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エンジニアキャリアの私が営業系キャリアへ転身した話 - 目指すキャリアの考え方


キャリアを振り返ってみると

最初の選択

もう30年以上も前になりますが、大学生活も終わりを迎える頃になって、自分の将来について具体的に考えることになりました。具体的と言うのは、就職先です。子供の頃から工作が好きで、コンピュータや半導体に興味があったので電子工学科に入学しました。大学院にも進学して博士前期(修士)課程が終わる頃、博士後期課程に進学しないかと担当の先生に勧められていました。

親のサラリーマン姿を見ていて、会社勤めにはあまり良い印象は持っておらず、研究も好きだったので博士後期課程に進学して研究を続けて大学教授を目指すのも選択肢ではあったのですが、その頃はバブル真っ盛りであり、お金を稼ぎたいという意識の方が強く就職を検討することにしました。

当時パーソナルコンピュータ、いやゆるパソコン(PC)が普及し始めたころで、就職したいと思うような会社はたくさんありましたが、日本の企業は、運動会などの会社行事が多く帰属意識を重視させられるという印象で、そういうのが苦手だった私は外資系で探そうと考えました。

私のいた研究室には、コンピュータを製造・販売している外資系企業からエンジニアが聴講に来ていて、全く知らない会社だったのですが、調べてみると日本や世界各地に研究室や工場を持っているグローバル企業で、好きな半導体の仕事も出来ると言うことでその外資系企業に就職することにしました。

未来の乗り物や機械を描いたSF小説が好きで、子供の頃からその類の本を読みまくっていたこともあって、電子頭脳、ロボット、ロケットが憧れの産業でした。キャリアの出発点としての学科や就職先は、それほど悩むことは少なかったように思います。

キャリアの破綻

ところがです。私が就職して携わっていた半導体産業は、当時、産業の米と言われて日本ではもちろん世界的にも有望な産業だったのですが、就職してしばらくすると、大変革の時代に入りました。インターネットやWindows OSが普及し始めた頃です。今では当たり前になってしまってあまり耳にしませんが、ドッグ・イヤーと呼ばれるほどIT技術の進展スピードが速くなり、それを支える半導体産業も追随しなければなならなくなりました。

半導体チップを作るための開発設計をしていた仕事から、ソフトウエアを書く仕事になり、論理設計をする仕事になり、プロセッサ設計やそれを使いこなすためのアセンブラなど新しいIT技術の仕事になり、次から次へと身につけなければならないスキルが増えました。

それでも、十数年くらいは半導体チップに関連するエンジニアリングの仕事を続けられていたのですが、リーマンショックを契機にして、私の勤めていた会社が、あまりに莫大になりすぎた半導体製品の製造から撤退する事を決めました。私が所属していた半導体チップの開発チームや、それらを売る営業チームのリストラも行われ、半導体の仕事を続けられなくなりました。

日本にも半導体をビジネスにしている企業はたくさんありましたが、ほとんどリストラ状態で、合併による縮小や事業からの撤退で、退職者も大量に発生していました。

思い描いていたキャリアが破綻して考えたこと

半導体チップを開発する仕事では良い実績を出せており、このまま技術系の仕事でキャリアアップを目指そうと思っていた私にとっては、とてつもなく大きな再選択の時=転換点でした。

同じ半導体ビジネスをしている他社に転職する道もあったのですが、生来あまのじゃくな私は違う事を考えていました。その考えを巡らしていた時にいつも唱えていたのは、「ピンチはチャンス!」というお題目でした。いろんなお話で耳にするお題目ですが、いざ自分がその立場になってみると、ものすごい不安感を覚えました。将来どうするか考えて辛くなった時、「ピンチはチャンス!ピンチはチャンス!ピンチはチャンス!」と唱えては、不安感を払拭していました。

ここから先は、正しく準備するばなんとかなる、理系エンジニアがなぜ営業系キャリアに転身したかという話から、キャリアについて考えていきます。

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