○=アンラーンする ×=経験に頼る
ニュータイプ:経験をリセットし、学習しつづける
オールドタイプ:経験に頼ってマウントする
高い年齢に達した老人が、長い間生きていたことを証明する証拠として、年の功以外に何も持っていない例がよくある[1]。
今朝の日経に面白い記事が出ていました。
この記事によると、日本人の「数的思考」の能力は20代にピークが訪れ、特に40代以降は急速に低下する、となっています。数的思考はビジネス上の意思決定の基本をなすものですから、これを見る限り、重要な意思決定には40代以降は関わらせず、むしろ20代を中心とした若手に権限移譲した方が良いということになります。
で、このような指摘に対して、必ずなされるのが「経験のない人に重要な意思決定をさせることはできない」という反論です。しかし、本当にそれほど経験って価値のあるものなんですかね・・・?
不良資産化する「経験」
これまで、私たちは「経験量の多寡」を、その人物の優秀さを定義する重要な尺度として用いてきました。しかし、これからは「経験量の多寡」が、そのまま有能さを表す指標にはならない時代がやってきています。
近い将来、「豊富な経験を持ち、その経験に頼ろうとする人材」はオールドタイプとして価値を失っていく一方で、「経験に頼らず、新しい状況から学習する」人材がニュータイプとして高く評価されることになるでしょう。
決定的な理由となるのがメガトレンドの項目で取り上げた「世界のVUCA化」という現象です。つまり環境変化が速すぎることで経験が無価値化している、ということなのですが、そもそもなぜ環境が変化すると経験の価値が目減りするのでしょうか。
これは経験がその人のパフォーマンスに作用する構造要因を考えてみればわかると思います。
経験がある個人のパフォーマンスを高める理由は、経験によってその人のパターン認識の能力が高まるからです。未経験の事態に対処する場合、その人はゼロベースで情報を集め、それらを論理的に組み合わせるか、あるいはその人なりの直感に基づいて試行錯誤しながら環境に対処しようとします。
もちろん対処の結果として、「うまく行く場合」もあれば「うまく行かない場合」もあるわけですが、このような経験を長いこと蓄積していくと、やがて過去に経験したのと同種の状況に直面することになります。この時、その人は、その事態に初めて直面した人よりも、高い確率で「より良い対処」ができるようになります。
なぜなら、その人の中に「このような状況では、どのように対処するとうまくいくか、あるいはいかないか」というパターン認識が形成されているからです。このようなパターン認識を数多く持っている人であれば、相対的に少ないパターン認識しか持っていない人と比較して、様々な状況へ的確に対応する能力が高くなることは容易に理解できるでしょう。
その典型例が経営学です。経営学というのは極論すれば、経営における状況と対処のパターンを数多く疑似的に経験するための学問です。だからこそMBAという学位は、その個人が持っている「経営上の様々な状況や問題に対して対応するパターン認識の能力」を保証するものとなり、労働市場において高い評価につながったわけです。
しかし、環境変化が早くなると、このようなパターン認識の能力は、価値を減殺させることになります。いや、価値を減殺させるどころか、むしろ足枷のように、個人の状況への適応力を破壊することにもなり兼ねません。
例えばかつての日本では、土地という資産を担保にしながら、資産にレバレッジをかけて大胆な資金調達を行い、アグレッシブに事業を拡大させるというのが、一つの「成功パターン」とされていました。
土地の値段は第二次世界大戦後、一度として低下したことがなく、最も安定的で利回りの高い投資と考えられていました。だからこそ、多くの企業はバランスシートを安定させるために固定資産としての土地に投資し、それを担保にして相対的にリスクの高い事業投資を行っていました。
しかし、1990年代の前半にバブル景気が終焉を迎えると、この「成功パターン」は、その戦略を採用する組織にとって、悪夢のような足かせとなって経営を縛ることになりました。つまり、「上昇し続ける土地の価格」という前提が崩れてしまったときに、それまでの経験によって裏打ちされてきた戦略の勝ちパターンは、むしろ彼らの意思決定を徹底的に誤らせる要因になってしまったのです。
結晶性知能と流動性知能
VUCA化が進む世界において「経験の無価値化」が進行すれば、組織内における「経験者」の発言力・影響力は弱まることになります。その結果、組織における意思決定のあり方もまた変化することが余儀なくされます。
目前の問題を解決したいというとき、採用できるアプローチには次の三つがあります。
ランダム=直感によってピンとくる解を求め、意思決定する
ヒューリスティック=経験則に基づいていい線をいく解を求め、意思決定する
オプティマル=事実と論理に基づいて最適解を求め、意思決定する
これを経営学者のヘンリー・ミンツバーグが提唱する経営の三要素、つまり「アート」「クラフト」「サイエンス」に対応させれば、直感や勘を用いる「ランダム」は「アート」に、手間をかけずに「まあまあいい線」を狙う答えを求める「ヒューリスティック」は「クラフト」に、分析と論理によって最適解を求めようという「オプティマル」は「サイエンス」に、それぞれ該当することになります。
このうち、過去に類似した事例があるのであれば、経験に基づくヒューリスティックは有効なアプローチだったかも知れませんが、向き合う問題が未曾有のものになると、このアプローチはうまく機能しません。
そうなると「アート」か「サイエンス」の出番ということになるわけですが、容易に想像できるように、この二つをどれくらいうまく使いこなせるかは、年齢とあまり関係がありません。
というより、むしろ「大胆な直感」や「緻密な分析・論理」というのは、全般に年齢の若い人の方が得意だということがわかっています。
知性と年齢の関係については様々な研究がありますが、ここでは代表的なものとしてキャテルの流動性知能と結晶性知能の枠組みを引いてみましょう。
流動性知能とは、推論、思考、暗記、計算などの、いわゆる受験に用いられる知能のことです。先ほどの枠組みを用いて説明すれば、流動性知能というのは、分析と論理に基づいて問題解決をする際に用いられる類の知能だということになります。
一方の結晶性知能とは、知識や知恵、経験知、判断力など、経験とともに蓄積される知能のことを言います。つまり、先ほどの枠組みを用いて説明すれば、経験則や蓄積した知識に基づいて問題解決をする際に用いられる類の知能だということになります。
さて、ここが重要な点なのですが、二つの知能ではピークを発揮する年齢が大きく異なります。図1にあるように、流動性知能のピークは20歳前後にあり、加齢とともに大きく減衰していくことになります。一方の結晶星知能は成人後も高まり続け、60歳前後でピークを迎えることになります。
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これが、かつての「定常社会」において、60歳前後の長老が大きな発言権を持ち、皆から尊敬を集めた理由です。
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