何者かは、リゾート計画を利用して〈狗〉に嫌がらせをしているかのようだ。もしそれが〈梟〉の関係者なら、下手をすれば〈狗〉との関係が悪化する恐れもある。
他人ひとごとではなくなってきたね」
 あくまで、〈狗〉に依頼されて調査に協力するつもりだったが、事情が変わった。
「まず、榊恭治と名乗った男性の正体を調査すべきだよね。天蓮リゾートとの関係も」
『まだほとんど推測にすぎないけど――史ちゃんの言う通りだね。とにかく、おかしなことが起きているようだから、私もすぐ車でそっちに向かう。七時間以上かかるみたいだけど、朝には合流するから。ひとりで無理に動かないで、待っていて』
「わかった。待ってる」
『それから、森山にはまだ何も言わないでね。明日の夜、驚かせましょう』
 詳しい話を保留するのは、場合によっては〈狗〉と〈梟〉が決定的に敵対関係に陥る可能性があるからだろうが、「驚かせる」という容子の言葉には、どこか浮き立つような気分も滲んでいた。下品だとか無礼だとか、容子は森山に手厳しいが、どうかした拍子に、実はけっこう気に入っているんじゃないかと思うことがある。
 明日、道の駅のバイトは休みなので、そのまま調査に出ることを念頭に、東京から持ってきてもらうものや、合流場所を決めて、通話を終えた。容子のことだから、高速道路をカーレースみたいに飛ばしてくるだろう。陸上競技の遠征で旅慣れているから、旅行の支度も早い。朝には合流するという言葉に間違いはないだろう。
 ――天蓮リゾートと榊恭治。
 あの男は「オシサマ」と呼ばれていた。師匠という意味だろうか。スーツ姿の三人はボディガードだと思ったが、武術の弟子でも違和感はない。彼が本当に〈梟〉の出身なら、武術はマスターしているはずだ。
 史奈は「榊恭治」という名前や、「榊恭治」と「御師様」という組み合わせで検索してみたが、それらしいものはヒットしなかった。
 ついでに、榊教授から連絡が来ていないかとスマホをチェックしたが、何もなかった。催促するのも業腹だ。
 もうひとり、史奈がやきもきしながら連絡を待つ相手がいる。農家の手伝いをしながら農業を学んでいる恋人、篠田としだ。
 今は農繁期なので同行できないが、十一月になれば仕事を休んで史奈に合流すると言っていた。こちらに来てから毎日、スマホでメッセージをやりとりしたり、電話したりしていたが、なぜか二日前からぴたりと連絡が途絶えている。
 仕事が忙しいのならかまわないのだが、病気や、慣れない農作業で問題が起きていないか心配だ。
 篠田の声を聞きたかったが、時計を見ると午前一時近いので諦めた。篠田は一族ではなく、ふつうの「眠る人」だ。こちらの都合で深夜に電話するなんて、迷惑だろう。
「時間のあるときに連絡してね」
 メッセージなら許されるだろうと送ってみたが、もう寝ているのか既読もつかなかった。

   (第7話に続く)

プロフィール
福田和代(ふくだ・かずよ)
1967年兵庫県生まれ。神戸大学工学部卒業後、システムエンジニアとなる。2007年『ヴィズ・ゼロ』でデビュー。大型新人として一躍脚光を浴びる。著書に『TOKYO BLACKOUT』『オーディンの鴉』『迎撃せよ』『怪物』『緑衣のメトセラ』『堕天使たちの夜会』『黄金の代償』『バベル』『ディープフェイク』など多数。

『梟の咆哮』は2025年2月20日発売予定!
梟シリーズは集英社文庫より好評発売中!

第一巻『梟の一族』

第二巻『梟の胎動』

第三巻『梟の好敵手』

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