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仕事ができるとは何か#5 横文字が難しいの嘘、その人は日本語もわからない

今回は「仕事ができる」から少し離れて、ビジネスでもよく登場する横文字について考えてみます。
「コンセンサス」「アジェンダ」「プロトコル」、仕事の場面で横文字(主に英語)が使われるケースは多くあります。
そういう時に常識のように「横文字はよくわからん!日本語を使うべきだ!」と主張する人がいます。

私も一時期までは横文字は分かりにくいものと考えていました。しかし、よくよく考えてみると「日本語=わかりやすい」「横文字=わかりにくい」という関係が常に成立する訳ではないことがわかります。

それはどういうことか、これから見ていきたいと思います。

日本語にした方が良い場面

まず横文字反対派の主張通りの場面を考えてみます。
会議である人がこんな発言をしたとします。
「スケジュールがタイト過ぎてプロジェクトをプラン通りゴーライブできるか少しナーバスです。」
ここまでカタカナを使うくらいならいっそ英語で話した方がしっくりきます。まるでルー大柴のネタのようです。

少し大げさな例でしたが、たま~に外資系の人で見かけたりします。(外資系の人のためにフォローすると、英語を多用していると日本語より英語の単語が先に出てくるようになってしまうものです)

では、次の場面ではどうでしょうか?
「今年の当部門のKPIはトップラインとボトムラインです」
ご存じかもしれませんが、KPIとはKey Performance Indicatorの略で重要業績評価指標のことです。トップラインが売上、ボトムラインが利益です。
これを日本語に変えて、
「今年の当部門の重要業績評価指標は売上と利益です」
と変えた方がしっくりくるでしょうか?
おそらく人によって考えに差が出るのではないかと思います。
それはKPI、トップライン、ボトムラインという単語を普段から使うか、使わないかの違いだと思います。

更に身近な例を持ち出してみましょう。
パソコン、インターネット、ランドセル、これらは当然外国語からそのまま借用しています。これらも日本語にすべきでしょうか。さらに言えば、イクラも元をたどればロシア語、合羽も元をたどればポルトガル語です。

論点が少しずれてしまいますが、「日本語を守ろう」という議論であれば、横文字断固反対派の意見も納得ができます。それであれば、中国語やアイスランド語のように、外来語を日本語表現に変えていくのも一つの解決策です。Economyを経済と訳したように、パソコンも中国語のように電脳としても良いかもしれません。(大和言葉こそ日本語という意見もあろうかと思いますが)

さて、本題に戻って、横文字は分かりにくいかという点をもう一度振り返りましょう。
ここまでの話を振り返ると、

  • 横文字が多すぎるとわかりづらくなる

  • 対応する日本語があるにも関わらず、普段使わない英語を使うとわかりづらい

ということが言えると思います。

全ての横文字が悪ではない

では、全てのケースで横文字を使うことが悪なのでしょうか。
別の例を考えてみます。
哲学用語である「レーゾンデートル」。日本語では「存在を正当化する根拠」という意味で使われます。
他に日本語訳が定着した哲学用語としてハイデガーの「投企」やサルトルの「現存在」などがあります。

ここから何を言いたいかというと、レーゾンデートルも投企も初めて聞いた人は何を言っているかわかりません。決して横文字が難しいのではなく、日本語を当てはめたとしても概念が難しい言葉もあるということです。(あえて予断を許さないために訳語は使わないという立場もあるようです)

哲学用語は極端な例かもしれませんので、日本語でより一般的な用語を持ち出してみます。
佚宕(てっとう)、猗靡(いび)、論う(あげつらう)。これらの日本語の意味は分かりますか?

明治の文豪が書いた文章を読んでいると、しばしば知らない言葉に出合い、意味がよく理解できないことがあります。
私は横文字も全く同じだと考えています。
つまり、単純に言葉や概念を知らないだけということです。
20世紀後半以降、簡単に新しい言葉や概念が国を超えて流入するようになってきました。
その結果、新しい言葉や概念は海外生まれということが珍しくありません。
そのため、「横文字は難しい」という定説が支持されてきたのだと考えます。

そう考えると、「横文字は難しい」と言ってしまうと、「新しい概念は理解できない」と言っているのと等しいケースがあると言えると思います。横文字が難しいは、常に真ならずです。

以上を踏まえて、私もAIを人工知能と呼ぶか、リスキリングを学び直しと呼ぶか、常にどの言葉を選択するか考えたいと思います。


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