敦賀に来たらここを訪ねたいと思っていた。場所は来迎寺野。
幕府に投降した水戸天狗党353名がここで斬首された。尊王攘夷の志を一橋慶喜に託すために京を目指し、一橋慶喜に降伏し、一橋慶喜に処刑された。理解できないというより理解したくない。憎悪と復讐の連鎖を生む元凶となったこの過酷すぎる処刑の判断は一橋慶喜の保身以外理由がない。かの「一万円札の人」もこの裁定に無縁ではないはずだ。同じ頃に慶喜の命を受け、水戸藩内で農兵募集をしていて天狗党とは対立する立場にいた。
あるいは耕雲斎らは挙兵したときから覚悟の死だったのかもしれないが、水戸の家族も連座して処刑されている。耕雲斎の妻武田ときは刑場で夫の首を抱かされ、子どもたちとともに斬首された。彼女にどんな罪のありや。
うたたねの 夢ともわかず契りしを さめてぞしたふ 夜半の手枕
武田とき
15年ほど前だったか、天狗党のことをネットで調べているときに、耕雲斎とときの夫婦仲がよかったと記されたサイトを見つけた。今回、ときの和歌を引用しようと思って探すとそのwebサイトはもうなくなっていた。そこで当時セーブしておいた全文をここに引用しておくことにする。
空模様が俄かに悪くなって来たのでホテルへの道を急いだ。
ぎりぎり濡れずに間に合った。米原でも余呉でもボクらが車から降りて歩いている間だけ雨がやんでいた。今日のボクたちはやっぱりついている。