記憶の散逸と、その中心化
廣松渉は、研究時間の6割を書くことに、3割を考えることに、1割を読むことに当てていた。あるいは、当てなければならないと言っていた。僕が頭で立っても廣松渉に離れないのはおいておくとして。ともあれ、ある先生から聞いたまま、忘れ去られかねなかった廣松渉の姿勢をここにとどめておけるのだから、素晴らしいことだ。
彼女について覚えていることの一つ目。電灯がついていても薄暗い部屋で、彼女は向こう側の遥か遠くを見ながら寝ていて、掴んで揺さぶった右肩がとてつもなく重かったこと。
二つ目。目眩がするほど鮮烈な印象を受けた場所に何度も連れて行かれたが、その度にあまりの普通さに白けたこと。
ナボコフに出会って一時期夢中になったことが示すように、出来事のつまらない細部を残すことに執着がある。彼女についてほとんど覚えていることがないように、記憶が極めて脆弱だからこそなんだろうが。
フィールドノートが書き終わらない。一つひとつの作業を細かく描写しているうちに、記録が現実に追いつかなくなってしまった。かえって記録されない現実が増えていく。
脈絡のない映像の断片を繋いで、かつて存在したことのない印象を立ち上げることができる映像編集の達人が、僕の撮った映像を編集してくれるのだという。それ自体としてほとんど意味を持たないように思われる断片から意味を取り出すのが民族誌であるならば、その映像は、僕が手にしているのと同じ素材から作られたもう一つの民族誌のようなものであり、とても楽しみだ。
僕と同じように、フィールドワーク真っ最中の人がnoteを書き始めたのを目撃した。私達は散々書いているので、単純な書きたい欲求によるものではない。書くという、中心としての主体を作り出す特権的な行為であったはずのものが、フィールドでの乱雑にすぎる日々の出来事を記す中でそうではなくなっていく、その埋め合わせなのかもしれない。一種のサバイバルだ。
昔から、どれくらい丁寧に説明すれば十分に説明したことになるのか、その加減がわからない。多分多くの場合に足りていない気はするのだが。