短編小説「いとまごい」

僕は人の心がわからない。そもそも心が脳にあるのか、心臓にあるのか、そんな昔からある議論にすらならない。思いやりや、その逆、妬み嫉みの類が僕には一様に理解ができない。違う。理解はしている。言葉の意味としては理解しているし、そういう感情があることも理解している。実際僕自身にそういった感情がないかと言われれば嘘になる。
 他人の心がわからない。それが正しいだろう。そうとしか言葉では伝えられない。喜怒哀楽の表層的な部分は見ればわかるが、その人間がどんな感情なのかがわからない。
 お手紙を差し上げます。僕からあなた宛ての手紙です。聡明なあなたなら、僕のことが僕より理解できると思います。何よりも、僕を理解してほしいのです。僕が僕を知るためには、あなた様の力を借りるしかないのです。

 「突然のお手紙で驚いているとは思います。現在私が取れる連絡手段は文通しかないのです。携帯が使えないわけでも、パソコンが使えないわけでもありません。ただ、他の情報を見るとだんだんと物事が嫌になってきてしまうのです。私が何かをしていても、他のものが私を邪魔するのです。それは人であったり、物であったり様々です。とにかくいろんなものが私には邪魔でならないのです。この感覚もあなたには伝えなければならないかもしれません。私のことは少しでも多くお伝えしたいと思っています。
 私は目で見た情報や、耳で聞いた情報、そのすべてが邪魔に思えてしまうのです。ですが、こうも情報社会になると、何か調べたいものがあってパソコンを触れば別の情報もついでのように出てきます。携帯で誰かと連絡を取ろうとすれば、他の誰かの連絡も見なければなりません。その全てに私は嫌悪するのです。知りたくもないことを知ってしまうことが億劫で仕方ありません。しかし、近代社会というのはそんな私には生きにくく、どうしても嫌な思いをしながら生きていくしかありません。
 すみません。すこし良い様に書いているのかもしれません。私もこのように手紙を書くことは得意ではないので、書きながら自分で気づくこともあると思います。私にとっての邪魔なものというのは非常に勝手なもので、興味のないものではないのです。むしろ興味のあるものが多いのです。だから、何かをするときに別の何かが邪魔になって仕方ないのです。一つのことに集中するというのは難しいもので、どうやら、私は特にそれが苦手なようです。これを書いている今も、外から聞こえる飛行機の音で、私が何を書いているのかがわからなくなったりもします。もしかしたら、何もかけていないのかも知れません。最後までこうやって何もかけてないままの文章が続いていくのかと思うと今にも私はこの目の前の紙を破り捨てて叫んでしまいそうです。そうしないように私は今書いています。努力を評価されたいとは思いませんが、私がここまで何かに執着することは、私の人生において非常に珍しいことなので、自分でも驚いています。

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