とりあえず試す

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 ニュータイプ:とりあえず試し、ダメならまた試す
オールドタイプ:綿密に計画し、粘り強く実行する

なにが「良い」かは、試さないとわからない

17世紀にオランダのハーグで活躍した哲学者のスピノザは、人であれモノであれ、それが「本来の自分らしい自分であろうとする力」をコナトゥスと呼びました。

コナトゥスという言葉は元々ラテン語で「努力、衝動、傾向、性向」といった意味です。スピノザは、その人の本質は、その人の姿形や肩書きではなく、コナトゥスによって規定されると考えました。当然のことながら、コナトゥスは多様であり、個人によって異なることになります。

さて、私たちは「良い・悪い」という評価を、社会で規定された絶対的尺度として用いていますが、スピノザによればそれらの評価は相対的なものでしかなく、文脈に依存して決定されます。ではどのような文脈に依存するのかというと、その人のコナトゥスを高めるのであれば「良い」ということになり、その人のコナトゥスを毀損するのであれば「悪い」ということです[1]

つまり、この世に存在しているあらゆるものは、それ自体として「良い」とか「悪い」ということはなく、その人のコナトゥスとの組み合わせによって決まる、とスピノザは考えたわけです。

もしあなたが自然の中に身を置いて、活力が高まるのを感じたのであれば、自然はあなたのコナトゥスにとって「良い」ということになります。一方で、孤独に苛まれやすい人が自然の中に身を置いて、疎外感を感じたのだとすれば、自然はその人のコナトゥスにとって「悪い」ということになります。

スピノザの賢人観もまた、このような思考の延長線上にあります。スピノザによれば、賢人というのは、自分のコナトゥスが何によって高められ、何によってネガティブな影響を受けるかを知り、結果として人生を楽しむ術を心得た人だということになります。主著である「エチカ」から引きましょう。

もろもろの物を利用してそれをできる限り楽しむことは賢者にふさわしい。たしかに、ほどよくとられた味のよい食物および飲料によって、さらにまた芳香、緑なす植物の快い美、装飾、音楽、スポーツ、演劇、そのほか他人を害することなしに各人の利用しうるこの種の事柄によって、自らを爽快にし元気づけることは、賢者にふさわしい。

スピノザ「エチカ」第四部定理四十五備考

 

実にみずみずしい、しなやかな賢人観ですね。

筆者がなぜ、17世紀の哲学者の指摘を、ここでわざわざ紹介しているかというと、今の私たちにとって、このスピノザの主張があらためて重要だと思われるからです。

私たちは極めて変化の激しい時代に生きており、私たちを取り巻く事物と私たち個人の関係性は、常に新しいものに取って代わられていくことになります。このような時代にあって、何が「良い」のか「悪い」のかを、世間一般の判断に基づいて同定することはできません。

私たちが、自分の人生を賢人となって楽しむためには、つまるところ、様々なものを試し、どのような事物が自分のコナトゥスを高めるか、あるいは毀損するかを経験的に知っていくことが必要になります。この「試す」というのは、スピノザの哲学において極めて重要なポイントです。

私たち各々のコナトゥスはユニークなものであり、だからこそ私たちは、様々なことを試した上で、それが自分のコナトゥスにどのように作用するかを内省し、自分なりの「良い」「悪い」という判断軸を作っていくことが必要だと、スピノザは説いたのです。

エイドスが先行する社会

これに対置される考え方が、姿形や立場によって、その人の「良い」「悪い」を確定してしまうという考え方です。「本来の自分であろうとする力=コナトゥス」という本質に対して、自分の姿形や立場などの形相をギリシア語ではエイドスと呼びます。

例えば男性・女性というのは一つのエイドスですが、ではだからといって「あなたは女だから、これが好きなはずだ」「あなたは男だから、こうするべきだ」というのは、コナトゥスを無視した押し付けになってしまいます。

