短編小説『透明な僕は朝日を拝めない』
僕はスカしているのです。
何がどうスカしているのかというと、僕は感情が動くことがないのです。実際にそれをスカしているというのかはわかりません、が、他人が僕をそう評するのできっとそうなのだと思います。何せ、正しいのはいつも自己評価では無く、他己評価なのですから。まぁ、僕はどんなに他人から評価を受けてもなんとも思わないので、スカしていることを否定もしませんし、肯定もしません。ただ、そうである、という事実だけを受け入れることしか僕は出来ないのです。そこに、僕の主観的な感情は何一つとして存在しないのです。僕は、そういう人間なのです。
僕はスカしているのです。
僕は他人から褒められても、喜ぶことはできないし、お世辞かもしれないと疑うことができません。僕は他人から貶されても、悲しむことはできないし、何を言うかと憤慨することができません。僕は他人から暖かい言葉を投げかけられても、言葉としか受け取れません。僕は他人から冷たい言葉を投げかけられても、言葉としか受け取れません。僕は、他人からの影響を受けることができません。冷めている、とも違います。冷めているなら、僕はクールだと、周りから言われているに、そう評されているに違いないのです。クールさも、ホットさもないのです。僕は有機物の身体を持った、無機物な存在に違いないのです。実際にそう言われたことはありません。けれど、そうとしか思えないのです。そうでなければ、僕にはもっと人間として、正常な感覚を手に入れているはずなのです。一喜一憂、喜怒哀楽、そんな言葉を僕は理解していながら、感覚として認識できないのです。きっと今、僕の目の前で他人が死んでも、僕は何も動じることがないと思います。動じることが、できないのだと思います。
あいつはスカしたやつだ、僕にはその意味がよくわかりません。よく評されるけれど、その意味が分かりません。僕は気取っているわけではありません。常にすましていると思われているのかも知れませんが、それはクールな人だと思います。けれど、僕に対する言葉は、そんな格好の良いものではないと思えているのです。一体だれが、僕をスカしたやつだと、言う様になったのか、それは僕にもわかりません。昔は、普通に、ごく普通に、皆さんと同じように、平凡な男でした。僕は哲学がわからないので、平凡とは何か、皆さんとは誰なのか、などという疑問は全くありません。
僕はスカしているのです。
そんな僕が、救われることがありました。それは食事です。食欲を満たすと僕は少し、心が穏やかになるような気がしていました。次第に、僕は食事を摂るために生まれてきたのではないのかとさえ思えてならないのです。朝食、昼食、夕食、たまに夜食なんてのもあります。この三つ、ないし四つの食事が僕の人生の全てでした。朝は、絶対にヨーグルトを食べます。ご飯かパンかはその日の気分で決めていました。時間がない時は必然とパンを食べながら外に出ました。その時はヨーグルトの後にパンを食べることになるので、なんとなく釈然としない朝食でしたが、それを昼食が忘れさせてくれるとすぐに気を取り直します。昼食は、贅沢をしません。ランチはさっぱりしたものが好きなのです。それでも朝食で失敗したときは、ラーメンを食べてしまったりします。朝食を平常通りに摂取できたときは、コンビニやスーパーなどに売っているサラダ系を中心に、健康に気を使ったOLメニュー(と僕が勝手に名付けた)をこしらえて食べます。夕食は、最高に肉です。タンパク質です。僕は男ですから、タンパク質が好きなので、適当に肉を焼いて砂糖と醤油であまからく味付けたものをよく食べます。美味しいです。たまに、豚のブロックを買って、サムギョプサル風に食べたり、チャーシューにしたりもします。料理はなんとなくできることがわかりました。そんな食生活が僕に彩りを与えてくれました。僕のグルメの世界への入り口は僕の人間性から始まったと言っても過言ではありません。
僕はスカしているのです。
そんな僕が、食事如きで一喜一憂できるわけがないのはわかっていました。ただ、ルーティーンを作れば、なんとなく生活にリズムができて、今の僕から解放されるのではないか、と考えただけです。実際には食事に興味なんてないし、腹に入ればなんでも良いとすら思っています。夢物語で僕は生きていきたいと思っているのも、事実です。そして、食欲以外で、僕の事実があるとすれば、女でした。人間を満たすものは、同じ、人間。
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