File009/桔梗ヶ原の二軒茶屋
(旧中山道クロスバイク行)ここまでのあらすじ
みどり湖駅からクロスバイクに乗って旧中山道をたどる旅は塩尻宿から3km西にある現在の中心街大門を過ぎた。
その1/みどり湖駅事件はこちら
大門神社
旧中山道が下大門の四叉路で153号線と分かれてすぐに、その名も大門という名の神社がある。通りに面した入り口に工事用のバリケードや鉄パイプが組んであって「終わっちゃってる」のかなと思ったが、境内はキレイに草刈りもされている。
かつてこの境内で銅鐸が出土した。平出の集落が現在の大門付近にも及んでいて、祭事を司る施設があったのかもしれない。紀元前後の話である。神社の創建には関係ない。
縁起らしき碑があったが風化してほとんど読めない。かろうじて読める範囲では、前身の柴宮神社は正平十年というから南北朝時代の1356年創建、昭和になって1kmほど南にある若宮八幡を合祀して大門神社になったようだ。つまり、江戸時代には大門神社はなく、柴宮神社だったことになる。
中山道旅とはあまり関係がないかと、道路に停めた自転車に戻ろうとしたときに、所用の帰りらしきご婦人が境内に入ってきた。会釈してすれ違い、ふと振り返ってはっとした。
婦人は拝殿に向かって深々とこうべを垂れていた。やがて参拝を終えると、またスタスタと急ぎ足に反対の門から出て行かれた。信仰のなんたるかを見る思いがした。ああ、きっと江戸時代にも中山道沿いに柴宮神社は確かにあって、地元の人や旅人がこのようにして参拝していたと信じるに足る光景だった。
改めて周りを見ると、家並みには旧街道の面影が残っている。前回、大門はひどい田舎であるように書いてしまったが、西往還へ続く脇街道と中山道との追分としてもともと繁華な集落だったようだ。
平出一里塚
JR中央本線の高架下をくぐる。3.5M、オーリスにジャイアントを載せても通過できる高さがある。峠からの勾配(前回「大門はどこ?」参照)がここにきてもまだ吸収しきれていないということだ。高架下のトンネルはとても長い。中央本線と辰野線が150mほど東で合流している。確認はしていないが地図で見る限りおそらくかつては複々線ほどの線路数が高架を渡っていたと思われる。
中央本線のガードをくぐってしばらくすると、一面の田畑が広がってくる。江戸の頃と変わらぬ風景かと思われる。
江戸時代中頃には大門を過ぎると一面の原野だったようだ。旅人にとって目印となったのは一里塚にある大きな傘松だった。
日本橋から59番目の一里塚。3.927x59=231.693km
グーグルマップで和田峠を経由地にして経路を検索すると226km、52時間と表示された。江戸時代の計測精度は高い。一日8時間歩いたとして7日の行程だ。
看板の写真に見入った。カメラマンが声をかけたのだろうか、松の木に憩う旅人たちがみなカメラの方を向き、集合写真のようになっていて微笑ましい。
ご多分に漏れず、この松にも武将の逸話が残っているが、主人公は山本勘助である。信州史跡探訪なので、宿敵甲斐の武将については割愛しておく。
桔梗ヶ原
誰が名付けたのか、なんと美しい名前だろう。秋には桔梗や女郎花の花で一面が覆われたそうだ。
諏訪のおじさん どじょう魚籠提げて 花の塩尻 とぼとぼと
行こか塩尻 帰ろか洗馬へ ここが思案の桔梗ヶ原
塩尻甚句より
江戸の夢を破るかのように、行く手に轟音がして特急しなのが通過した。
木曽から名古屋に通じる中央西線の踏切がある。線路の先にはゴール地点の洗馬駅が遠望できる。
通に人気のワイナリー。ここの娘さんがちょうど今、ドレミの教え子であるらしい。音楽の好きな明るい子だとのこと。平出一里塚の案内に依れば、江戸の頃はこのあたりに二軒茶屋があったらしい。
「山遠くへだたりて、ながめはるかなり。二軒茶屋の立場にいこふ。「桔梗ヶ原名物さとう餅、あわ餅、せうちう(焼酎)」といへる看板かけたり。一里塚松を越えて大門村にいれば、モモの花ざかり也。」
太田南畝「壬戌紀行」
太田南畝(なんぽ)は江戸時代中期の御家人で「天明狂歌」を先駆け、文人として名高い。彼が54歳のときと言うから、1803年に大阪銅座での任を終え、中山道を江戸に帰るときの旅行記が「壬戌(じんじゅつ)紀行」である。つまりボクのバイク行とは逆コースである。さとう餅、あわ餅、焼酎、そして桃の花盛り…タイムスリップして味わえないものだろうか。
旧中山道がいったん国道19号に吸収された。ここから朝日村にかけて一帯には見事なまでにブドウ畑が広がっている。水のきれいな奈良井川の東岸には五一、井筒、アルプスなどビッグネームのワイナリーがひしめく。人気が出て値が高騰するのが怖いのであまり大きな声では言いたくないが塩尻ワインはまことにおいしい。爽やかなブドウの香りは寒冷地のドイツワインに似ている。
ブドウ畑の真ん中にポツンと赤い屋根の中学校が建っている。ドレミの勤務先である。今頃は授業中だろう。髪結いの亭主よろしく夫がこうして遊んでいる間、激務の教育現場で働いている。
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