長坂のシルクロード
ここはしらべ荘の最寄り駅「すずらんの里」
実はこれまで一度も利用したことがない。だからこの日がしらべ荘建設以来29年目にして初めての乗車と言うことになる。中央本線各駅停車で甲州長坂までの小さな旅を2分26秒の動画にまとめたのでまずはご覧あれ。BGMと電車の音があるのでどうぞ音量は小さめに。
現在,ドレミが山梨県北杜市の小学校に午前中だけ勤めている。任期の終わる2月までに周辺の気になる場所に行っておこうと誘われた。ボクが車で迎えに行っては帰りがまた2台別々となってつまらない。そこですずらんの里駅の駐車場に車を置いて長坂まで電車で出かけたというわけである。
勤務を終えたドレミと駅で待ち合わせた。北杜市探訪最初の訪問地は「平山郁夫ロード」。気になる度が最も高い。通るたび北杜市にどういう関係があるのか不思議に思っていた。
ロードの起点は小海線の甲斐小泉駅前に建つ「平山郁夫シルクロード美術館」である。信玄ゆかりの「三分一湧水」に隣接する場所で,湧水には8年前にタローを連れて来たことがある。当時のボクたちは犬の入れない施設や犬の乗れない乗り物に全く興味がなかったので,小海線も美術館も目にはいらなかった。
なぜ北杜市に平山郁夫の美術館があるのか,学芸員の方に素朴な疑問をぶつけてみた。そのお話を頼りに調べてみるとその経緯は凡そこうである。郁夫の生前,夫人の美知子さんがアトリエのあった鎌倉市に何度も美術館建設の申請を行ったが認可されなかった。そこで夫人の親類が住む縁で合併前の長坂町に敷地を得てシルクロードミュージアムとして1999年に開館,2004年4月には郁夫自身の協力によって平山郁夫の名を冠した美術館となった。
シルクロードの名を戴くだけのことはある。平山画伯のシルクロード作品やスケッチの収蔵数が圧倒的である。
去年,ボクたちは彼の生まれ故郷である瀬戸内の生口島に平山郁夫美術館を訪ねた。
だが平山郁夫美術館の収蔵作品は生口島を中心にしまなみ海道の風景画が多く,シルクロードの絵は少なかった。それに比べるとここのコレクションはずっと充実している。
世渡り上手との批判もあるが素直にやっぱりうまいと思う。線や色遣いに気品がある。
茶系に補色の浅黄や緑青は彼の定番である。清潔で美しい。
甲斐駒はあまりうまくない(笑)
特別展も開催中のようでどこまでが常設のコレクションかはっきりしないが,1階の半分はシルクロード美術品の展示室になっている。
平山画伯の主催したシルクロード研究会が蒐集した美術品だと思われる。
これだけのクオリティの発掘品を日本で見られるとは正直驚いている。このことは広く知られているのだろうか。
美しくデフォルメされた頭像。埋葬された女性がモチーフだと解説にある。作者の悲嘆が伝わってくる。
カフェは冬期休業中だったが席は開放されていて腰を休めるのに好都合だった。
さて圧巻は2階にあるシルクロードの間。夜明けから夜までの大作が三方の壁を埋めている。
オランジュリーにあるモネの睡蓮の間を模して画伯自身がプロデュースしたそうである。
平山郁夫の代表作であるシルクロードシリーズ。
砂漠をゆくキャラバンを描いたものが多い。
何とも幻想的な雰囲気の秘訣は唯一つ。風紋の砂漠に映るキャラバンの影である。
写実ならば影はこうあるべきだ。それをまるで水面に映る像のような上下対象の影を描いた。たったこれ一つで彼は決定的な名声を手に入れた。事実,それに値するだけの発想だったと思う。さらに後年,月や太陽の重量感に合わせて地平線を傾ける構図が技法に加わっているが,残念ながらそれらの作品はここにはない。
鎌倉のアトリエが再現されていた。入退院を繰り返しながら描いていた未完成の絶筆が画架に架けられていた。病室の窓辺に置かれた花を描いた作品。病床にあっても衰えなかった創作意欲に感嘆して美術館を後にする。
帰り道で有名な小海線の撮影地をちょっとロケハン。富士見の西友で夕飯の買い物をしてすずらんの里の駐車場に戻った。
チーズが苦手な母が不在なので晩餐は天才ピザ(合作)。冷凍庫のチキンを切らしていたので急遽豚肉でアレンジした。
先日,塩尻駅の観光案内所で贖ったリーズナブルな五一ワインが旨い。昔と違って最近の国産信州ワインの品質がやたらと高いこと,長坂でシルクロードの美術品を堪能できること…できればそれらは秘密にして一般に知られたくないところだが,つぶれてしまっては元も子もないのでここにひっそりと発信しておくことにする。
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