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ほんとはわかってた (過去の恋愛に囚われている人へ)
4週間前に書いたこの記事↓が、なぜかたくさん読まれているようで、うれしはずかし(ありがとうございます)。
このあとも、関連記事を書いたり、関連していない記事を書いたりしつつ、元彼について考え続けていました。さらに考えはまとまり、今では吹っ切れたと言えるところまで来ていると感じたので、ここに書き記そうと思います。
過去の恋愛に囚われている人、元彼が忘れられない人、復縁に悩める人、終わった恋愛のモヤモヤが消えない人などへ、何かしらのヒントになることを祈って。
自分から振ったというのに、彼のことを引きずっている感情の正体がわかった。
それは、「後悔」と「期待」だ。
まず、「後悔」についてだが、一度、好きという気持ちと後悔を分けて考えてみてほしい。
別れて、悲しい・辛いと感じたなら、彼のことが好きだったに違いない。けれど、その気持ちに後悔が混ざることによって、相手への感情が過剰にふくれ上がってはいないだろうか。
「あのときこうすればよかった、あぁすればよかった、今なら自分の愚かさがわかる。やり直したい」
それは、好きとはまた別の感情だ。
わたしの場合は変則的でわかりにくいのだが、例として自分のことを挙げると、「後悔はしているけれど、好きではいられない」状態だった。
わたしの後悔は、もっと大切にしてあげたかった。友だち以上の関係を求めなければよかった。きれいに別れられたらよかった。といったものだ。
好きではいられないと思ったから、別れを選んだ。
けれど、別れた直後に残っていた好きという気持ちと後悔が混ざり合い、複雑な感情がふくれ上がっていった。やがて、その中身は少しずつ彼のことが好きかどうかから離れていって……
あのときの行動、言動を懺悔して許されたい。
気づけばそれだけになっていた。
ある程度の時間が経過してから、好きという気持ちと後悔を分けてみると、案外、好きの割合なんてこれっぽっちだったんだ!となる場合も多いのではと思っている。これは振った側に限らず、振られた側にも通ずる気がするのだけれど、どうだろう。
次は、「期待」について。
こちらも自分のことを例に挙げてお伝えする。
わたしは彼を振る際に、彼にわたしの気持ちをわかってほしい・わかってもらえると思って、たくさんの言葉を投げかけた。別れたあとでさえも(追い詰めるようなことをしていたと今ならわかるけれど)。
なぜ、わかってもらえるなんて期待してしまったのだろう。わかってもらえない人だから、別れようと決めたのに。
別れれば考え方を改めてくれるのではないかと期待し、自分と同じように後悔してくれているのではないかと期待し続けた。
こんなふうに、別れた相手に期待し続けている人も多いのではないだろうか。
けれど、相手が期待に応えてくれる人かどうかの答えは、今までその人と向き合ってきた自分の中に、ちゃんとあるはずなのだ。きっと、その答えが残酷なものだとわかっているから、目を背けていたいのだ。
失うのはこわい。こわいね。
けれど、そこにしがみついているのは虚しいことだね。
わたしは、彼のことをもう好きではないと言いつつも、執着しているのだからやっぱり好きなのかと思いかけていたが、違った。どこまでいっても自分勝手だっただけ。こんなの愛じゃない。
もう、期待は捨てることにした。
たぶん以前は、恋人でなくなっても彼にとって特別な存在でありたいという気持ちがあった。わたしにとって彼が特別な存在だったから。同じ感覚を共有できるのではと、またそこで期待が発生していたのだ。
もう特別な存在でなくていい。他の友だちと並列でいい。
そうやって期待をどんどん捨ててみると、今までがなんだったんだと思うくらい、彼のことで胸を痛めることが減っていった。自分で自分のことを、約1年間もこんなことで悩んで苦しんでバカだなぁと思うけれど、ここまでくるには時間経過も確実に必要だったから。
後悔は、まだ少し持っていようと思う。彼とは友だちとして関係は続いているので(ぎこちないが)、いつか何かの機会に懺悔できるかもしれない。まぁ、できなくてもいいし、忘れてしまえばそれまでだ。相手にとっては、どうでもいいことなのだから。
あぁ。別れることが、わたしが彼へ送った最大の愛だったな。