#016 クリティカル・ビジネスの時代
いま「クリティカル・ビジネス」というテーマで本を書けないかと思っています。「クリティカル」というのは直訳すれば「危機的」という意味でもあり、また「批判的」という意味でもあります。「危機的」と「批判的」という、かなり異なるニュアンスの言葉が、なぜ同じ「クリティカル」という言葉で表されるのか?
源に遡って考察すると霧が晴れることはよくありますが、この場合もそうで、英語のCriticalの語源はギリシア語のKrineinで、これは元々「分かれ目」という意味なんですね。決定的な分岐点だからこそ、それは「危機的」にもなるし、正しく選択するためには「批判的」にならなければならないということです。
じゃあ、具体的に「クリティカル・ビジネス」の例を上げてみれば何になるかというと、オランダのアムステルダムのスマートフォンのスタートアップであるFairPhoneなんかは典型的な「クリティカル・ビジネス」だと思います。こちらの動画を見ていただくとどんな会社かがわかると思います。
好きだなあ。時に良いと思うのが「Right to repair is a movement」(修理できる権利というのは社会運動なんだ)というところですね。要するに彼らは、現在のスマートフォン業界のあり方を批判するための、一つの社会運動としてこの会社を創業し、運営してるわけです。
社会運動が大きな盛り上がりを見せたのは1960年代の後半ですね。なぜこの時期に社会運動は大きな盛り上がりを見せたのか?ChatGPTに聞いてみたら次のような答えが返ってきました。
なるほど。
僕が面白いと思うのは三番目のポイントですね。いつの時代においても、その時代における批判の主役は哲学者と文学者が務めていました。たとえば1950年代から60年代くらいまでだとサルトルの実存主義が筆頭でしょうね。今からは想像もできないほどに、とても大きな影響力を持っていましたけど、1970年代以降、哲学は長らく担っていた「社会批判」という役割を下りてしまい、段々と非常にアクロバティックな論考を展開する「知的サーカス団」のような様相になっていきます。
では、どんなプレイヤーが哲学者の役割を交代したのか?ChatGPTの答えを踏まえれば、それはロックだったということになるわけですが、1970年代以降はロックが担っていた社会批判という機能もやはり徐々に薄れ、音楽産業自体が資本主義システムに絡め取られてMTV的に無害化されていくことになります。
当然に社会運動も盛り上がりを欠くようになり、学生は社会的に従順・・・というかどんどんバカになって、そのまま80年代のバブルの狂騒を経て、失われた時代へと流れ込んで今に至るようになるわけですが、そういういまの時代にあって、ビジネスという手段を通じた社会運動が起きつつあるわけです。
僕は前著の「ビジネスの未来」において、資本主義をリプレースする実験はすでに全て失敗に終わったのだから、もはやこれを全否定しても仕方がない。むしろこの仕組みを逆手にとって、いわば「資本主義のハッキング」を考えるべきだ、という提案をしましたけれども、FairPhoneはまさに「資本主義のハッキング」の例だと思うわけです。
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