そのように押し付けられたものが、本当にその人のコナトゥスを高める「良い」ものであるかどうかはわかりません。私たちは自分の姿形や立場といったエイドスに基づいて「私はこうするべきだ」「私はこうしなければならない」と考えてしまいがちですが、このようなエイドスに基づいた自己認識は往々にして個人のコナトゥスを毀損し、その人がその人らしく生きる力を阻害する要因となっています。

このような変化が激しく、「良い・悪い」の観念が暴力的に他者に押し付けられる時代だからこそ、私たちは自分のコナトゥスを高める事物を様々に試していくことが必要になります。 

成功は確率論

何が自分のコナトゥスを高めるのかは、結局のところは試してみないとわからない、というスピノザの結論はまた、多くのキャリア論に関する研究からも裏付けられています。代表例はスタンフォード大学のジョン・クランボルツによる研究でしょう。

結果的に成功した人は一体どのようにキャリア戦略を考え、どのようにそれを実行しているのか?

この論点について初めて本格的な研究をおこなったスタンフォード大学の教育学・心理学の教授であるジョン・クランボルツは、米国のビジネスマン数百人を対象に調査を行い、結果的に成功した人たちのキャリア形成のきっかけは、80%が「偶然」であるということを明らかにしました。

彼らの80%がキャリアプランを持っていなかった、というわけではありません。ただ、当初のキャリアプラン通りにはいかない様々な偶然が重なり、結果的には世間から「成功者」とみなされる位置にたどり着いたということです。

クランボルツは、この調査結果をもとに、キャリアは偶発的に生成される以上、中長期的なゴールを設定して頑張るのはむしろ危険であり、努力はむしろ「いい偶然」を招き寄せるための計画と習慣にこそ向けられるべきだと主張し、それらの論考を「計画された偶発性=プランド・ハップスタンス・セオリー」という理論にまとめました。

クランボルツによれば、我々のキャリアは用意周到に計画できるものではなく、予期できない偶発的な出来事によって決定されます。それでは、キャリア形成につながる様な「いい偶然」を引き起こすためには、どのような要件が求められるのでしょうか?まずハップスタンス・セオリーの提唱者であるクランボルツ自身が指摘したポイントを挙げてみましょう。

好奇心=自分の専門分野だけでなく、いろいろな分野に視野を広げ、関心を持つことでキャリアの機会が増える
粘り強さ=最初はうまくいかなくても粘り強く続けることで、偶然の出来事、出会いが起こり、新たな展開の可能性が増える
柔軟性=状況は常に変化する。一度決めたことでも状況に応じて柔軟に対応することでチャンスをつかむことができる
楽観性=意に沿わない異動や逆境なども、自分が成長する機会になるかもしれないとポジティブにとらえることでキャリアを広げられる
リスクテーク=未知なことへのチャレンジには、失敗やうまくいかないことが起きるのは当たり前。積極的にリスクをとることでチャンスを得られる

このクランボルツの指摘を先ほどのスピノザの指摘に重ね合わせてみれば、私たちにとって重要なのは、自分のエイドスに従って選り好みするようなことはせず、どのような対象にも自分のコナトゥスを高める機会があるかもしれないと考え、オープンに機会を受容していくことが必要なのだということがわかります。

これこそが、特に変化が激しく、職業リストそのものがどんどん書き換わっていくような時代にあって求められるニュータイプの思考様式です。一方で、オールドタイプは計画にこだわります。長期の計画を立て、その計画を頑なに実行しようとし、思いがけずやってきた機会に対して自らを閉ざし続けるのがオールドタイプの行動様式と言えます。

このような態度で生きていれば、自分のコナトゥスを高める事物を発見する機会は当然ながら減ることになり、スピノザの定義する「人生を楽しむ賢人」への道は遠のくことになります。

Amazonは「失敗の名人」

たくさん試すことで「自分が伸び伸びと働いて活躍できる場所」を見つける、というのは企業戦略にも適用できる考え方です。つまり、クランボルツによる「成功者のキャリアは偶然のもたらす機会によって跳躍している」という指摘は、企業の成長においてもまた適用できるテーゼだということです。

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