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菅谷館跡と畠山重忠公史跡公園
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3月最初の土曜日,お昼12時武蔵嵐山(むさしらんざん)駅に到着。前日までの寒さから一転して気温は上がり,それぞれ二種類用意していたジャケットのうち薄手の方を選んで着こむ。昨秋の上総(かずさ)旅以来半年ぶりのサイクリングに心が弾む。まずは昼食。
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「ゴロ~♪ゴロー♪イ・ノ・ガシラ♪」
ドレミが自転車に鍵を掛けながら口ずさむ。最近,遅まきながら動画配信で「孤独のグルメ」にハマっている。ドレミも「行き先にあるオシャレなカフェ」を予め検索することを止めて,地元の老舗との出会いに舵を切ったようだ。
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お昼を30分ほど過ぎて,入れ違いに店を後にする常連客が多い。その誰もが頼まれもしないのに強風で巻き上がった暖簾を直していく。ゴロー風に言えば
「これは当たりの店だ。」
となろう。
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果たして味もまた当たりだった。ご飯はどちらも小盛,もちろん追加注文なし。胃袋が二つないと番組の真似は難しい。
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菅谷館(すがややかた)跡
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レストランでグーグルマップを操作すると菅谷館跡まで3分と表示された。裏道を通るルートで直に重忠公像の真下にアクセスする。
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畠山重忠
1164(長寛2)年,武蔵国男衾(おぶすま)郡畠山生まれ。父は畠山重能,母は三浦義明の娘。清廉潔白な人柄で坂東武者の鑑と讃えられた。智勇兼備,銅拍子という打楽器の名手でもあった。吾妻鏡,曽我物語など多くの書に誠実な人物として描かれ後世に伝わった。江戸時代の絵師歌川国芳や月岡芳年,人間国宝の彫刻家北村西望など多くのアーティストが作品のモチーフとし,松尾芭蕉の句も残る。
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竹筋コンクリート製
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畠山重忠公貞亮晩節堅(畠山重忠公は、貞亮にして晩節堅し)
山間秩父荘出如斯大賢 (山間秩父の荘は、斯くの如き大賢を出す)
重義履正路文武両道全(義を重んじて正路を履み、文武両道全し)
忠良無私心仕源家罔愆(忠良にして私心無く、源家に仕えて罔愆し)
公明而寛大人敬其清純 (公明にして而寛大、人は其清純を敬す)
踏水火忘身転戦着鞭先(水火を踏んで身を忘れ、転戦して鞭を着くること先なり)
正受疑応召発菅谷進[馬偏に全](正しうして疑を受け、召に応じ菅谷を発して□を進む)
路上討兵遮相州二俣川(路上討兵遮る相州二俣川)
遭難釈甲冑自殺不怨天 (難に遭って甲冑を釈ぎ、自ら殺うて天を怨まず)
讒構雖覆明無実之罪甄 (讒構明を覆うと雖も、無実の罪は甄なり)
埼玉県立嵐山史跡の博物館HPより転載
重忠は執権北条時政の計略に嵌り,相州二俣川にて134騎,総勢500人足らずで北条義時軍1万に挑み戦死する。碑文には二俣川の難にて甲冑を脱ぎ自害とある。どういう経緯か訳者の名に意図的に削られた跡があって読み取れない。
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「吾妻鏡」に1187(文治3)年に重忠が地頭代の「押妨(不正)」をとがめられて伊勢国の領地を没収され身柄を千葉胤正に預けられた事件の記述があるらしい。まもなく疑いが晴れて「武藏国菅谷館」に帰ったと記されていることから,少なくともこのときには畠山からこの地に本拠を移していたと考えられる。移転理由は菅谷が鎌倉街道沿いで交通の便によるものとされている。
二の郭には白梅が満開だった。
重忠がこの地から鎌倉に向かい還らぬ人となったのは1205年6月19日のこと。
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悲報を受けた愛妻菊の前が菅谷館を発ったのは23日早朝と推測される。二俣川を見下ろす鶴ヶ峰から夫と息子の戦死を確かめた菊の前は駕籠の中で自害して果てた。
杉山城跡
杉山城は訪問を予定していた場所ではない。菅谷館から畠山庄までグーグルマップで経路を検索すると交通量の多い254号(小川バイパス)ばかりを指示する。自転車で走りやすそうな東の丘陵地帯を行くために杉山城を経由地に加えた。
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どうもボクが住民なら党派に関わらず投票してしまいそうな名の議員さんである。
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グーグルマップは菅谷館前であっさりとバイパスを横切り北東に進路を指示した。途中,コンビニの前を何度か通過した。ペットボトル飲料を買うべきだったが,汗をかくほどの気温ではないし,市街地を行くので必要ないということになった。これが後に仇となる。
教訓:どんな天候でもサイクリングには必ず水を携行しよう。
