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余儀なきDIY/脚立

夕べ居間の天井を見上げると合板の天井板が剥がれ落ちそうになっていた。珍しいことではない。築30年である。

早めの対処は重要である。

ボクの釘ボックス

高所作業用の滑らない靴

屋内で脚立に乗るといつも思い出すのは画家だった義叔父のこと。14年前の夏、町田で個展を開いていた叔父は展覧会が大阪に移る期間を利用して一時NYCに帰った。マンハッタンの自宅でバスルームの天井を補修していて脚立から落ち、突起物に後頭部を強打して還らぬ人となった。

伯父の住んでいたミッドタウンはマンハッタンの中心である。そこでは古いビルディングが建て替えられることはほとんどない。クラッシックな外観を持つ建物の内部をリニューアルして住むのがニューヨーク流らしい。だからマンハッタンにアパートメントを持つ人は誰もがDIYの達人だ。空調、サッシ、エレベーター、水回りなどすべて旧式だからだ。もちろん伯父もよく休日にトンカチをふるっていた。この夏の個展の準備でも、天上から吊るすような凝った展示をするとき、自ら身軽に脚立に乗って美術館の担当者を驚かせたそうだ。さもありなんと思う。マンハッタンは八ヶ岳の山中で暮らすよりもDIYを必要とする。風呂場のペンキ塗りなど彼にとっては朝飯前だったはずだ。

義伯父の家の新年会(2002年)

義叔父の作品はアメリカではとても評価され、ペンシルバニア大学の美術教授に就いているほどであったが、ボクにはその幾何学模様の油彩画がさっぱり理解できなかった。

ところが生前最後となった町田の個展で作風の変化を見た。
「ドウ オモウ。コレハ ワカルカネ?」
長いアメリカ生活のために伯父の日本語の発音は少々不自由になっていたが、自分に批判的で生意気な義理の甥っ子に作品の解説をしてくれた。
「シバラク ヒロシマ ヲ モチーフ ニ シヨウトオモウ」
ヒロシマの写真展を見て衝撃を受け、核使用の是非を問う展覧会をアメリカで開くという壮大な計画を話した。

伯父のヒロシマ展は幻となった。ボクにはその意志を継ぐ力はないが、せいぜい脚立に乗るときには気をつけて長生きし、広島の美しい風景画でも一枚遺せればと思う。

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