File013/今井兼平
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」をきっかけに、それまでは名前くらいしか知らなかった今井兼平ファンとなって日は浅い。
それにもかかわらず去年の春には粟津古戦場の墓を訪ね、既に一端の兼平マニアのつもりになっていたのだから、これからお話しする失態は我ながら片腹痛い。少々前置きが長くなってしまうが一緒にお笑いくだされたし。
粟津古戦場を訪ねてから僅か1ヶ月後にボクと妻は東京の家と職場を引き払い、兼ねてよりIターンの準備をしていた八ヶ岳西麓に移住した。たいていの手続きは村の役場で事足りたが車の登録には松本にある自動車検査登録事務所まで行く必要があった。
ボクたちは遊びがてら国道で塩尻峠を越えて松本まで出かけ、帰りには安曇野を通って帰った。そのとき
「何か地物でも買って行こう」
と検索した地図を頼りに「いまい恵みの里」という道の駅に立ち寄った。買って帰ったリンゴジャムが滅法美味かったので、それからも何度かジャムを買いに行った。
…そう、全く繋がらなかったのである。
そして新年度、ドレミの職場が思いがけず塩尻になった。車で片道1時間半はあまりにも遠い。負担の軽減になるか分からないがボクも10日に1度ほど彼女の送迎することにした。送った日はまさかに一旦帰宅するわけにもいかないので朝日村や安曇野で日がな一日写生をして待つことになる。これはボクには全く苦にならない。むしろ楽しみであった。
写生には安定してトイレに行ったり筆を洗ったりできる道の駅が欠かせない。ドレミの職場から近い「いまい恵みの里」はジャムの駅から一躍その役割を写生のベース基地と変え、訪れる頻度も極端に増えた。
それでもまだ繋がらない。
春のある朝、「いまい恵みの里」からほど近い今井の集落にある郵便局に用があって行った。すると局の隣の敷地が満開の桜で白く煙っていた。「宝輪寺」と表札のある駐車場を入ると果たして桜の園であった。
写生をしていた2時間余り、誰も訪れてくる人はなく、社務所に挨拶しようと何度か行ってみたが人気はなかった。以来、すっかりこの静けさが気に入ったボクは天気が悪くて山が見えない日には好んでこの境内で写生した。
まだまだ繋がらない。いつも寺には駐車場から入っていたために正門を通らなかったのである。
全てが繋がったのは5月も末になってからのこと。その日、いつものように宝輪寺を訪れると珍しく駐車場に先客があった。しかも5、6台も停まっていて境内も何やら賑やかだった。客たちのお目当ては牡丹の花であった。宝輪寺は牡丹の名所だったのである。
ボクもカメラを手に花を辿って初めて正門に行った。そこでこの看板を見たのだった。ボクの驚きと恥辱は言に尽くせない。
言うまでもないが今井はかつて今井兼平の所領であり、宝輪寺は彼が再興した菩提寺であった。
今井陣屋跡は道の駅から寺に来るまで毎度通る細い抜け道沿いにあった。さすがにこれに気づかなかったのは仕方ないと言えよう。
今井はもともとの地名である。由来は不明だが昔、奈良井川から離れた高台に新しく湧く井戸が発見されたという感じだったのだろう。ともかく中原四郎兼平はこの地を治め今井兼平を名乗ることとなった。
集落の奥に今井神社がある。郵便局のすぐ先である。
ここが今井兼平屋敷跡だった。
境内を歩いていると立て札のある石を見つけた。建物の痕跡でも見つかったのかと近づいてみた。
兼平塚
琵琶湖畔粟津ヶ原の今井四郎兼平のお墓の土を持ち帰りお祀りしてあります。
あ(;^_^Aそう言うことですか。
…無理もない。850年前のことである。屋敷跡が特定されているだけでも大したものだと思う。
今井にはさらに兼平の父中原兼遠の下屋敷があったとされ、信濃国府が松本の深志であったという説を裏付けている。深志と今井は直線距離にして10kmほど、兼遠が深志に出仕するため下屋敷を今井に置いたとしても不思議はない。
集落の中央部に下屋敷跡とされる場所がある。航空写真で地形を見ると大きな方形の敷地が確認できるため居館跡と推測されているらしい。今井の所領は兼平が父から受け継いだものだったのだろう。もっとも兼平の所領は「信濃国今井」とだけ伝わっていて、他にも川中島や岡谷、佐久など諸説ある。
今井四郎兼平…その無双ぶりは平家の大軍を迎えた北陸戦で源平両軍に鳴り響いた。彼が先遣隊を指揮した倶利伽羅峠の前哨戦「般若野の戦い」での勝利は平家軍有利だった戦況を一気にひっくり返し、義仲軍破竹の快進撃のきっかけとなる。
今井の庄の場所については諸説あっても、兼平が生まれ幼少期を木曽で過ごしたことにはあまり異論がない。
木曽上田村(現新開町)には、駒王丸(木曽義仲の幼名)と樋口兼光、兼平、巴の三兄妹が仲良く学んだという伝説の天神社が残っている。
木曽には850年の時を超えてなお、幼い4人の面影が濃い。
義仲の墓所、木曽徳音寺には中原三兄妹の墓碑もある。それぞれ別の場所で最期を遂げた三兄妹も故郷でまた安らかに眠っている。