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14時30分杉山城跡到着
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杉山城
別名初雁城。戦国時代の山城ということ以外,築年,廃城年,築城者,歴代城主など全てが不明という珍しい遺跡である。
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「でも看板に関東管領山内上杉憲房が扇谷上杉氏に対抗して築城したって書いてあるよ。」
それ,「のりふさ」で「おうぎがやつ」ね。
この地味な城が城郭考古学,城跡ファンにはとても人気がある。実際,この日訪ねくる人もひっきりなしで,菅谷館に比べると数倍を数えた。中には甲冑のコスプレ衣装を纏った若者たちのグループもいた。
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人気の理由のひとつはこの遺構。保存状態が極めて良好なのだそうだ。もう一つは件の上杉憲房築城説の元となった出土品などの分析である。賛否が分かれ「杉山城問題」としてなお争点になっているらしい。
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さていよいよ北に進路を取り本格的な移動となる。
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杉山城の裏の峠を越えるとマップに「石仏群」という史跡が表示された。どうやらこれのことらしい。
交通量の多い幹線道路をうまく避けたつもりだったが,グーグルマップは加減というものを知らない。右に左に田んぼの中のダートコースを指示してくる。クロスバイクには危険な未舗装の砂利道と強い向かい風が容赦なく体力と時間を奪ってゆく。歩くほどのスピードしか出せないので,到着予想時刻までひたすら走っても1/3くらいしか進まない。路傍にしゃがみこんで休憩するが水がない。疲れで喉が貼り付くようだ。
「シュウ,舗装道に戻って。」
後ろからドレミに言われて,推奨コースを外れることに決めた。コースと並行する県道を見つけた。コンビニエンスストアという看板を掲げた酒屋さんらしき商店も見つかった。店頭に販売機が並んでいる。
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写真の角度からボクがすでにへたり込んでいることがお分かりいただけるだろう。
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一本丸ごと二人で飲み干して何とか生き返った。
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関越道に沿うようにして北に進む。推奨コースがダートなら遠回りする術も覚えた。
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畑や休耕地に一面ホトケノザが咲いている。春のオクラホマを訪ねたとき,はるかどこまでも続くホトケノザの群生に驚嘆し,帰化植物だということを思い知った。春の七草に数えられるホトケノザはコオニタビラコという黄色い花をつける在来種である。地元の若者数人に地元での名を尋ねたが
「weed(草)」
という答しか返ってこない。勉強不足のオクラホマの若者たちに,この花の名は
「Buddha's chair」
だと教えてやった。アメリカ中部でもホトケノザはそれほどにありふれた植物らしい。どうやら畠山郷のコオニタビラコもこの強力な繁殖力に屈したと思われる。
畠山重忠公史跡公園
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16時10分,標準時間の3倍を要してようやく畠山館跡に到着した。畠山氏の居館跡で現在は畠山重忠公史跡公園となっている。
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静御前が鶴岡八幡宮で舞ったときに銅拍子を演奏したことはどうやら史実らしいが,他にも重忠の武勇や人柄を語った逸話は枚挙に暇ない。宇治川の戦いでは渡河中に溺れかけた味方の武将を対岸に放り上げ(平家物語),巴御前は重忠を警戒して逃れた(源平盛衰記)。鎌倉街道武蔵国分寺宿で恋仲となった遊女夙妻太夫は「西国にて重忠戦死」との虚報を悲しみ,池に身を投げてしまった。鯉ヶ窪の地名が恋ヶ窪に変わった由来と言われる。重忠18才の頃,菊の前との挙式前のことだろう。
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中でもボクが最も好きなのは鵯越の逆落しの逸話である。重忠は愛馬三日月を労わり,馬を背に負って一ノ谷の崖を下り奮迅の働きをする。多くの画家が絵にしているがボクもいつか油彩に仕上げたいと思っている。
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もっともこの話はフィクションであるらしい。まず「吾妻鏡」に依れば,重忠が属したのは別動隊の義経軍ではなく,生田口から一ノ谷に入った範頼指揮の本軍だったようだ。また三日月の体重は300kgを超えていたと推定され,いくら豪傑でも背負って歩くことは物理的に不可能である。
だがいずれの逸話についても火のない所に煙は立たぬ。重忠が動物を愛しむ心の持ち主であったことは想像に難くない。
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三橋美智也さんが1977年にリリースした「重忠節」の作詞は当時の埼玉県知事畑和氏。
1. 国は武蔵の畠山 武者と生まれて描く虹
剛勇かおる重忠に いざ鎌倉のときいたる
2. 平家追い討つ一の谷 愛馬三日月背に負えば
そのやさしさに馬も泣く ひよどり越えの逆落とし
3. 雪の吉野の生き別れ 恋し義経いまいづこ
静の舞の哀れさに 涙で打つや銅拍子
4. 頼み難きは世の常か 誠一途が謀反とは
うらみも深く二俣に もののふの意地花と散る
5. 仰ぐ秩父に星移り 菅谷館は苔むせど
坂東武者のかがみぞと 面影照らす峯の月
まばゆい夕日の斜光の中,ボクは芭蕉の句碑を探したが見つからない。駐車場を利用して休憩している地元の人に聞いて回ったが誰も知らない。公園に隣接する民家の婦人に尋ねたがやはり知らない。彼女は気の毒に思ったのか庭作業の手を止めて一緒に探しに来てくれた。
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風化して碑文も読み取れず,案内も設置されていないがどうやらこの石碑らしい。
むかしきけ 秩父殿さえ すまふとり 芭蕉
秩父殿は重忠のこと。すまふとりは相撲取りである。重忠が頼朝の命で豪腕で知られた長居という相撲取りと相撲を取って勝ちを制した話が「古今著聞集」にあるという。晩年の芭蕉翁がその逸話を面白がって発句したものと想像すると心愉しい。
万福寺
畠山館から北東に400m,荒川の岸に万福寺がある。
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重忠が再興して菩提寺とした。
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動画でしか観たことがないが,坂東玉三郎も十八番にした歌舞伎の演目に「壇浦兜軍記~阿古屋」がある。主役は五條坂の遊君阿古屋,剛勇で知られた平家の武将悪七兵衛景清の子を宿している。平家残党を追う源氏は景清を討伐するために阿古屋を捕らえた。
堀川御所で彼女を取り調べるのが,禁裏守護の代官に任じられた秩父庄司畠山重忠その人である。景清の行き先について口を割らない阿古屋に対し,詮議の助役岩永左衛門は水責めの拷問を主張する。それに応じた重忠が持ち出すように命じた責め道具こそ面白い。すなわち琴,三味線,胡弓であった。そして曇りない音色で楽器を演奏する阿古屋の心に偽りなしとして彼女を放免するという結末である。
男衾(おぶすま)駅
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影が長くなり日没が近い。
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東武東上線の男衾駅まで5km,25分とグーグルマップが表示した。しかも標高差50mの上り坂が続く。永田駅が最寄りだが秩父鉄道も東上線も一時間に2本しかない。寄居(よりい)駅での接続を考えると,がんばって予定通り男衾駅を目指す方が賢明そうだ。疲れた足にだんだらの上り坂が辛い。
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ようやく男衾駅に着いたとき,ちょうど上り列車が発車していった。駐輪場にクロスバイクを停めて施錠し,販売機で温かい缶コーヒーを買った。
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飼い主がゼレンスキーと呼んでいる犬が駅のロータリーに繋がれていた。散歩の途中で喉が渇いたのだろう,水をせがんだために飼い主は容器を抱えて駅の洗面所に走って行った。悪びれもせずちょこんと待っている様子から彼がずいぶんと可愛がられていることがわかる。こんなときは亡き愛犬を思い出し胸がきゅんとなる。
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夕日が沈み急に冷え込んできた。携行していたトレーナーを着こんだが尚も震えがくる。
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ようやく夕闇の中から上り列車が現れた。
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この時間,すべての列車は小川町止まりで,池袋行に乗り換える必要がある。
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18時15分,車を停めた駐車場に戻る。暖房を入れてすぐに男衾駅に向かった。
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18時50分,ゼレンスキーのいたロータリーで自転車を回収した。なすすべのなき身なれど,ウクライナに平和の戻ることを心から願う。久々のことで脚力はかなり落ちていたためだろう,今回のチャリ活は予想外の苦戦を強いられた。
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「ゴロ~♪ゴロー♪イ・ノ・ガシラ♪」
男衾駅から車で1分のイタリアンレストランに入る。
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冷えた体に温かいコーヒーが染みた。
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昼に続いてこれまた当たり。味のクオリティーは高いが,如何せんボクたちにとって日に二度のゴローは重すぎた。
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直近の花園インターには向かわず,行きと同じ東松山インターまでバイパスを南下するうちに残っていた関越道の上り渋滞も解消していた。
おしまい